四等星のファンファーレ(5)

「何してんだ颯汰、早く行くぞ。」



 教室の天井から先生の声が降ってきて、頭にこつんと当たる。肩に手をぽんと置かれた瞬間、やばい、俺なんかしたっけ、と焦ったが隆也だった。なんだ隆也か、先生かと思ったじゃん。隆也は右手に弁当箱を持って、背筋をぴんと張って立っている。こいつほんといつも姿勢がいいな。いつも正しい姿勢で、いつも右手に弁当箱を持って、丁寧に話す。俺は隆也のこの姿を見ると、柱みたいだな、と思う時がある。



 隣には少し歪な柱のような樹と、かなり奇抜な柱のような拓矢が同じように弁当箱をを持って立っていた。そうか、もう昼なのか。よく見れば女の子八人くらいが机を寄せ始めている。



「悪ぃ、すぐ行く。」



 柱の形すら成さずにだらだら座っていた俺も、机の横にかけてあった弁当箱を攫って三人の後を追いかけた。ていうか、ほんとにもう昼なんだよな?



 教室を出ると廊下の窓から中庭が見える。U字型の校舎に囲まれた中庭には桜の木がたくさん植えられている。中庭にしては日当たりが良く、陽の光が線のように降り注いでいる。昼になると中庭は弁当を食べる人で溢れ返る。陽の光がちょうどスポットライトのようになって、中庭全体がぱっと明るくなり舞台のようになる。スポットライトに当たっている人たちは髪の色も相俟って輝いて見える。



 今年の春は桜を見ることができなかった。大雨が入学式に直撃して、桜の花びらは全部落ちてしまった。花を愛でるような性格じゃないけど、高校生活に少しの期待を抱いていた分、華やかな入学式を期待していた。桜がない


入学式は、どこか味気ない。



「なぁ! あの教室の女子たちさ! あんなに離れてたら気軽に話せないよな! 」



 くるくるのパーマに毛先だけを金色にした拓矢が、前髪を気にしながら大声で言った。一週間に一回髪型や色を変えてくる拓矢は、こういうやつだ。



「まぁ、離れてるし話しにくくはなるわな。 」



 樹が中庭の方を見ながら拓矢に言った。



「違うって! そういうことじゃなくってさ! 」



 いや、わかってるんだけど、とおれは樹と顔を見合わせた。そりゃあ思わなくもないけど、大きな声で言うことでもないでしょ。こいつはほんとに髪型通りの性格だな。おれもちゃらちゃらしていて茶髪だけど、茶髪は地毛だしパーマを当てたわけでもない。



「あんなの絶対仲良くできないよな! 多分端っこ同士で・・・。 」



「やめろよ。別に俺たちがとやかく言うことじゃない。 」



 隆也がぴしゃりと遮った。拓矢はそんなことお構いなしで続けている。やっぱり隆也は柱だな。隆也は多分、いつも何かを支えて、いつも何かを背負って生きている。



「颯太、BUMPの新曲聴いたか? 」



「そういえば最近好きな人ができてさー。一組の人なんだけど・・・。」



「え! まだだ! 」



ギターをやっている樹は、ベースをやっていたおれにいつも新曲のことを教えてくれる。いつもおすすめの曲を教えてくれて、俺のiPodに曲を入れてくれる。拓矢の話は綺麗さっぱり消えてしまった。食堂に向かう足取りも、自然と軽くなる。



 入学して一ヶ月経った高校はまだまだ新しい世界だった。来年で創立百周年を迎える学校にしては新しい方だと思うし、食堂や購買があることが驚いた。中学の頃にはなかった部活を見学したときは少し心が踊った。

けれどいいことばかりじゃなかった。すれ違う人の顔がいつも新しく、話しかけてくるやつが同級生かどうかもわからなかった。四組の日比野くんだよね。おしゃれな髪型だね、どこの美容院行ってるの、と元気よく挨拶されるがおれも隆也も樹も誰だかよくわかっていなかった。髪型も髪色もすぐに変わるから、顔と名前を一致させることは高校の勉強よりも大変だった。元気よく返していたのは拓矢だけで、拓矢自身も誰だかわかっていない時もあった。隆也が丁寧に、ちわっす、と挨拶した時だけ、サッカー部の先輩なんだということがわかった。



 購買があったり、新しい部活があったり、創立百周年の校舎が割と新しかったり。



 でも、それだけだった。それ以上でも、それ以下でもない。



 購買があるだけで、新しい部活があるだけで、創立百周年の校舎が割と新しいだけで。周りは派手な髪型のやつばかりで、いつ話しても髪型のことばかり言うやつらに期待できることなんかなかった。



「おいそこの。茶髪でパーマかけてるお前。」



後ろから先生のような声が聞こえた。隆也かと思って振り返ると本当に先生だった。生徒指導の片山先生がこちらを睨んでいる。オリエンテーションで見た持ち前の白縁眼鏡と角刈りは、近くで見るとより白く、より直角に見える。



「はい、なんですか。」



「お前なんだその髪型。校則違反だぞ。」



「え、これ地毛ですよ。ちゃんと頭髪申請出してますし。」



「本当か? お前みたいなやつのいうことなんか信用できないから。」



先生とは思えない言動に、もはや聞く気など最初からなかったような気分になってしまったが、それでも片山先生は話し続ける。



「だいたい、この学校の生徒はおかしい。学校は学業を修める崇高なところであるというのに、ここの生徒は外見を気にするばかりだ。そんことだから最近の若者は・・・。」



崇高な、というところが鈍く引っかかったが、外見を気にするばかりというところには同感せざるを得ない。



「え、じゃあこいつは・・・。」



「人のことはいいんだ! 」



「先生、俺はずっと日比野と一緒なんですが、日比野はずっとこの髪型なんです。申請も出してます。」



明らかに髪を染めてパーマをかけている拓矢のことは差し置いて、先生は甲高い声で遮った。隆也が真摯に訴えてくれたが、意味はなかった。先生って本当に「先に生まれた」だけだな。隆也のほうがよっぽど先生に見える。



「とにかく、放課後生徒指導室に来るように遅れたら数Ⅰの成績は出さないぞ。」



白縁眼鏡をくいっ、と上げ、少しにやついた顔で去っていった。右手に持っていた弁当箱がずしっと重くなる。隆也と樹は「災難だな」と言って肩に手を置いてくれた。しかし、拓矢は一瞬苦い顔をしたように思えたが、すぐにけらけら笑って「ざまぁ」と冷やかした。



 弁当を食べた後も気持ちは収まらず、食堂でラーメンを食べた。それでも落ち着かず、購買でみたらし団子を買って隆也と樹で分けて食べた。午後の授業は苦手な現代社会と、なんの役に立つのかわからない家庭科の授業で気分が一気に落ち込んだ。俺はこの気持ちを引きずったまま生徒指導室に行って、もう一度頭髪申請を出したと訴えなければならない。多分片山先生も同じ話をしてくるのだろう。



高校に入学するとき、親父に「受験よく頑張ったな。これからは薔薇色の高校生活が待っているぞ。」と言われた。俺の高校生活は薔薇色でもなければ、桜すら咲いていない。外見ばかりを気にして周りの悪口をいう同級生と、「崇高」な先生ばかりだ。何かに一生懸命なやつなんて、俺の周りじゃサッカーをやっている隆也と、自分で作詞作曲をしている樹だけだ。



思っていたものじゃないな。率直な感想だった。



親父のように大人になればこの高校生活も薔薇色だったといえるようになるのだろうか。それはそれとして、重い脚に鞭を打ちながら生徒指導室に向かった。

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