第63話 侯爵領の政争 1
アリウスに呼び出しがかかった。
クランマスターのロキからのもので、クラン加盟の手続きをするという話であった。
あれ? とアリウスは首を傾げたが、そういえばヴァリスを移籍させるにあたっても、黄金のパーティーは黎明の戦士団に入るという話をしていた。
そこで休日のある日、アリウスは一人でほいほいとクラン本部に向かったのだった。
「来たか。ちょっとこっちへ」
アリウスが通された部屋は、以前と同じ場所だった。
違うのはロキが何やら魔法具を操作し、結界を張ったことだ。
外部からの探知を防ぎ、内部からの音なども洩らさないものである。
そんな密室に、あともう一人セリヌスがいた。
「まあ座ってくれ。現状の説明と、やってほしいことについて言わないといかんからな」
セリヌス。こいつの動きは対人戦闘を想定したものだった。
武器の間合い、戦闘スタイルなど、巨大な魔物を想定したものではない。
アリウスにはこの男が、暗殺者の訓練を受けていたのだと分かる。同じ対人戦闘でも、護衛はもっと長い武器を使う。
「やってほしいことだが、まあ前にも言った通りだ。剣の魔王に代わって、迷宮攻略の先頭に立ってほしい」
「それはもちろん。言われるまでもないですけど」
「気をつけてほしいのは、他の奴らが真似て、無茶な攻略をしないようにしてほしいことだ」
「それは冒険者の自己責任でしょう?」
そもそも冒険者は、己が個人事業主に近い。
ギルドに登録していても、クランに所属していても、その根本的な部分は違うはずだ。
セリヌスが説明を変わった。
「本当ならそうだ。しかしダイタンの街に限っては、ちょっと特殊なんだ」
特殊だというのはもちろんアリウスにも分かる。その内容の全てまでは分からないが。
「ダイタンの街は、領主支配下の冒険者ギルドの強制力が強い。なぜなら迷宮からの収入によって、侯爵領は運営されているからだ」
「その割には、あまり街道の整備とかがされてないけど」
ここに来るまでにアリウスが見た限りでは、荷馬車や馬などにかかる負担が大きかったように思う。
「本来街道整備などの領主が行うべき事業にかける予算が、領主やその側近の一部によって横領されている」
セリヌスの説明に、あるある、とアリウスは頷いた。貴族あるあるの中でも最も多いものだろう。
しかしそれは間違いなく悪手だ。
街道の整備は流通の活性化を促す。そうなれば取れる税も増える。
下手に汚職するなどよりも、絶対に収入は増えるはずなのだ。
「まあ、それにはちょっとした理由があってな」
ロキの表情が苦い物になった。
「昔、領主の浪費と街道整備について、直言したやつがいたんだ。そいつは領主の不興を買って、辺境の部署に飛ばされた」
「それから後、もっと柔らかく街道整備の必要性を説くやつもいたが、そいつは……飛ばされるだけじゃなく、資産を没収されて領外に追放された」
それもまた、貴族あるある、である。
つまり侯爵バンジョーは、街道整備という言葉自体を既に敵視しているわけだ。
困った貴族だ。だがこういう貴族は珍しくもない。貴族以外でも珍しくない。
「おかげでダイタンの街は、少しずつ税収が減って、治安も悪くなったし街路の整備もいまいち出来ていない」
そういえばレナは、この街が臭いと言っていたような気がする。
あれにはこういう理由もあったのだ。
今、この部屋は密室だ。誰かに内容が漏れることはない。
アリウスの提案は簡潔だ。
「領主を排除したらどうです? その折に面倒な人間も片付ける」
平然と言ってのけたアリウスに、二人は一瞬固まった。だがすぐに戻る。
「侯爵は後継者を決めていない」
セリヌスが言って、アリウスは納得した。
「お家騒動か。子供がいないわけということですね」
「いや、子供はたくさんいる。第三夫人までいて、全員が男子を産んでいる」
