四等星のファンファーレ(3)

「全然だな! 夏休みはずっと遊んでた!」



自分で放った言葉がナイフになって、自分の心臓に突き刺さる。今までで一番痛いところに刺さったような気がする。仲村はいつの間にか掃除を始めている。黒板の下にはもう何も落ちていない。テルシマたちはまだミカが浮気した話で盛り上がっている。浮気をされたという話をまるで武勇伝のように語るテルシマの金髪が、夕日に当たって反射する。AとBの髪色は、光でもはや何色なのかわからない。こいつらの会話は蝉の鳴き声にしか聞こえない。



「まあ別にいいけど、あんたのテストの点数なんて。勉強するしないは勝手だけど、もう少し緊張感をもったほうがいいんじゃない? 私たちあと半年で高三になるのよ。」



そう言って仲村は箒を掃除箱に押し込んで、教室から出ていった。

 


ざくざく、と全身で音が鳴りナイフが刺さる。仲村の言葉には無駄がない。いつも伝えたい言葉だけをきれいに浮き上がらせていく。無駄がない分、心の奥まで言葉のナイフが深く刺さるときがある。一か月に一度、俺は本気で仲村に嫌われているのでは、と思う日がある。今日はあそこで決定だな。



 高三。仲村の言葉が冷たく重くのしかかる。来年から中学生なんだからもう子ども扱いしないぞ。もう高校生なんだからしっかりしろよ。と、進級の度に親が脅すように言ってきたが、俺にはその自覚がない。進級は階段を一歩一歩丹精込めて丁寧に上ってきたように思うが、俺のイメージは少し違う。俺のイメージはエスカレーターだ。何も学ばず、成長しないまま背ばかり高くなって、全自動でここまで運ばれてきてしまった。



床を掃く自分の姿が教室の窓に映る。仲村が箒を使うと、箒を使う仲村まできれいに見えた。俺が箒を使うと、掃除を習いたての小学生にしか見えない。



 何やってんだよ颯汰、早く行こうぜ。



 子どもの声が頭にこつん、と当たる。まったくだ、と思う。



「よーう日比野! この後カラオケいかねー? 」



ギラギラとくすんだ金髪のテルシマの蝉のような声が教室に響く。テルシマの隣には、さっきまで散々愚痴を言っていたミカがいて、肩を組んでいる。



「今日は遠慮しとくわ。そっちで楽しんできてよ。」



机の横にかけてあったリュックを殴るように取り、教室を出た。今日は夏休み明けにやったテストの順位が張り出される日。多分仲村もランキングが張り出されている一階ロビーの掲示板に向かっただろう。仲村が歩いたであろう廊下を、足跡を重ねるように俺も一階ロビーに向かった。



 あいつ、見た目の割にノリわ悪―よな。

教室を出るときに、確かにそう聞こえたが、無視してそのまま進んだ。



あー、めんどくせぇ。




******




一階のロビーに降りると雨はすっかり上がっていた。外は濡れたアスファルトが夕焼けの光を乱反射させている。玄関の真正面には、大きな夕焼けがしっかりと輪郭を保っている。いつの間にか部活も始まっていて、グラウンドはまた騒がしくなった。



 反対に一階のロビーは閑散としていて、ロビーに併設されている事務室からはやっと定時だー、という声が聞こえる。外が明るい分、ロビーはいつもより暗い。入り口の扉を一枚隔ただけで、世界はこうも違う。



 ガラス張りの掲示板には大きく夏休みのテストの順位が張り出されている。順位表には各教科の点数と総合順位が書かれている。一位から三位までの名前は大きく太字で書かれていて、それだけでもう勝てない気がする。心臓がざわざわして、産毛が逆立つ感覚。どんな時でも、自分が何番なのか知らされる瞬間はいつもこの感覚に襲われる。



 仲村の姿はもうそこにはなかった。けれどそれでよかった。仲村がここにいたらなんて考えたら、とても自分の順位なんて見ることができない。高校二年生、二百四十人の順位が張り出されているが、仲村はいつもと同じところを見ればいいだけだから時間はかからないのだろう。自分の名前も、すぐに見つけることができた。



 うわー、まじかー。今回は結構自信あったんだけどなー。逆立っていた産毛は途端に大人しくなった。やっぱり、ここに仲村がいなくてよかった。



「颯太か。」



 入口から先生のような声がして、背中と服の間に氷を入れられたように一瞬体が強張る。とっさに順位表を背中で隠してしまう。入り口の方に振り返ると首からタオルをかけている隆也が立っていた。髪の毛はさっきの雨でぐっしょり濡れていて、後ろの夕焼けが濡れた隆也の黒い髪を輝かせている。



「テストか。どうだった? 」



 真面目な隆也はいつも先生のように話す。



「いや、全然だな。今回もダメだったわ。」



 元気に笑って見せるが、明らかに力が出ない。隆也にバレていないことを祈る。



「俺もだ。二十位だった。夏休みは思った以上に勉強する暇がなかった。」



 知ってるさ。お前は全国のピッチを走っていたんだから。俺の結果が良くなかったことと、隆也の結果が良くなかったことは同じ感覚でも全く違う。夏休みをだらだら過ごしてしまった俺と、全国の舞台で駆け回っていたエースとでは、どうしたって埋まらない差がある。俺が今からどれだけ全力疾走したって、隆也に追いつくことはできない。



「そうだ。まだベースは続けているのか? 」



 首にかけていたタオルで頭をわしゃわしゃしながら隆也が訊いた。



「いや、今はもう、やってない。」



「・・・そうか、好きだったんだけどな。颯汰のベース。」



 やばい、そろそろ行かないと、またな。と言ってエースは夕焼けの方に駆けて行った。改めて見ると夕焼けは自分の思っていた以上に大きかった。なんとなく隆也みたいだなと思った。あいつは来年、サッカー部のキャプテンになって、Jリーガーになったりするんだろうな。そう思うとロビーはより一層暗く思えた。



 もう一度、順位表に目を移す。



 一位、蓮岡 柊。

 二位、仲村 穂乃果。

 三位、沢村 伊澄。

 四位、日比野 颯太。

 五位、清水 文美



 四位、日比野颯太。仲村さん、俺、別に勉強してないわけじゃないんだよ。

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