第12話 アッカダ子爵領の騒動 2
そもそもの問題であったはずの暴動は、クレフォスが家宰と共に既に収めていた。
これでクレフォスの子爵家内での株はますます上がったことになる。
「しかし大変でしたね。まさか盗賊に襲われるとは。この近くはそんな盗賊団はいなかったはずですが、西から流れてきたのでしょうか」
ヘクトルとの相談の結果、あの襲撃者は暗殺者ではなく、盗賊の一味と思わせることにしていた。
代替わりしたばかりの当主に暗殺者が向けられたとなれば、周囲の不安は必要以上に高まると思われたからだ。もちろんそれは表の理由だが。
クレフォスは怜悧な目付きをした男で、今年20歳になる。母親の身分は低く、しかし容姿は優れている。なんでも伯父が都で買い取った奴隷に産ませた子だという。
しかし伯父の一人息子ということもあり、先代は彼に貴族としての教育を受けさせた。魔法に卓越しているのもその一環だ。
今では母親の身分の低さもむしろ「母親の身分さえ高かったら」と周囲の人間に思われるようになっている。
年を経た古狸の瞳をするこの青年を、アリウスはさほど危険視していない。
彼が何を目的としているにしろ、その手段は理性的で回りくどいものになるだろう。
衝動的にマリアンヌに危険を及ぼすことは考えづらい。むしろ伯父を排除してマリアンヌと結婚させた方が安全かもしれない。
もっとも彼の野心が更に高い所にあるならば、マリアンヌさえも邪魔になるのだろうが。
いざとなれば力技でどうにかしよう。
「そうそう、それで暴動を収めてくれたのが、私の食客でしてね。なんでも北の山脈の向こうからやってきたそうで」
ヘクトルがアリウスを紹介したのに続いて、クレフォスがそう口にした。
「かなりの達人です。無愛想ですが悪い人間ではありません。人付き合いも悪いですが、後ほど紹介したいと思います」
クレフォスの意識が自分に向けられているのを、アリウスは感じていた。
アリウスの存在は、ヘクトルとクレフォスにとっては近いものであるが、決定的に異なる部分がある。
ヘクトルにとっては、正体不明だがとりあえず味方である存在。
クレフォスにとっては、正体不明だが少なくとも味方ではない存在。
アリウス自身はどちらの思惑もどうでもいい。ただ関わってしまった以上、マリアンヌやヘクトルがひどいことになれば、少し後味が悪いだろうなとは考えている。
アリウスは客間を与えられ、そしてすぐに夕食に呼ばれた。
既に日が没しているので、ティアも目覚めている。しかしとりあえずは夕食の席に呼ばれたのは、一応貴族を名乗るアリウスだけである。ティアは吸血鬼の中では王族なのだが。
服を着替えて髪を整え、用意された湯を使って手足や顔を拭う。
そんな彼が食堂に姿を現した時、使用人たちの口からは、ほうという吐息が洩れた。
そのあたりはどうでもいいのだが、マリアンヌまで見とれているのは問題かもしれない。
クレフォスの視線は亡羊としているが、どこか警戒感を持っているように感じられる。
この夕食の卓台を囲むのは、当主となったマリアンヌ、その伯父、従兄であるクレフォスと、客人となったアリウスの四人である。
だがマリアンヌが命じて、特別にヘクトルと家宰の席を用意させた。確かに今回は色々と話すことも多いだろう。
アリウスが夕食に舌鼓を打つ間、クレフォスが騒動の顛末を話していく。
アリウスの食器の使い方は、多少乱暴だがマナーに沿ったものだ。
「それにしても……見違えましたな。いや、元から凛々しい印象はあったのですが」
ヘクトルがアリウスの容姿を誉め、マリアンヌが頬を染めながら眺めている。
まずいなあ、まいったなあ、また惚れられちゃったかなあ、などとどうでもいいことを考えながら、アリウスはクレフォスの話を聞いていた。
