其の参拾伍

「形式上の王妃とは別れよう! 我に必要なのはその女官……否、イースリーに於いて他に居ない!」


 そう言い切るウルラー王の表情は晴れ晴れとした物だ。

 事情を……形式上の王妃との離縁がどれ程の問題を生じるか理解している部下たちは総出で頭を抱えたが、だが彼の決意は変わらない。


「イースリーよ! 我が妻となって欲しい!」


 良く通る声でそう言い放つ王に……ミキは担いでいる荷物が震えるのを感じた。

 どんな感情でどんな反応なのかは知らないが、まあ弟なら兄に祝いの気持ちぐらい持ってもおかしくない。


(九郎の奴も俺が祝言を上げると言ったら驚いていたからな)


 あっちに残った弟がどうなっているのか気にはなったが、それ以上に背後で『キャーキャー』と騒いでいる透明な馬鹿の方が気になる。

 人としてどうかと自分でも思うが、ミキはこの件をさっさと終わらせようと決めた。


「イースリーよ。王が返事を求めているぞ?」

「……」


 感極まり過ぎている彼女は、顔を上げパクパクと口を動かすだけだ。とても返事が出来そうに無い。

 とは言え自分が返事をするのもあれだし……仕方なくミキは思考を変えた。


「声が出ないなら頷け。全力で大きく頷け」

「……」


 言われるがまま彼女が頷き出す。

 頬を流れる涙を溢しながら、何度も大きく頷き続ける。


「恥ずかしくて声が出ないそうだ。王よ! 言葉での返答は後で二人の時に聞いてくれ!」


 この場はそれで濁し、ミキは次の事案へと移る。

 背後から聞こえて来る呪詛ばりの『ミキは酷過ぎます』の声は無視しておく。


「ついで王よ! 貴方に届けたい荷物がある!」

「……それは何だ!」


 顔を赤くし、恥ずかしさを大声で誤魔化す王にミキは軽く荷を叩いた。


「王弟エスラーの遺体だ」


 言い放つと流石に返事は来ない。

 つい先ほど女官に対して『妻になって欲しい』と言っていた王だが、流石にその言葉は想定していなかったらしく唇を硬く噛みミキを睨みつける。

 言いようのない不穏な空気に……控えていた兵たちが対応に困っていた。


「勘違いして貰っては困る。これは賊が運んでいたものを奪い取っただけだ。貴方の妻が言うには『王弟』とのことだから運んで来た!」

「……左様か」


 聞き取りにくい声量であったが、微かにミキの耳に届いた。

 ウルラーは一度目を閉じて天に顔を向ける。

 自分が許したこととは言え……本当に弟を失うことになるとは思っていなかったのだ。


 その甘さが後手を踏み続ける結果なのだと理解し、自身の心に鞭を打つ。


「確認がしたい!」

「では」

「その場に居れっ! 今から我が向かう!」


 ひと際大きい声を発し王は辺りに命じる。


「これより我がたどり着くまでにあの二人に接近する者は死罪とする! 良いな!」


 宣言して王は室内へと戻って行く。

 王の命令は絶対なのだろう……ミキは建物の影からこちらの様子を伺う一団に視線だけ向けておいた。


「ミキ~」

「何だ?」

「今の王様の言葉ってどんな意味があるんですか?」

「決まっている。俺たちが王の元に無事にたどり着けないかもしれないだろう?」

「……どうしてですか?」


 苦笑してミキは自分が視線を向けている方向を顎で示す。


「あの手の輩が襲って来ると言うことだ」

「それで?」

「遺体を手に入れれば『現王が弟を暗殺した』とか色々と使い道があるってことだな」

「ほぇ~」


 理解しているのかいないのか……たぶん後者だとあたりを付けながら、ミキは肩に担いでいる荷物をゆっくりと降ろした。


「大丈夫か?」


 ピクピクと袋の中から反応があったので良しとする。

 どうにか立ち上がるまでに回復した女官が、今度は王がここに来ると言う現実に直面して震えだした。


「諦めて相手の胸にでも飛び込んでおけ」

「そんなことっ!」

「好いてる相手が飛び込んで来たら男は嬉しいものだぞ?」

「……」


 覚悟を決めるように呼吸を整えだした彼女を見つめ、ミキは背中に柔らかな膨らみを押し付けられる感触を味わった。


「嬉しいですか?」

「今は暑いな」

「ひどっ!」


 怒って離れる彼女をそのままに、待機すること暫し……王が部下たちを連れて庭へと来た。

 慌てて膝を折り臣下の礼を取ろうとする彼女の腕を掴んで立たせる。慌てるイースリーにミキは半目を向けた。


「もうお前は臣下では無い。ちゃんと自分の役目を演じろ」

「役目?」

「ああ……ついでにあっちの問題も片付ける。頑張れよお姫様」


 何が起こるのか察したイースリーは、彼の口を閉じようとする。

 だがそれよりも先にミキは彼女の腕を押して王が歩いてくる方向に放った。

 押され、足の怪我もあって体勢を崩すイースリーは、必死に手を伸ばし……王に抱き付く格好となった。


「無事で良かった」

「……はい」


 腰に回された腕に支えられ、イースリーは王の顔を潤む瞳で見つめていた。


「夫婦の語らいは後にして欲しい。今はこっちが先だ」

「そうだな」


 遠慮のない青年の言葉に、王は妻となる女性をその腕に抱いたまま……横たわっている荷物の傍らに立つ。


「余りに酷いので確認は王だけで願いたい」

「分かった」


 元々弟の死に顔を他者に見せる気の無い王は応じ、そして屈んだミキが袋の口を開いた。

 覗き込んだ王は……救いを求める弟と目を合わす格好となり、驚き短い声を発して仰け反った。


「お辛いでしょうが……王弟様に間違い無いでしょうか?」

「……ああ。間違いない」


 絞り出すような声に周りの部下たちも王に同情の目を向ける。

 だが王は、ブルブルと震え……ただただ怒りを噛み殺していた。


「ウルラー王よ」

「何だ?」

「はい……これでこの国は貴方の物にございますね」


 わざとらしく大仰に一礼をしてミキはそう告げた。


「何のことか?」

「言葉の通りにございます」


 クスリと笑いミキは言葉を続ける。


「前王の血を引く弟君が亡き今、王家の血を引く者はただの一人……王の腕の中に居る姫君イースリー様だけですから。これでこの国は、名実共に貴方様の物だ」


 四方から投げつけられる凶悪な視線を、ミキは笑って受け止めた。




(C) 甲斐八雲

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