第68話 侯爵領の政争 3

 アリウスの犯した過ちは、究極的に言えば一つ。

 己の処理能力以上のことに巻き込まれているのに、気が付かなかったということだ。




 アリウスは――天才ではない。

 チートでもない。バグでもない。

 超人ではあるかもしれないが、神ではない。無謬の存在などでは、断じてない。


 蓄積された知識、技術、経験。それらから未来を推測することは出来る。

 この世界に生まれてからも、おおよそは上手くやっていた。

 生まれてすぐから始めた研鑽、王都での交流、魔境への侵入。

 ティアとの出会い。領内の発展。そしてアルトリア王国を含む、未来への展望。それに加えた究極的な目標。


 ゴルゴーン将軍という、歴史的に見ても稀有の存在を倒したのも、結局は計算して行ったものだ。

 父や兄が王都に拘束された。しかしそれは、辺境伯軍の指揮を執るのが、自分であるということにつながった。

 四倍の大軍。だがそれでも、相手を会戦の場へと引きずり出し、一撃で多くの被害を与えることとなった。

 魔境から溢れる魔物は、操ることが出来た。そして300の騎兵は、自分が許し、求め、鍛え、その他色々して揃えたものだ。

 だからガラハドの軍を破ることは、必然とまでは言わないが、確信ぐらいには言えた。


 しかし目的の全てを達成したかとなると、もちろん違う。

 国境の砦を占領することは出来なかった。

 あそこをネーベイアが取れば、街道を整備して軍を運び、開墾に容易な地が確保出来た。

 ガラハドはさらなる逆侵攻を防ぐために、多くの軍をまた必要としただろう。

 しかしアリウスは、あれはあれでいいと考えていた。

 ガラハドはゴルゴーン将軍と共に多くの有能な将校を失っており、潜在的な敵国であった東方と北方から、今までゴルゴーンが防いでいた分、侵略されると考えていたからだ。

 アリウスの思惑としては、まずアルトリア王国の安定が優先であった。

 アルトリア王国を実質的にネーベイア家で支配し、そこから古代帝国並の、大陸をほぼ影響下に置くというのが、漠然とした目的であった。

 経験的に、半世紀もあれば可能であると思った。

 アリウスの知識は小出しにされたものであり、実のところまだ戦争を改変するような兵器は、開発されていない。

 領内の製鉄技術が凄まじく発展してはいるが、それを活用していくのはこれからの話である。


 このようにアリウスの目は、王都から東方を向いていた。

 そろそろ西方の情報を、というのと大神について知るために、ダイタンへとやってきた。

 そこで侯爵家の御家事情と、周辺諸侯の関係を知ったのだが、それを自分の進退をかけたものとは考えられなかった。

 アリウスの目的は大神と、それに対抗するためのマキナ開発である。

 本来であれば、もっと多くの情報を得るべきであったし、やろうと思えば周辺諸侯の軍事情報は、得られるものだった。


 だが、現実は予想通りにはいかない。

 別に不測の事態が起こったとかではない。侯爵が強欲であるのも、ヴァリシアの精神状態も、既に知っていたことなのだ。

 つまるところは油断していたのだ。




 まず一番最初に対処しなければいけないのは何か?

 いや、順番はいい。どうせ着手するのは自分とは限らない。

 自分でなければ対処できないことについて考えよう。

「侯爵がヴァリシアを連れて行ったということですが、正確にはどういうことですか?」

「侯爵からの正式な招待だ。ヴァリシアの立場で拒否することは難しいし、不自然だ。ロキと爺さんが一緒に行ってくれたのはいいが……」

 ロキとオットーは有力者ということもあるが、冒険者であった頃に勲章をもらっている。貴族とはいかないが一代に限り年金が出るし、準貴族的に扱われる。

 だからヴァリシアの介添えという立場で、侯爵家に向かうのは問題ない。


 しかしそれは、二人の立場をある程度縛ることになるのも確かだ。

 ロキもオットーも、侯爵領の領民であることは変わらない。だから領主権限で、無体なことをすることは可能だ。

 王国法でも平民の権利などは、定められていない。貴族が平民に対して行ってはいけないことというのはあるが、平民の権利として明記したものではないため、穴を突くことが簡単に出来る。

