四等星のファンファーレ(7)

「へぇー! あんた頭いいんだ! 意外! 」



 七瀬さんの口調はきつかったが、茶髪はほんとうに地毛らしい。見かけによらず中身は普通の人だった。俺と同様、片山先生に頭髪に冤罪をかけられて生徒指導室に連れてこられたらしい。申請こそ出し忘れてはいたが、彼女はこの学校では「いい人」のように思えた。



「なんだ意外って。」



「チャラついてるじゃん、見た目。あんただけじゃないけどさ。」



「まあな。でもこの学校ならもっと上だと思ったんだけどな。」



「この学校馬鹿ばっかだよな。勉強とは別で。勉強はちゃんとやってんの? 」



 本当のことを言うかどうか迷った。髪型に自分のすべてを集中させているやつを除いて、自分より勉強やスポーツができるやつが多くて驚いた。入学してすぐのテストの点数は悪くなかったのに、順位が低いことが信じられなかった。ぼんやりと何かの部活に入るのだろうなと思っていたが、それが悔しすぎて放課後のすべてを勉強に費やすことにした。自分がここまで負けず嫌いだったことに驚いた。



「・・・やってる。今はたぶん、一番頑張ってるのは勉強だ。」



 自分で勉強やってるなんて言うのは格好悪いと思ったけれど、彼女の前では正直でいたいと思った。



「そっか。」



 さっきまでの甲高い声とは裏腹に、七瀬さんは驚くほど静かの声で言った。首から下げているナイフがなければ、彼女は本当に小さくまるで妖精みたいだ。



 しばらく歩いてようやく自転車小屋の近くまで来た。七瀬さんは俺のすこし前を歩いている。ここまで来るとさっき聴こえてきたブラスバンド部の音が大きくなる。まだ演奏というにはほど遠く、楽器を鳴らしているだけの音が来年百周年を迎える校舎に響いてゆく。グラウンドのほうからは部活の声が聴こえてくる。多分、隆也の声も混ざっている。



 七瀬さんは、髪を染めているやつがウザいと言った。この学校には外見を気にするやつらばかりだと。あいつらは髪を染めることを、校則から外れることを個性だと思っている。あいつらにとってはそれが個性なのかもしれないが、皆同じ髪型になっていることに気付いていない。個性を探すあまり、逆に髪型に縛られていることに気付いていない。そんな中で、自分の強みである勉強やスポーツを生かし切れていない自分に苛立っていたのだ。深い闇にゆっくりと沈んでいく感覚。高校に入ってからずっと纏わりついていた感覚。七瀬さんはそれを一気に振り払った。



 自転車小屋につくと、大きな入道雲が夕日を隠して辺りが少し暗くなる。その時、少し強めの風が吹いて、俺たちの茶色の髪を吹き上げる。二人して風が吹いた方向を見る。向いた方向に、大きなプラタナスの木が植えられていた。そこは隠れ家のような場所だった。ここに足を運んだのも偶然じゃなく、必然のような気がする。ここいいな、なんか安心する、


 木の幹には絵が飾れるように額縁が埋め込まれていて、そこには一枚の絵が飾られている。こんな場所あったんだな。



「すごいな、この絵。」



「ここに飾られる絵、一か月に一回張り替えられるらしいの。美術部が描いていて、ここに飾られる絵を描いた人は画家として成功するってジンクスがあるんだって。だから美術部はみんな必死で絵を描くみたい。この絵は一年生の絵描いたんだって。」



 額縁には、羽の生えた男子高校生が、ブレザーを着てギターを演奏している絵だった。色使いが恐ろしくきれいで、何より瞳が美しかった。黒い瞳なのに一色じゃないようで、少し青が混ざった真っすぐな瞳をしていた。



「すげぇな。同じ一年が描いたようには思えない。」



 恐ろしい才能だな。この高校には勉強ができるやつもいれば、絵がうまいやつもいる。



「この絵、なんか自由でいいね。」



 俺は高校に来て、「自由」という意味がよくわからなくなった。多分、「やりたいことをやりたいときに」していることが俺の自由だった。サッカーもバンドも、人から誘われて始めたものだったけど、好きになってからは熱中してやった。高校にはそれがない。部活に入っていないこの状況は、なんでもできるように思えるけど、「不安は自由の目まいだ」とこの間倫理の授業で中野先生が言っていた。自由でいいね。この絵は「描かなくては。」という気持ちに駆られて描いた絵なんだろう。だからこんなにも「自由」なんだ。



「あー、なんかもうどうでもいいや。」



 彼女はおもむろに鞄から原稿用紙を取り出して、細かくなるまで千切った。この人ほんと切り裂くの好きだな。先生の悪口を言っている時からそうだったが、本当に楽しそうにいろんなものを切り裂く。まるでこの退屈な高校に風穴を開けるかのように。彼女は粉々になるまで原稿用紙を切り裂くと、それらを両の掌で包み込み、空に向かって思いっきり投げた。



「なにやってんだよ。」



「だって、退屈なんだもん。」



 答えになっていないような気がしたが、原稿用紙をばらまく七瀬さんの姿が木の絵と重なって見えた。



「この学校は退屈なことばかりだけど、あんたがそいつらと一緒だとは思わないよ。あんたは絶対つまらなくなんかない。」



 満面の笑みで彼女がこちらに振り返る。その瞬間、一気に雲が晴れて辺りを夕日が包み込む。笑顔で振り返った彼女に茶髪が、夕日に照らされて輝く。夕日はスポットライトのように、彼女を照らすためだけのように自転車小屋に降り注いだ。彼女の茶髪が夕日を反射させる。反射した光が俺を包む。その光が細胞の一つ一つに絡まっていくような気がして、彼女から目が離せなくなる。



「あ、そうだ! テストで学年三位以内に入ったら放課後付き合ってあげてもいいよ! 」



 そう言って彼女はニコッと笑った。一気に広がる瞳孔。明るくなる世界。茶髪の妖精は、目の前の景色を百八十度変えた。



 彼女が切り裂いて投げた原稿用紙が風に吹かれて舞い上がる。俺にはそれが春の桜のように見えた。



 俺の高校生活が、一か月遅れで始まった。

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