「それでは、その食客の方が、暴徒を鎮圧したと?」
ヘクトルの問いに伯父であるレウスが偉そうに頷いた。
「うむ、目にも止まらぬ剣さばきで、暴徒どもの凶器を切断してな」
そう言うが、実際はこの男は現場には行っていない。
全てはクレフォスから後で聞いたことなのだ。
マリアンヌの伯父レウスは、一言で表すならデブであった。
顔立ちは本来、それなりに整っていたのだろう。しかしあまりにも太りすぎているし、表情に精彩がない。
肩書きさえなければ、誰もがこの男を侮るだろう。そして男は、侮られることを我慢できないだろう。
「私が出した知らせのせいで、マリアンヌ様が危険に遭ったということですね」
沈痛な表情を浮かべてクレフォスが伏し目がちになるが、その奥に潜む感情は分からない。
「クレフォス殿、それは仕方がない。貴殿の責任ではない」
ヘクトルが言って、家宰のルキウスも同意した。
「あの時は確かにマリアンヌ様に早く戻っていただく必要があったのですから」
家宰は嘘を言っていない。そしてクレフォスも嘘を言っていない。
(ひょっとして八つ手に声をかけたのは、本当に伯父の方なのか?)
アリウスは全てをクレフォスの計画だと考えていたが、何か行き違いがあったのかもしれない。
それほどにアッカダ子爵家の人間は、クレフォスを信頼している。
もっともその全てが擬態であるのなら、やはりクレフォスは用心すべき人間なのだが。
しかしクレフォスが転生者としても、八つ手という組織は、そう簡単に渡り合える存在ではないのだが。
面倒なことだな、とアリウスは思う。
ネーベイア家は良かった。あの家には直情径行の者は多いが、腹に濁ったものを溜める者はいない。
悪口は目の前で言うし、上司や主君に対してさえ、はばかることなく意見を言ってくる。
そんなネーベイア家の者たちを、実力で黙らせていくのは爽快だった。
夕食の後にお茶の時間があって、アリウスはそこで改めて、護衛の依頼を受けた。
主要な街や村に、マリアンヌが出向いてその統治を確認する。貴族の当主としては最初の仕事だ。
実はそのための人間として、クレフォスは話題に出た客人を留め置いていたそうなのだが。
「マリアンヌ様とヘクトル殿が信用出来るなら、その方がいいだろう。しかし失礼ながら、それほどの使い手には見えないな」
「それは無理もない」
冒険者がそう言われたら、沽券に関わるであろうクレフォスの言葉だ。しかしアリウスはまだ冒険者ではないし、何より気が長い。
「私は転生者だ」
クレフォスの表情にかすかな驚きの色が浮かぶ。他の者はその比ではない。
「しかもちょっと特殊な転生者でね。この世界よりも発達した魔法の存在する世界で、私はその世界でも上から数えた方が早いほどの魔法戦士だった」
突然の暴露だが、アリウスは肝心のことは何一つ言っていない。
具体的な戦闘力などは、全く言及していないのだ。
無言でいたクレフォスだが、アリウスの視線に押されるように、かすかに口元を歪めた。
転生者が魔法に熟練するのには理由がある。
魔力と言うのは生来のものに対して、成長する余地が多いにある。
それは魔力以外のものに関しても同じなのだが、最も成長する時期をその訓練に当てることが出来るなら、当然通常の英才教育よりも、格段の成長が見込めるだろう。
幼いころから魔法の修行というのは、転生者にとっての一つのテンプレであるのだ。
「これが俺の秘密だ。で、この館にいるあれは何者だ?」
無表情だが確かに混乱しているクレフォスに、アリウスは問いかける。
「それは、レオン殿のことを言っているのか?」
「名前は知らないが、あの巨漢のことだ」
アリウスは確かにその存在を感知していた。そしておそらく、向こうもこちらを感知している。
クレフォスはそれなりの狸なのだろうが、そいつと比べたらただの転生者だ。
