其の弐
「酷いです……私はもう奴隷じゃないのに……グスッ」
日中……徹底的に奴隷の立場を叩きこまれたレシアは、膝を抱えて焚火から遠い場所に座り泣いていた。
目の前に置かれている木製の皿には、僅かな肉が張り付いている骨が一本置かれている。後はカチカチに固まったパンが一つと水だ。
「さあご主人様。今夜は肉をふんだんに使ったスープですよ」
「……」
少し遠い場所にあった小川から水を汲んで戻る。
その間に調教が済んだ様子で……拘束を外された今でもレシアがこっちに来る気配がない。
「お前」
「はい?」
「奴隷商でもしてたのか?」
「まさか」
深皿にスープを盛って手渡して来た美女がクスクスと笑う。
「私は薬師ですよ。娼婦の真似事もしますが」
「だよな」
「はい。ですから男性の調教なども復讐の都合必要だったので学んでますが」
「……」
どうやら西の地はミキが思っているよりも過激らしい。
それを知ることが出来ただけでも今日は感謝するべきなのかもしれない。犠牲は最小限で済んだことだし。
「ほらレシア」
「はい。ご主人様!」
夫の呼びかけに反射的にその声が帰って来た。
チラリと傍に居る美女に目を向けるが……彼女はうっすらと笑っていた。
「一つ聞きたい」
「何でしょう?」
「お前が扱う薬の中に……若返りの薬でもあるのか?」
「失礼ですね。こう見えても私は16です」
豊かな胸を張ってそう告げて来る相手が、自分と同年代だと知りミキは目頭を押さえた。
妻と大差無い年齢であるとも言える。経験なのか持って生まれた才能なのか……たぶん前者であろうが、少しでもその落ち着きと知性を妻に分けて欲しいと心底思った。
「いい加減元に戻れ」
「大丈夫です。私は普通ですから」
何故かこっちを見てガクガク震える妻の様子に、ミキはまた視線をチラリと美女に向けた。
彼女の笑みを恐れていると気付いて……何とも言えない息を吐く。
「分かった。ならそこの奴隷」
「はい。ご主人様」
「足元の物を持ってこっちに来い」
「はい」
彼女の分と称して渡されている料理を抱えてレシアが飛んで来た。
確かに今日彼女が実演していた本物の奴隷のような目をしている。たぶん自分を本物の奴隷だと信じているのだろう。
「ねえミキ」
「何だ?」
「貴女のお嫁さんって……本当に面白い人ね」
クスクスと笑ってスープを深皿に盛る彼女は笑顔でレシアにそれを手渡す。
ガクガク震えつつ受け取ったレシアは、主人の許しが出るまで皿を前に待ち続けるのだった。
「ミキっ!」
「何だ?」
「あの人はあれです。あれなんです。何なんですか? も~も~も~っ!」
小川に連れて行き頭から水を掛け続けることしばらく……ハッと気づいた様子でレシアは正気に戻った。
そして始まる愚痴に、やれやれとミキは肩を竦める。
「焚火の方は大丈夫か?」
「……はい。鳥さんが鳴いて追い払ってるんで生き物は寄り付きません」
「この時間に街道を行く旅人も居ないだろうしな」
服を脱いで布で体を拭くミキに、まだ怒りが収まらないレシアが背後から抱き付いて来た。
「ミキもミキです! よくも私を見捨てましたね! この裏切り者!」
「あんなに綺麗に騙されるお前が悪い」
「違います。騙す方が悪いんです!」
抱き付き甘えて来る彼女に……ミキは深い溜息を吐いた。
「そうだな。騙す方が悪いな」
「ですよね?」
「ただお前の場合は……頭が悪すぎるのが悪いんだがな」
「うがぁ~!」
怒ってポカポカと背中を叩いて来る彼女をそのままに、ミキは自身の体を拭き終えた。
「遊んでないでお前も早く済ませろ」
「……は~い」
納得いかない様子だが……レシアは渋々従うと、服を解いて体を拭き始める。
「ミキ」
「何だ?」
「たまには背中を拭いて下さい」
「……」
「良いじゃないですか! 裏切ったんですから!」
プンスカと怒る彼女の機嫌がそれで良くなるなら……とミキは手渡された布で彼女の背を拭く。
夜空に浮かぶ月明り一つだけの光源だが、それでも白い背中がくっきりと浮かぶ。
優しく拭いてやると……ブルブルと妻が身を震わせる。
「ミキ」
「何だ?」
「もう少し強い方が良いです。くすぐったくて」
「注文の多い」
命じられるままに力を強めて擦ると、彼女の震えが止まった。
しばらく黙って拭いてやると……突然レシアが立ち上がった。
「ミキ」
「今度は何だ?」
「お礼です。私もミキの背中を拭きたいです」
「……」
上半身裸のままだから別に構わないのだが……何とも言えない気配を感じてミキは断ろうとした。
だが無駄に優れた身体能力を持つ妻は、そんな気配を察してか先手を打った。
クルリと反転し彼の手から布を奪うと背後へと回る。
微かに視界で捕らえられる範囲で動かれ……抵抗する間もなく妻が背中を拭き出す。
こうなれば仕方がないとその場に座り好きなようにさせる。
「ミキの背中は広いから拭き甲斐があります」
「もう少し強くやってくれ」
「は~い」
嬉しそうに背中を拭き……しばらくするとレシアがその背に抱き付いた。
「ダメですミキ」
「どうした?」
「何かこう……沸々と体の奥から沸き上がるものが」
夫の肩に手を置き、レシアは身を乗り出すようにして彼の顔を見る。
頬を紅くした妻の様子に軽く笑って、ミキはその唇にキスをした。
「あまり時間はかけるなよ?」
「はい」
しばらくして戻って来た二人に……マリルはただ生温かな視線を向けた。
全く動じないミキとは反対に動揺しまくったレシアが食って掛かる。
だが『もう少し声は抑えた方が良いと思うわよ?』の一言であっさりと敗北した。
(C) 甲斐八雲
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