主に話すのがセリヌスになってきた。おそらくロキよりも、こいつの方が悪辣で非情なのだろう。
「後継者候補がまだ幼いと?」
「いや、成人している者が五人いる」
そっちの方向か。
「なら最年長の者を支持して、出来るだけ速やかに領主を交代させればいいんじゃないですか?」
「本当ならそれが一番いいんだろうが……」
「とんでもない馬鹿息子なんですか?」
「いや、何度か話したこともあるが、かなりまともな貴族だと思う」
何が障害になるのか、いくつかアリウスは考えた。
マリアンヌの時のように、親族がまずいのだろうか。
「問題は長男が第三夫人の息子で、男爵家の娘が母親ということだ。第一、第二夫人は二人とも伯爵家の出身だ」
マリアンヌの時とは違うが、やはり親族の問題であった。
「悪いことにその三つの家のどれとも、今は関係が悪化している。三者が共同で、侯爵家を攻めてくる準備らしきものもある」
「そこまでかあ」
なるほどこの街の人間であれば、溜め息をつきたくもなるだろう。
しかし第一夫人か第二夫人が男子を産むまで、我慢出来なかったのだろうか。
……出来なかったのだろう。そういう貴族はいる。たくさんいる。
それにしても、迷宮攻略のことはともかく、侯爵家の内情まで、アリウスに話す必要があったのか。
「どうしてそこまで俺に話したんです? 誰かに喋るつもりはないですが、私が協力できることでもないと思いますが」
ロキが目で合図をした。セリヌスに話せということだろう。
「アリウス、いやアリウス殿、貴殿はネーベイア辺境伯の騎士と言った」
改まった口調のセリヌスに、アリウスも口調を変えた。
「いかにも」
「ネーベイア領の繁栄は、西部のこの地まで聞き及んでいる。強大な敵国と接しながら富国強兵を成し遂げた貴族の家臣として、何かいい案はないだろうか」
丸投げであった。いや、そう言ったセリヌスの瞳には、何か探っている様子がある。
思えばセリヌスも不思議な男だ。
この男の強さは、冒険者的なものではない。
「セリヌス、あなたはもしくはセリヌス殿と呼んだ方がいいのかな?」
鎌をかけたが、セリヌスは無言で答えない。
「もしかして紅衣か?」
あてずっぽうであるが、セリヌスの殺気がわずかに鋭さを増した。
「そうか。紅衣か。なら内乱だけは避けたいわけだな」
「紅衣を知っているのですね」
ロキは二人の顔を交互に見ている。どうやら知らないらしい。無理もないのだが。
「紅衣とは――」
簡潔にアリウスは説明した。
「国王もしくは王太子直属の秘密部隊の一つだ」
ロキの視線にセリヌスは頷いた。
「秘密部隊は三つある。一つは白衣。神殿に属し、神官としての活動を行いながら、貴族や王族の内情を探る。普通の諜報員だな」
またセリヌスは頷いた。
「秘密裏に動くのが黒衣。貴族や王族の表に出せない醜聞は、黒衣が集める。そして紅衣は――」
アリウスはそこでわざと言葉を切った。もしセリヌスが止めるなら、これは口にしたくない。
「暗殺専門の部隊だ」
止められなかった。
ロキがセリヌスに出会ったのは、もう9年も前になる。
王都でポカをして逃げ出してきた、という触れ込みの男だった。
冒険者として活動していく上で、男は有能だった。順当にクランに加入し、最強のパーティーの一角を担うことになった。
「てことはお前が報告するなりしたら、侯爵を止めることが出来るのか?」
「無理です」
ぼんやりと理解したロキが問うたが、セリヌスの返事は短かった。
説明はアリウスがした。
「白衣と黒衣はともかく、紅衣は王か王太子の命でしか動けない。また現在のように王がまともに動けない状態では、大逆を企む者以外には手を出さない。というのが建前だ」
「ええ、建前です」
大逆を企む。もちろん国家にとっては重大事だ。
だがどこからが大逆の範囲になるのか、微妙に裁量権があったりもする。
「去年、ネーベイア辺境伯が大逆を企んでいると捏造し、紅衣を動かそうとした事件があったしな」
