其の肆

 沼トカゲと呼ばれる大型の爬虫類の襲撃に遭遇した夜……マリルは一人ぼんやりと焚火の火を見つめていた。


 あとの二人は水場に移動して今は居ない。

 別に気にもしないのだが、妻の方が夫婦の営みの様子を聞かれたがらない風に見える。


 他人の行為を見聞きしても動じる感性などマリルは持ち合わせていない。

 今気になるのは、焚火の明かりの外から沼トカゲが飛びかかって来ないかどうかと言う不安だ。


『そんなに怖いならナナイロを傍に置いておけ。それは人と虫以外の生き物を寄せ付けない』


 彼の言葉を疑う訳では無いが、いつもふよふよと飛んでは胸に吸い付く球体をマリルはどうも信用出来ずにいた。だから今も尻の下に敷いて椅子の代わりにしている。

 ただ思いの外座り心地が良いから今度から椅子にするのも悪くない。


「まだ起きていたのか?」

「ええ。一応焚火の番」

「消えない程度に薪を入れておけば良いものを」

「そうね。でも二人がいつ戻るか分からなかったから」

「そうか」


 軽く肩を回し戻って来た彼は、昼に見せた恐ろしい表情など微塵も感じさせない。

 別に何かを殺す行為を見てマリルは自分が恐れを抱くなど微塵も思っていなかった。自分とて狂ったようにヨシオカに通じる者を殺して来たからだ。


 彼は違う。


 あのような細く長い武器で斬ったりすること自体恐ろしい腕前だと分かる。

 だからこそ恐ろしい。それを迷うことなく、まるで遊ぶかのように披露する彼がだ。


「あの面白いお嫁さんは?」

「今頃頭から全身を洗ってるんじゃないか」

「綺麗好きなのね」


 自分も着る物は別にして体の方は綺麗にしている方だが、彼女は本当に徹底している。

 こんな旅の道中であそこまでこだわる者はそうそう居ない。


「もしかしてどこかのお姫様?」


 冗談のつもりで言った言葉だった。

 世間知らずで自由奔放……何より今日見た踊りなど、彼女はどう見ても一般の出には見えない。

 ただあの知識の無さを見ると王族や貴族とも思えないが。


「ある場所に行けばそれに近い扱いを受ける存在ではあるな」


 欠伸をしながら地面に座った彼は、自然体でそう返事を寄こした。


「ある場所?」

「そうだ。"聖地"と呼ばれている場所だ」

「せいち? 知らないわね」


 初めて聞く言葉にマリルは肩を竦めた。

 軽く笑った彼は世間話でもするかのように言葉を続ける。


「あれは……まあ信じろというのが難しいが、たぶんこの大陸で二人と居ない才能の持ち主だ」

「お馬鹿の?」

「否定はせんよ。だがそっちじゃなくて踊り……と言うか、その力だな」

「妻が悪く言われているんだから否定しなさいよ」

「……普段のあれを見てて否定できると思うか?」


 ちょっと……否、かなり難しいとマリルは思った。


「場所によっては神聖な存在として崇められる」

「……冗談?」

「砂のアフリズムに行けば国王が出迎えに来るぞ? 王妃は自室に籠って震えだしそうだがな」

「何をしたのよ?」

「色々だ」


 軽く笑ってミキは焚火に木の枝を放り込む。


「西部ではどのような扱いを受けるかは分からんが、たぶんファーズンがあれの存在を知ったらどれほどの手練れを送り込んで来るか分からん」

「……そうなの?」

「ああ。あれは"シャーマン"だ」


 膝を抱いて話を聞いていたマリルが動きを止めた。

 知っていた。否、ヨシオカの関係者を襲うマリルだからこそ良く知っていた。


「……彼らが血眼になって探している存在ね」

「やはり知ってたか」

「あら? 私……騙されたのかしら?」

「気にするな。心構えが出来るようになったと思えばこの先が楽だぞ」

「何よそれ」


 少し頬を膨らませて怒る彼女にミキは軽く笑う。


「ヨシオカは何かしらの理由でシャーマンを集めている。俺たちは大陸ら全てを見て回るという理由で旅をして来たが……そんな話を聞いてこっちに来た」

「……何をするの?」

「酷い扱いを受けているなら救い出す」

「そう」


 膝を抱きしめる力が強くなったせいか、自分の胸に押されて呼吸が苦しくなった。

 マリルは一度手を緩めると……小さく息を吐いた。


「たぶん救わなくて良いと思う」

「どうしてだ?」

「……言ってたわ。『シャーマンの女は抱くには具合の良い女』だそうよ。あと『どうせ殺すんだから』ともね」


 焚火を見つめてマリルは言葉を続ける。


「彼らにはシャーマンと言う存在が邪魔なんだって。理由は知らない。でも生きていると何かの妨げになるとかで集めて来ては犯して殺している」

「……そうか」

「ええ」


 分かっている。それがヨシオカに連なる者たちの行いだ。

 弱者を踏みつけ強者を狂者へと誘う……恐ろしい集団。


「彼らに捕らわれたシャーマンを救うなら、捕らわれる前に助けないと意味がない。捕らえたと同時に犯して殺し始めるのが彼らよ。命を奪う前に心を殺すのが彼らなの」


 暗い目で焚火を見つめ……マリルは自分が体験した過去を思い出した。

 家族の死体はどれも無残だった。自分より少し年上だった姉ですら犯されて殺されていた。


「だから私も彼らに対しては容赦なんてしない。残酷な行為をするのならそれが自分に帰って来ることを思い知らせてやる」

「そうか。でもしばらくは我慢しろよ?」

「出来る限り頑張ってみるわ」


 期待の出来そうに無い返事に……ミキは静かに肩を竦めた。




(C) 甲斐八雲

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