「あれは……よく分からんが、転生者に近い存在だと思う」
「聞いていないのか?」
「普通そういったことは、軽々しく聞くものではないだろう」
クレフォスは言う。冒険者の中には詮索されることをひどく嫌う者が多い。
レオンという人物にしても、クレフォスの方から遠慮して、その力の由来を聞くことはなかったのだろう。
とりあえずアリウスの探知によると、その人物はひどく背が高い。
7フィート近くはあるであろう。メートル法に直せば210センチ以上といったところか。
今は大きな椅子の上に静かに座っているが、その手の届く範囲には、巨大な大剣が置いてある。
魔力の反応がある。並大抵の代物ではない。
「やはりそのレオン殿も、一緒に行ってもらうほうがいいのでは? 貴殿の言ったとおり、私の見た目は押し出しが強くない」
肩をすくめたアリウスに、クレフォスは少し力を抜いて応じた。
「だが女性からの支持は高いだろうな」
「男から嫉妬されるのには慣れているよ」
会話は穏当なうちに終わった。
ティアがむくれていた。
「あたしは留守番なわけね」
「悪いが、頼む」
棺を乗せる馬車を用意するのが面倒という理由の他に、ごく具体的な頼みをアリウスはしている。
クレフォスはマリアンヌと共に巡行に向かうが、レウスは不便な地方を回るのも嫌なため、この館に残るという。
そんなレウスが何か不穏なことをしないか、念のために見張っておいてほしいのだ。
先ほどの会食で、既にアリウスはレウスを見切ったつもりでいた。
一応前世持ちの常として、アリウスは人を見る目にはそれなりの自信がある。
あれは俗物だ。それ以外の何者でもない。
ただ俗物であっても、害がないわけはない。むしろ俗物だけに、発作的な悪事をしでかしそうだ。
そうなったらティアに対処を頼むわけだが、彼女に頼むと即物的な対処となる。それでも構わないとアリウスは思うのだが。
欲深く傲慢で、法を守らない貴族というのは、社会の毒である。
「吸っても美味しそうじゃないしなあ」
ティアはいかにも気が乗らないという風に言うが、これはアリウスに甘えているのだ。
「ほれ」
ボタンを外して首を露にし、ティアへ向ける。
「いただきます」
かぷりと牙が肌に突き立てられた。
マリアンヌの巡行は、一週間後に始まる。
その前に行われるのは、領都ファールールにおける彼女の演説である。施政方針を述べるのだ。
これに関しては特に問題はない。
出席者は貴族や有力者であり、発言の内容も既に知らされている。それを改めて明言するだけだ。
「私マリアンヌは父の統治を引き継ぎ、騎士ルキウスとヘクトルの助言を聞き、子爵家当主として務めます」
必要なのはこれだけだ。
アッカダ子爵家は苛政を行ってきたわけではないし、過去の既得権益に言及することもない。
この場に集まっている者たちにとっては、今までどおりというのが一番であるのだ。
もちろん変革を求めている者も多くいるだろうが、何時の時代もどの世界も、現状の変わることを嫌う者の方が多数である。
アリウスは舞台袖で待機していた。
ありえないことだとは思うが、マリアンヌが攻撃された場合、すぐに動けるようにはしている。
そしてもう一方の舞台袖に、クレフォスとその男がいた。
巨漢だ。
紹介された時、頭二つ以上も身長が違うと、改めて感じた。
レオン。北の山脈の向こうから来た戦士。
紹介された時も今も、大剣を背に負っている。
クレフォスが家宰の許可を得てそれを許し、マリアンヌもそれを追認した。
相対した時分かったのは、レオンが傑出した戦士であるということであった。
優れた戦士というのは、その動作を見ただけで分かる。足音をさせずに歩くレオンは、しなやかな猛獣を思わせた。
浅黒い肌に、漆黒の髪。
