第44話 迷宮都市
ワルトール侯爵家の領都ダイタン。そこは不思議な街である。
四方を山に囲まれ、交通の便は良くない。また水源は川から水路を作って引いてあるのだが、充分とは言えない。
都市を作るにはあまりに条件の悪い土地にも拘わらず、その人口は20万人を超す。
その理由はただ一つ、迷宮にある。
世界の秩序を守る七大神の一柱、太陽と裁きの神ハランの迷宮があるのだ。
迷宮の規模は、伝えられるところによると170層。現在の最深に至る探索者は、90層前後を攻略している。
迷宮から産出されるのは、魔石や魔物素材、また宝箱からの宝物以外にも、迷宮を構成する鉱物などがある。
内部でだけ生息する植物も多く、ある意味もう一つの街が迷宮内にあるのだ。
高層建築の多い都市は、アルトリア王国でも珍しい。
ダイタンは特にそうで、平民の住まいはほぼ全てがマンションだと言えるだろう。
貴族であってもその敷地はあまり広くなく、山間部や山向こうに、別邸を持っているというパターンが多い。
これが邪神の迷宮なら、氾濫に対応するため軍の居留地確保に苦労したのだろうが、そんなこともないため軍は存在しない。
警察機構も小さく、冒険者ギルドに機能をある程度委託しているそうだ。
日中は馬車の交通も規制されているので、到着したのが日没後だというのは良かった。
日が没しても猥雑さが残る街並みを、四人は歩いている。
ちなみにカテリーナ曰く、夜間の馬車や荷車による事故が、ダイタンでは頻発するそうだ。
物価も高いため、あまり一般人はいない。おおよそが冒険者やその関連の商人、職人関係が住んでいるという。
アリウス一行が見つけた宿は、高級な宿であった。
ここまで高くなくてもとレナは思ったが、他に見つからなかったのだ。
宿泊費と利便性が釣り合っている宿屋は、おおよそが常連で占拠されている。
迷宮都市は冒険者の街だが、旅人が宿泊するのはあまり向いていない。
冒険者も流れの者ではなく、根拠地をここにおいて迷宮を探索する者がほとんどだ。
あとは息抜きに護衛依頼をこなす者が多いのだとか。
本来なら富裕な商人が利用するような、部屋が広く調度が豪華で、清潔な宿をアリウスたちは利用することになった。ロバを預ける必要もあったからである。
前金払いで、さらに保証金までも取られた。金銭の管理はアリウスがしているのだが、充分な金を持っている彼女でさえ、これは高いと思ったものだ。
とにかく迷宮探索以前の準備段階で、色々と苦労させられることが多い。
カテリーナから話は聞いていたが、既に住んでいる彼女と、これから滞在するアリウスたちでは、感覚が違った。
「水まであんなに高いとはな」
一室に集まり、今後の予定を話し合う。その第一声がアリウスのそれであった。
食堂で水を、何気なしに頼んだ。会計の時にやっとその値段に気付いた。
アルトリア王国内は、それほど水源に乏しい国ではない。大小の河川があるし、湖もある。また湧き水も多い。井戸も掘りやすい。
ダイタンはかなり珍しい例外なのだ。太陽神ハランが祀られているせいで、水とは相性が悪いのかもしれない。
普段は土地の水を飲むのだが、どうやらダイタン在住中は、魔法で水を作る必要があるようだ。魔法の水はクセはないのだが、あまり美味くもない。
「あと、街が汚いよね」
レナが言う。だがアリウスからしてみれば、それほどひどいとも思えない。
アルトリアの文明圏と比較しても、そこまでの差はないと思うのだが。
「下水処理も未発達だし」
それか。
レナの言うとおり、ダイタンは埃っぽい土地だ。そして水が豊かではない上に、乾燥地でもない。
ちゃんと公衆便所はあるのだが、大都市の処理施設と比べれば、いささか不満足なものと言える。
迷宮がなければ絶対に成立しない都市である。
事実、冒険者の人数が3割を超えるという歪な職業構成だ。
「ねえアル、あの家出せないの?」
吸血鬼であるティアは、トイレに行かない。正確には行かなくても済む場合がある。
しかし体を磨くのは好きであるし、埃っぽいよりも湿っぽい方が好きだ。
「あの家?」
こてんと可愛らしく首を傾げるレナ。前世は男である。
「そう、アルが作った私との愛の巣よ」
「あれか」