「そうですね。まあ直前で止められて、紅衣が数人殺されましたが」
「なあこれ、俺が聞いてていいもんなのか?」
ちょっと怖くなってきたロキである。
「まあ、それはいいか。ネーベイア領での改革は、反対勢力との戦いでもあったな。純粋な武力討伐、陰謀、裁判、あるいは懐柔と、いろんな手を使った」
「暗殺も」
「暗殺はしていない」
そう、敵対勢力を暗殺したことはない。なぜなら暗殺は純粋な戦争よりも、拭いがたい憎しみを生むからだ。
「セリヌス殿、完璧な暗殺とは何か分かるか?」
アリウスにそう問われて、セリヌスの頭の内にはいくつかの要素が浮かぶ。だが完璧というなら、一つしかない。
「暗殺と悟られない暗殺」
「正解だ」
ごく最近、どこぞの子爵領で、普通に病死と診断された死があった。
もしくはそれ以前に、子爵が亡くなったことがあった。
ああいうのが、完璧な暗殺というのだ。
「ネーベイアでは敵対勢力を暗殺はしなかった。だが暗殺もした」
それは矛盾しているのではないか、とロキの視線が言っている。
「味方のふりをした反対勢力、これが暗殺の対象だった」
敵対しているなら、力で攻め潰せばいい。
だが味方だという顔をしていれば、それは無理だ。もちろん時間をかけて、じわじわと弱らせていくことは出来るのだが。
「狡猾な味方を殺すのには、暗殺がいい。暗殺だと分かっても、犯人が暴かれる可能性は低いしな」
味方を排除することにこそ、暗殺は相応しいとアリウスは考える。
「敵対勢力でも、暗殺なんかしていたら、信頼されないからな」
戦争に勝つにも方法は選ばなければいけない。暗殺のデメリットは極めて大きいものなのだ。
「さて、暗殺というものの性格は分かってもらえたと思う。それでこの侯爵領、あるいはダイタンを良い方向に向けるという話だが」
暗殺についてかなり深く語られたような気がするが、それはあくまでも話の本流ではない。
「大切な要素はいくつかある。無能な味方の排除、正当性の確保、敵の各個撃破、敵対状態の解消など、今回の場合ぱっと思いつくのはこれぐらいだな」
ロキは冷たい汗が出ているのに気付いて、袖でそれを拭った。もう帰りたい。
「簡単に言っていくと、無能な味方というのは、つまり有害な存在、現侯爵の排除だ」
「それが暗殺か?」
「仮に暗殺とばれても、容疑者が多すぎて捜査が進まないんじゃないか?」
その通りだった。
それからアリウスは、正当性の確保や敵の各個撃破について、逆に質問も交えながら説明していった。
一通り聞いた後、ロキはセリヌスに確認する。セリヌスも頷いた。
「貴族ってのは恐ろしいもんだな……」
「ロキ、貴族が恐ろしいんじゃないですよ。アリウス殿が恐ろしいんです」
「いやいや、そう誉めないでくれ。実際にこの通りにやっても、上手く行くとは限らないんだしな」
実際やってみたことは何度もあるアリウスだが、実戦においては高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処するしかないのである。いや、本当に。
作戦段階で完璧な作戦は、どちらかというと失敗しやすいというのがアリウスの持論だ。それは単に、失敗する要素が見えていないだけの作戦だからだ。
「問題は時間と時期ですね」
「うむ、だがそれでも、手が及ばんところがある」
セリヌスとロキの認識は共通している。
「肝心の侯爵家内部ですね」
改めて言葉遣いを戻すアリウス。その脳裏には一人の人物が浮かんでいた。
「ここで必要なのは、剣の腕でも魔法の腕でも、ましてや政治力でもありません」
本来ならば、もっと未来のことを考えていたのだが。
「芸術です」
ロキとセリヌスは呆けた顔をしていた。
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