其の漆
ファーズン王国の王都には古い建物が多い。
そう言われると印象が悪くなるが、事実古い建物が多い。
他国との争いが多い国は、国内への投資を最小限とすることで戦線を維持して来た。
結果として新しく建物を建てる資材や人材なども足らず、昔からの建物を改修して使い続ける。
故に確かに古く見えるが……建物自体は補強され決して弱くはない。
内装などはこだわる者はこだわる。そのせいもあって決して見て回る分には嫌な印象を受けない。
唯一ミキが王都を見ることで不満があると言うなら、同行している美女が短気を起こし掛けるくらいだ。
何か気に障ることがある都度、その手にナイフか薬の瓶を掴む。
本人も無差別殺人をする気は無いと言っているが、それだったら薬の瓶を井戸に放り込もうとする動きは何なのか問い詰めたくなる。
数滴で人が絶命するなら瓶ごとは少し多過ぎるだろう。
「ん~。色々と聞いていたから、もっとこうゴミゴミしている街かと思ってました」
「確かにな」
マリルを小脇に抱きかかえるように制してミキは妻の言葉に耳を向ける。
腰の後ろで手を組んで数歩先行くレシアは……どこか機嫌が良さそうだ。
「ゴミは余り目につかないし……悪くない場所ですね」
「ああ。まあしばらくはここで情報を集めるから問題は起こすなよ?」
「は~い」
何度も念を押したのでねレシアは軽い口調で返事を寄こして前を行く。
と、疲れた様子で息を吐いて、ミキは自身の腕で制している美女を見る。
目を吊り上げて興奮状態の彼女は……違った意味で手の施しようがない。
「我慢しろ」
「分かってる」
「……なら分かっていることを言ってみてくれ」
チラリと視線を寄こしたマリルは、軽く息を吐いて脱力した。
「毒薬は勝手に井戸に放り込まない」
「許可を出す予定は無いから放り込むな」
「ちっ」
「何だ?」
「何でも無いわよ」
嘆息気味に息を吐いてマリルは言葉を続ける。
「夜は勝手に出歩かない」
「昼もだ」
「……朝は?」
「面倒臭いからずっと宿に居ろ」
「ちっ」
彼女の舌打ちが止まらない。
家族を殺した者が住まう場所だ……少しでも相手に"痛み"が伴う行為をしたくて仕方ないのだ。
自分の命を懸けることとなっても構わずに。
溢れんほどの殺意に肩を竦め、彼女がどこかに駆けださないようにミキは確りと捕まえておく。
「ガッチリと胸を掴まれている気がするのだけど?」
「掴みやすいからな」
「そうね」
顔色一つそう言い切られると何も言えなくなる。
マリルはどこか諦めた様子で、腰の毒瓶を放り込める井戸を探す。
「なあ」
「……何よ」
「とりあえず静かにしててくれないか?」
「無理ね」
余りの即答に、ミキはまたため息を口にしていた。
「なら宿で」
「頑張って逃げるわ」
「……強力な毒を作るのなんてどうだ?」
「……」
意地でも彼の手から逃れようとしていたマリルの抵抗が和らいだ。
自分の提案も内心でどうかと思いつつも、ミキは言葉を続ける。
「無味無臭の毒をそれなりの量……作っておけば役に立つだろう? お前の仇に辿り着くまでに何人もの弟子たちを狩るのと俺だって分からないしな」
「……そうね」
ゆっくりと頷いたマリルは、自分の足で地面を踏み……ようやく自身の足で立ち上がった。
「悪く無いわね」
「ああ」
「大量に作れば、この王都中の井戸に放り込みたい放題だしね」
「無差別にやるな」
「良いのよ。ここに暮らしている時点で同罪よ」
その目を暗くさせてマリルがうっすらと笑う。
正直付き合え切れない物を感じつつも同行しているのは、彼女のファーズンの知識がずば抜けているからだ。
敵を知ることの重要性を深く理解しているマリルは、今まで本当に色々と情報を集めた。
ヨシオカに通じる者から直接。ファーズンに通じる者から直接……手段を択ばずに相手に毒を飲ませ、脅迫して得た情報だ。
結局最終的には全員殺しているのだが。
「そうね。良い薬をいっぱい作ってこの街を誰一人として住めない場所に作り変えてあげましょう」
「趣旨は違うがもうそれで良い。だから大人しく薬でも作っててくれ」
「ええ良いわ。ただし条件が一つ」
「何だ?」
チロリと唇に舌を這わせ……マリルは年齢に似つかわしくない妖艶な笑みを見せる。
「興奮する私を鎮めて欲しいの。出来ないなら宿を出て勝手にするから」
「本当に困ったものだな」
頭を掻き出したミキに駆け寄って来たレシアが抱き付く。
ガルルと低く唸る妻を見て、ミキはそれしかないと悟った。
「俺一人だと難しいかもしれないから、レシアと二人でも良いか?」
「……それで私を満足させてくれるならね」
「分かった。なら目立たない宿を探すこととしよう」
「違うわ。先にまず薬屋よ」
クルッと背を向けて歩き出した彼女は、何処に薬屋があるのか分かっているのか、直感なのか……後ろを振り返ることなくまっすぐ歩く。
と、不安げな視線を向けて来た妻の頭をミキは優しく撫でた。
「大丈夫だ。二人だったらどうにかなるだろう」
「本当ですか?」
「ああ。俺を信じろ」
「は~い」
甘えて来る妻を軽く抱き寄せ、ミキたちはマリルを追って歩き出した。
早速その夜から『興奮を鎮めろ』というマリルに対し、ミキは迷うことなく妻を差し出した。
『裏切り者~っ!』と泣き叫ぶ彼女が……五日としないで色気が増したように見えたのを、ミキは胸の内にしまって妻には何も告げなかった。
(C) 甲斐八雲
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