其の伍

「……ミキ! ミキ! 目を開けてください!」

「……」


 反応を示さない夫の胸をレシアは必死に叩く。


「起きないならすっごいことしちゃいますよ! 本当ですからね! マリルさんに教えて貰った……無理~! あんなことできる訳ないじゃないですかっ!」

「……見てみたいな。やったら起きる」

「だから無理ですって! あんな……あれをこうしてこうするとかって、起きてるじゃないですか!」

「それだけ人の胸を叩いておいて酷い言いようだな」


 上半身を起こすミキに、泣きながらレシアが抱き付いて来た。

 柔らかく抱き締め返して、随分と深く眠っていたのだと理解する。


「何があった?」

「あったじゃ無いですよ! ミキの周りに物凄く嫌な気配が居て、どうにか払ったんですから!」

「ああ。だから中途半端だったのか」

「はい?」

「……つまりお前の邪魔のせいか」

「何故~!」


 両の拳でレシアの頭を挟んでグリグリとする。

 新しい涙を浮かべてレシアは夫の元から逃げ出した。


「やれやれ」

「カカカ。会いに来たか?」

「ええ」


 妻と入れ替わるようにやって来たのは禿頭の老人だった。

 ツルッと頭を撫でて、老人は愉快そうに笑う。


「改めての宣戦布告か?」

「そんな所でしょうね」

「カカカ。それでアマクサは何と?」

「帰って次は自分がデウスになってかの地を支配するそうです」

「カカカ。愉快愉快」


 楽しげに笑って老人は出て行く。


 やれやれと肩を竦めて立ち上がったミキは、ジッとこっちを見つめる視線に気づいた。

 チラリと見れば、小屋の入り口で顔を覗かせている妻が居た。


「おかしいです」

「何がだ?」

「助けたのに怒られました」

「ただの挨拶だよ」

「どう言う意味ですか!」


 怒って殴り込んで来た妻を捕まえる。

 心配したんだから甘えさせろと言う態度がはっきりと表に出ていた。


「アマクサは俺に対して挨拶しに来ただけだ。それとさっきのあれはお前に対する朝の挨拶だ」

「あんな挨拶なら要りません!」

「そう言うな? あれはお前にしかやらない特別な物だぞ?」

「特別……?」


 一瞬騙されかかったレシアはハッとなって顔を上げた。


「騙されませんよミキ!」

「騙されていただろう?」

「気づいたから大丈夫です。私だって成長するんです!」

「成長ね……」


 相手の体を少し離してじっくりと見る。

 特に成長したのは胸の大きさだろうか? 身長も少し伸びた気がするが、あまり変わっているようには見えない。全体的に女性特有の丸みを帯びた。


「外見だけか」

「絶対に悪口ですよね!」

「外見だけでも成長したことを喜ぶべきなのだろうな」

「この、この~」


 ブンブンと腕を振り回す相手から逃れ、ミキは朝食を求めて外に出た。

 相手が宣戦布告をしてきたと言うことは……そろそろなのだろう。




「敵はここに陣を敷いて待ち構えています」


 机の上に広げられた簡易的な地図に目を向け、アマクサは老人に目を向ける。


「敵の数は?」

「ごく少数と言う報告です。今も戦えぬ女たちを逃がしている最中とか」

「そうか」


 老人が使っている諜報に長けた者たちの報告なら間違いはないだろうと、彼は判断した。


「それでセイジュは?」

「はい。任務を終えて現在は休んでいます。ただ」

「つまらぬ者を斬らすな、か?」

「はい」


 苦笑をして頭を下げるデンシチに、アマクサは軽く頭を振った。

 あれでも一国の王……ファーズンの王だった者だ。それを斬り殺しておいてつまらない仕事とは。


「敵の中にあれが楽しめる者がいれば良いがな」

「居りましょう? 武蔵の子が」

「どうかな? あれは中々の策士ぞ」


 クスクスと笑い、アマクサはゆっくりと立ち上がる。


「兵の休息が終わったら前進を開始せよ。今日にも敵の首元に辿り着き、明日の朝から総攻撃を仕掛ける。良いな?」

「はい」


 頷きデンシチは王のように振る舞う相手の背を見送る。

 事実王が討たれた今、ファーズンの実質的な支配者はあの男である。


(少しばかりおかしな術を使えるからと威張りよって)


 胸の中で悪態を吐いてデンシチも立ち上がった。


 どうせあの男は、時間になるまで自分の趣味に興じているだけなのだ。

 何が悲しくて男が年若き少年の尻を求めるのか……想像しただけで全身に鳥肌が立ち、デンシチはブルッと身を震わせた。


「兵たちに命じよ」

「はっ」

「休憩は今宵までだ。明日の戦いで全て終わらせるから……遊びもほどほどにと」

「はっ」


 伝令として駆けて行く部下を見つめ、デンシチは頭を振る。

 年老いてしまった自分の身では、戦い前の高揚感はあっても女を抱くほどの若さが無い。


「若くても女の身となってしまった兄を思えば自分はまだ良い方か」


 苦笑して老人は歩き出した。




「姉ちゃん! 次は俺とだからな!」

「そんなにがっつかないでよ。こっちは一人なんだから……少しは休まないと体が壊れるわ」

「あはは。姉ちゃんなら多少壊れてても構いやしないよ! だから次は俺と、な?」

「はいはい。だったら少し体を拭いて、中に出された物も出して来るから待ってて」

「おう!」


 隊長格らしい男が上機嫌でワインを煽る。


 敵は少数。こちらは万を超す兵力。戦う前から終わっていると言いたげに兵たちは浮かれて酒を飲む。

 何でも大陸北部の者が大量の酒を用意して挨拶に来たとか何とか。末端の者たち詳しいことを理解して居なくても、酒と女があれば大いに騒ぎ楽しむのだ。


 その中に……毒婦が混ざっていたとしても。




(C) 甲斐八雲

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