電力の代わりに魔力で動く、近未来家屋。
ティアの古城の横にあるあの家の、スペアをアリウスは貯蔵している。
「だが置く場所がない」
「あ~」
アリウスの亜空間は、彼女が自分も入っている間であれば、他の生物も生存可能である。
また微生物やウイルスなども、おおよそは生存可能だ。だが時間の流れを調整することは出来る。
「あれで水とか出した方が、確かに美味しいな」
「そうそう」
ティアはグルメなのである。
それはそれとして、夜になってようやく、アリウスたちは冒険者ギルドに向かった。
昼の間はティアが移動できない。そして探索者登録は、冒険者としての登録とは別に必要なのである。
ギルドの一階は閑散としていた。
ダイタンの街のギルドは、他のギルドと比べて珍しいことに、食堂が付属していない。
ただし携帯食だけは販売している。これもまた、使える土地の狭いことの弊害である。
西部の重要都市ではあるが、どう考えても拠点には出来ないなとアリウスは考えた。
アルトリア王国の内乱を治めることを、単に軍事面で考えた場合、ダイタンは絶対に確保する必要がある。
それはアリウスの作る兵器を運用するのに、魔石の安定的な供給が必要だからだ。
他の迷宮でもいいのだが、ダイタンの迷宮の規模と防衛力からして、この都市一つを支配していれば、兵站が楽になる。
まあ運送面でのコストは掛かるが。
やはり一つだけ開いていたカウンターに向かう。この時間帯だとやはり男の職員である。
「登録がしたい」
いつも通りのレオンの威圧的な声にも、職員は平然と対応した。
「ランク票を」
レオンが取り出したのは、前の街で作ったランク票。金属製の物に、簡単に情報の記載した物である。
ダイタンでも新規の冒険者は登録可能なのだが、あまりにも人数が多いため、検定試験などは行われていない。それが前の街で登録した理由である。
「はい、ランク5ですね。ではこちらが迷宮入場手形と説明書です。読み書きは出来ますか?」
「問題ない」
薄い紙一枚に、割と細かいことが書いてある。紙は貴重な物だから仕方がないのだろう。それをそのままアリウスに渡す。
「よし、じゃあ行くか」
「待ってください。初探索には案内人か、経験者の同行が必要です」
「一番後ろに書いてあるな」
アリウスは速読した。
「ええ、けっこう見落とす人が多くて」
肩をすくめる職員だが、レオンは少しだけ気を悪くしたようだった。
「今日は誰もいないのか?」
「そうですね。朝早くなら案内人も多いんですけど、夜は普通はいないですね」
「待つのか」
明らかにレオンは気を悪くしている。
「いや、この紙には迷宮初挑戦とは書いてあるけど、ここの迷宮初挑戦とは書いてないな」
アリウスはしっかりと紙を見て、そう言及した。
「他の迷宮の経験が?」
「俺とこのでかいのの二人で、ルジャジャマンの迷宮を踏破した」
「ほう」
初めて職員の表情に驚きが浮かんだ。
「最終的には自己責任ですから、条件を満たしている以上可能です。けれどこの書面に書いていないこともありますので、案内人は雇ったほうがいいと思いますよ?」
「必要ない」
「待て」
そわそわしているレオンの襟首を、アリウスはつかんで止めた。
「早朝なら、つまり日の出前にも案内人はいますか?」
「ええ、割と親切な人が多いですね」
「いらないだろう?」
「いや、迷宮の危険度はともかく、この迷宮や街のことは知りたい」
レオンとアリウスの間で意見の違いがある。この場合の解決法は一つだ。
「今すぐ行きたい人」
アリウスの声に、レオンだけが手を上げた。
「明日早朝がいい人」
アリウス自身と、ティアとレナが手を上げた。
多数決である。
「じゃあ帰って寝るか」
「あたしは眠くないけどね~」
そう呟きつつ去っていく一団を、職員は見送った。
変わったパーティーだ。小さなハーフエルフを連れていたが、まあエルフなら魔法を使うのだろう。
しかしどう見ても肌の露出が多い、あの服装の少女は大丈夫なのだろうか。
職員はしばらくの間そんなことを考えていたが、やがて書類の処理に戻った。
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