瞳の色も黒く、顔の彫りは深い。
北の山脈の向こうに住む民族は、肌の白い者が多いはずだが、レオンは北から来たとは言っても、北の出身だとは言っていなかったはずだ。
大剣は間違いなく強力な魔剣かそれに準ずるものであり、鎧は軽い魔物の甲殻から作られて、他にもあちこちに魔力を感じる。全身を魔法具で守っている。
個人の武力としても卓越したものがあるが、武装によってその力は最大に増している。
そしてレオンはその装備を、ほとんど身から離さない。特に剣は今もそうだが、アリウスの知る限りでは常に手の届くところに置いてある。
また知りえた限りにおいては、この男はひどく無口だった。
最初に名乗ってからは「ああ」「違う」「そうだ」の三つでほとんどを済ませている。
単語で会話を終わらせるのは、貴族の目から見たら不敬であろう。だがクレフォスはそのあたりの自分の感情をコントロールしている。レウスは近づこうともしない。
だがそんなレオンも、アリウスに対しては興味深そうな視線を向ける。
戦士としての技量を測っているような、そういった目だ。
アリウスとしてもレオンは、この世界においては今までに出会った中で、最強の戦士だと思える。
父や兄たちも一騎当千の力を持つ戦士であったが、純粋に対決するならば、レオンの力の方が上回るだろう。
ティアとは戦ってみないと分からない。だがティアは己の種族の能力に胡坐をかいている傾向にあるので、ひょいとレオンが勝ってしまいそうな気もする。
いずれにしても底知れない実力なのは確かだ。
アリウスはレオンとの接触を極力避けた。一対一では絶対に会わないようにした。
アリウスは戦闘狂ではない。得意ではあるが好んでいるわけではない。
政治の一環として戦争は嗜むし、戦争の一場面として戦闘の技術は備えている。
しかしレオンのような明らかな生粋の戦士とは、あまり戦いたいとは思わない。そんな威圧感が彼にはある。
本当の戦闘の達人と言うのは、並べ立てた優位な要素を覆し、ありえない勝利をもぎ取ってしまうものなのだ。
幸い何も騒動はなく、マリアンヌの一行は領地内の巡行へ出発した。
基本的には街や大きな村を巡るため、時間はかかるが野営の日程はない。
アリウスは基本的にマリアンヌの護衛だが、レオンが彼女の担当の時は、村を巡って話を聞くことが多かった。
やはり東方に比べると、西方の諸領は治安が乱れている。
盗賊はそれほどでもないが、魔物の群れ、ゴブリンなどが繁殖して集落を形成することが多いそうだ。
ゴブリンは世界において、亜人とも魔物とも区分けされるものだ。同じ物にオークやオーガもいる。
生態的には亜人であるのだが、人間や友好的な亜人から見れば、魔物以外の何者でもない。もっとも生物学的には魔物ではない。
特にゴブリンとオークは、その凶暴性ももちろんだが、繁殖力の高さが問題となる。
人間という種族も繁殖力は高いが、ゴブリンのように同時に複数の子供が生まれることは少ないし、オークのように他の亜人を攫って子供を産ませることもない。
オーガは単純に凶暴で危険である。
オークやオーガが集落を形成するなら、まず間違いなく領主や国が動く。初動で叩かなければ危険だからだ。
ゴブリンに関しては、初動が遅れて後から大変になることが多い。また冒険者の依頼としては、ゴブリンの討伐は常時依頼として存在する。
(ゴブリン退治なんて、今更するのもなあ)
行く先で困っている人がいれば、助けるのはいい。しかしわざわざ探し回って全てを助ける気はない。
ある意味の薄情さを、為政者としての視点から、アリウスは持っている。
本来の自分にはない要素だ。だが今のアリウスとしては、それが限界だ。
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