第32話 赤毛のハーフエルフ 4
この世界には、名前はない。正確に言えば、地球などもあれは天体の名前であって、世界の名前ではない。
大陸の名称ならばある。中央大陸だ。だがこれも東と西、そして南に大陸があると分かっているからこの大陸ではそう呼んでいるだけで、おそらく他の大陸では違った名称で呼ばれているのだろう。
転生者というのは総人口の、おおよそ1%を占めている。これは人間の、しかも一部の国家の統計であって、種族別や国別の統計などはない。
そしてアリウスもそうであるのだが、前世の記憶を持っていても、その記憶は様々な世界のものである。
またその記憶も人によってかなりの差がある。
アリウスの調べた限りでは、これは転生ではなく、他の世界の記憶が、いわゆるアカシックレコードの端に触れるような感じで、赤子に流れているのではないかと考えられたこともある。
もっともアリウスは己の記憶からして、それは誤りであり、転生は間違いなく存在すると知っている。
転生者を集めてその知識を活かそうかと考えたこともあったが、大抵はうろおぼえの学問しかなく、しかも物理法則が違っていて役に立たなかった。
アリウスはごく限られた例外なのだ。
「それで、どの程度の記憶があるんだ?」
オークの回収はすぐに終わった。アリウスはレナと一緒に、獣道を村へと進んでいる。
「けっこうちゃんとあります。年齢や名前、死ぬ直前の記憶まで」
「しかも地球か……。地球型世界というのは、実は幾つか並行世界的に存在しているんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。……と言っても、俺の記憶も完全じゃないんだが……」
アリウスの場合、転生なのかそれとも記憶喪失なのか、転生にしてもどの順番なのかが自分でもはっきりしない。
記憶からして転生なのだろうが、あるいは異世界転移したのかもしれないことを考えると、何度生まれ変わっているのか分からない。
「地球って、何か特別なんですかね?」
「そうだな。俺の知る限りでは、少なくとも二つはあったはずだ」
「並行世界ってやつですかね?」
「うん……日本語ってやっぱり便利だな。大陸の共通語よりも語彙が多い。つーか段々思い出してきた」
二人は今、大陸共通語ではなく、日本語で会話していた。
アリウスはともかく、レナの思うことを伝えるには、彼女の知る共通語の語彙が貧弱であったからだ。
「俺がいた地球なんだが、俺の記憶には東日本大震災がなかったんだ。他の転生者から、そんなことがあったのを聞いた。つまりそれ以前に死んでるわけなんだな」
「僕が死んだのは、確か2016年だったはずです。大学の新歓コンパでの急性アルコール中毒です」
「……命を粗末にしてるなあ」
「今ならそう思います。やっぱり人間、一度死んでみないと分からないんですよ」
「バカだから?」
「そう、バカだから」
苦笑を浮かべるレナだが、そこによぎるのは悲しみであった。
「日本、いい国でしたよね……」
「ここよりはな。それでも魔法が使えるなら、かなり暮らしやすいだろう」
「ああ、そう思って必死で訓練したんですよ」
ほとんど独学なので、魔力の量と発動する魔法の威力が釣り合っていない。それを指摘すると、レナは愕然とした表情になった。
「え……ほとんど無駄?」
「いや、無駄じゃない。枯渇寸前まで魔力を使うと、最大値が増えて、行使できる魔法も増えるから」
「おお、そのあたりはお約束ですね」
オークの死体も収容し終わり、今度は森の中で薬草などを見かけつつ、二人はのんびり村へ向かっていた。
「それにしても、一人称『ボク』なのか?」
「あ、僕前世では男だったんで」
ブルータス、お前もか。
前世記憶の一部を刺激されながらも、アリウスはその事実が奇妙だと分かっていた。
自分がそうであることもあって、アリウスは前世持ちの人間に対して興味があった。
身分と伝手を使って統計なども取ってみたが、前世と性別、種族が違うと、記憶の継承があまり上手くいっていないようなのだ。
もっとも人間以外の種族については、統計を取った総数が小さいのでなんとも言えない。だが性別が違えば記憶の保持が難しいというのは確実だ。
「へえ、そうなんですか」
「そうなんだよ。ちなみに転生する時、神様にチート能力もらったりしたか?」
「いえ、気付いたら転生してました」
「そうか。まあ鮮明な前世記憶の保持ってのも、チートの範囲になるのかな。けど平成日本基準にすると、この世界の農村って、かなり暮らしにくいだろ」
「そりゃ生活レベルは低いですけど……慣れたらなんとかなりますよ」
「マジか。俺は我慢できなくて、やれるところから改善していったけどな」
魔石を燃料としてタービンを回し、そこから電力で動く様々な機械を作っていった。
金属精錬と加工については、自らの手でやった。魔法を使えば超高精度の部品などを作ることも難しくはなかった。
魔境の奥、ティアの居住する古城の隣には、アリウスの作った小さな家がある。もっとも出奔直前には、ティアもほとんどそっちで生活していたが。
そういった科学を擬似的に再現していく中で、それの戦争利用も考えたのだ。
今のところはまだ機関銃の量産が出来ないため、実戦投入は見送っている。だが兵器の革新により戦術の定跡が変わってしまうというのは、歴史的によくあることなのだ。
おそらくアリウスが区切った一年後には、ネーベイア辺境伯軍はアルトリア王国の平均的な軍の、100倍の戦闘力を持つことになるだろう。
戦場で自分の魔法を使って相手を殲滅する、それはアリウスにとってナシである。
しかし兵器を開発し、それで蹂躙するのはアリだ。
他人からしたら分からないかもしれないが、彼女にはそこに明確な区別がある。
というわけで。
「レナ、お前このまま村を出ないか?」
スカウト活動開始である。
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