 他領の貴族であるアリウスは例外だ。だから侯爵と対決するには、たとえ騎士にすぎなくてもアリウスが必要なのだ。


「侯爵に伝えて、領軍の準備をさせよう。侯爵を排除してからでは間に合わないかもしれない」

「そうだな。アンドレ様にはどう言う?」

「侯爵に対して、アンドレの実家と結ぶのが一番だと説明出来ないか? 伯爵家の影響を強めるより、男爵家の方がいいだろう」

「家宰は基本的に中立だ。その目から見て、正当な候補者で年長であり、一番侯爵家への影響が低い男爵家と結ぶことは、自然と言える」

「なら下手に策を弄せずに、素直に家宰に言えばいいな」

「あと動いている兵の数だが、伯爵軍は双方2000ずつ、男爵軍は1000だ。侯爵軍は間に合いそうなのは4000といったところかな」

「少数でいいから道を防いでしまおう。それで大軍が盆地に来ることは防げる」

 お互い遠慮のない口調になっていた。


 既に敵、というか伯爵家や男爵家が兵を動かしているというのは誤算だった。

 同じ国である以上、軍などを動かせば、すぐに話は伝わるはずだ。

 伝わっていない。もしくは伝わっていても問題にされなかったというのは、訓練の前情報があったから、動員を急いだからか。

「向こうも万全の準備じゃない、と思いたいな」

「実際、本気で攻めてくるとは限らない。問題は侯爵家の関税にあるわけだし……あ」

 セリヌスが先にその可能性に気付いた。

「単なる示威行動か。侯爵家に圧力を加えるための」

「ああ、それで交渉を始めるわけか……。しかしこのタイミングでかあ……」

 最悪のタイミングだ、とアリウスは思った。


 侯爵を排除し、アンドレを後継者とした後なら、この問題をまとめることによって、アンドレの業績となっただろう。

 しかしここで侯爵を排除すれば、後継者レースがスタートしてしまう。しかも背後の貴族家が既に軍の準備をしている状態で。

「侯爵家と二つの伯爵家、あと男爵家の関係はどうなんだ?」

「……難しいな。とにかく男爵家が格下、実力でも下というのだけは間違いないんだが」


 ここでアリウスが打つべき手。

 あるいは何もしない方がいいのか? いや、それはない。策少なければ破れる、と言うではないか。戦国時代も内乱時代も同じだ。

「重要なのはアンドレが家を継承することと、それによって伯爵家が損をしない、するとしても許容出来る範囲に収めること。まあ今まで甘い汁を吸っていた人間からは、どうやっても不満は出るだろうが」

「アンドレ様に動いてもらい、味方を増やそう。だがあまり大きな動きをすると、侯爵がどう反応するか……」


 侯爵が他人の意見を聞き入れないタイプであるというのは、街道の件で既に分かっている。

 息子の意見をどう取るか。いや、それはいいのか。

 今後のことを考えても、三つの貴族家を相手にすることは避けたいだろう。ならば一番勢力の弱い、男爵家を取り込もうとするのではないか。

 希望的観測も混じっているが、的外れではないと思う。




 方針はおおよそ決まった。

 あとは高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処するのみ。

「俺はヴァリスのことをちょっと探ってくる。ティアも一緒に来てくれ」

「では俺はアンドレ様と情報を共有する。出来れば家宰も。侯爵は除いた方がいいかな?」

「微妙だが……その場で判断するしかないだろう。あとは戦力の確保だ。冒険者ギルドではなく、直接冒険者に当たって、いざという時の戦力を計算してくれ」

 冒険者ギルドが当てにならないことは分かっている。だが組織としてはともかく、そこに所属する冒険者や、その集団であるクランは別だ。

 金で動くし、利害でも動く。そしてしがらみで動く。


 アリウスはティアを伴い、クラン本部を出た。

 向かうのは侯爵邸。もちろんこの街で一番巨大な敷地を有する。

(どこだ?)

 侯爵の屋敷に相応しく、魔法による探知は阻害される。だがそれも、阻害の波長をつかむまでだ。

 アリウスはすぐにヴァリシアを見つけたが、それは同時に彼女が屋敷の外へ、壁を破壊しながら脱出した時だった。


 街の外壁へ向けて、ヴァリシアは移動している。

「ティア、ヴァリシアを追ってくれ。すぐに追いつく!」

 敷地に侵入し、破壊された区画へ向かう。

 既に屋敷の中は大騒動になっている。


 そしてアリウスは見つけた。

 数人の兵士と共に、惨殺されていた侯爵を。

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