其の玖

 すり鉢状の闘技場の底で……男は荒い呼吸を整えていた。

 たった今、襲いかかって来た愚かな者たちを始末し終えたばかりだ。


 つまらなそうに転がる死体を見つめる。


 飲み食いや女遊びで作ったのであろう借金返済を安易に済まそうとした結果だ。

 同情などしない。舞台の上では誰もが平等に命を差し出し奪い合うからだ。


 だが素人に毛の生えた相手ばかりでは面白くないのも事実だ。

 ファーズンの者たちは決してこの闘技場に自分たちの"弟子"を上げない。

 弱さを晒したくないのか、はたまた別の意味があるのか……そんな些細なことなど男には関係ない。


 唯一今望むのは、満足いく戦いと、


 冷たく全身を刺し貫く感覚に男は身震いをした。

 久しく味わっていなかった上質な殺意。

 苦笑気味に笑ってしまうほどに気持ちが良いものだった。


(……あれか)


 すり鉢状の底に作られている舞台から見上げれば相手が居た。

 隠す気など無いのだろう……全身から常人では無い気配を漂わせこっちを見ている。


(……良いな。悪くない)


 軽く舌を舐めて、武器を握り直して具合を見る。

 掌までしみ込んだ血や油が少々不満ではあるが、戦場に出たと思えば些細なことだ。

 唯一の問題は……逃亡防止に嵌められている足枷の鎖だ。


(悔しいな。あんなに美味そうな獲物がいるのにな)


 舞台を蹴って駆けて行きたい衝動を抑え……彼は相手に見えるように軽く頷く。

 そして武器を舞台上に投げ捨ててその場にドカッと座った。

 鎖で繋がれている手枷を軽く掲げて見せて、相手の若者にアピールする。


『戦いたければこれをどうにかしろ』と。


 想いが伝わったのか、隣に居る娘と話した若者が軽く頷き自分の腰を叩いた。

 その動作はまるで『斬りに行くから待っていろ』と言わんばかりだ。


 流石に若者が放つ気配に気づいたヨシオカの手の者が彼に詰め寄り何か言っている。

 そんなことで折角得たかもしれない楽しみを失いたくはない。

 舞台上でニヤリと笑った亡国の"ショーグン"は、むんずとまた武器を掴んで立ち上がった。


「この俺に挑む勇気ある者は居ないのか! ファーズンには腰抜けしか居らん! きっとヨシオカに名を連ねる者共も俺が怖くて縮み上がっているのだろう! 文句があるなら挑んで来い! この腰抜けどもが!」


 らしく無いほどに吠えて、彼は観客を……そしてヨシオカすらも挑発する。

 だが鎖に繋がれている彼であっても、戦うことを知らない一般人はあっさりと気圧される。

 何度かの挑発に、舞台下に関係者が集まり鎖を引いて彼を排除しようとする。


 叫び暴れる彼に……若者と何やら押し問答をしていた者たちも駆け寄って来た。


 闘技場の王が思い描いた通りに、若者たちはその場から逃げ出していた。




「ミキ~」

「何だ?」

「私のことを普段色々言ってますけど、ミキだって決して良くないと思うんです!」

「ああ。だが俺とお前とでは明確に違う点がある」

「……何ですか?」

「自分の失態ぐらいどうにか出来るということだ」


 キィーっと声を上げて怒る妻をそのままに、ミキたちは逃げ出すように闘技場を後にしていた。

 色々と収穫の多い良い日だと……ミキは小さく笑みすら浮かべている。


 闘技場の主たる彼は本当に強かった。

 それを見張るヨシオカの門下生の質の悪さは言うまでもない。


 ただ剣気を放ってショーグンを挑発していただけなのに、彼らは何をしているのか把握すらしていない。

 これで相手の脅威が、質よりも量だということがはっきりして来た。


(そうなると……最悪敵は二人のヨシオカか)


 だがその二人とて義父が打ち倒した者どもだ。

 今の自分なら多少義父よりか劣るもののそこまで酷く無いはずだ。


 挑めば勝てるはずだ。


(だったら少し暴れて行くのも悪くない)


 後ろから駆けて来る妻の手を捕まえミキはそっと彼女の手引く。

 引かれて走るレシアも何処か嬉しそうに笑顔を作った。


(無関係のシャーマンたちを捕らえて殺した恨みぐらいは……晴らしてやっても良いだろう)


 クスリと笑いミキは妻であるシャーマンの手を引いて通りを駆けた。




「久しく籠って居れば……このような邪気を放つ者を野放しにするとはな」


 静かな足取りで現れた彼に、国の中枢を担う者たちが膝を着いて首を垂れる。

 線が細く、女性にすら見間違われそうな彼を直視する者はいない。


 彼こそがこの国……ファーズンの真の支配者だからだ。


 ゆっくりと歩く足取り。

 ゆったりと身を包む服装。


 見た限りは若者にしか見えないが、見つめると年老いた老人の気配すら感じさせる。

 何とも捕らえようのない男は……国の最も尊き者が座る椅子に腰を下ろした。


 玉座にだ。


「力を持ったシャーマンがこの城下に入り込んでいる」

「「……」」


 支配者の言葉にその場で膝まづく者たちは身動き一つしない。

 彼の言葉の途中に口を開くなど恐れ多いからだ。


「見つけ出して殺せ。良いな?」

「「……」」

「誰か? 仕事をしたい者はおるか?」

「はいっ」


 頭を垂れながら一人の人物が歩み出る。

 十七か八と言った様子の若者が恭しく頭を告げて支配者の前に姿を現した。


「シロウ様」

「何だ?」

「生け捕りでは無くて殺してしまって良いのですね?」

「構わん。むしろ殺せ」


 慈悲も無く彼は命じる。


「この世からシャーマンなる者は根絶やしにする。良いな……必ず殺せ」




(C) 甲斐八雲

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