其の拾弐
日中村の中を見て回り、ミキたちは日暮れと共に天幕を立てて夕餉の支度を始めた。
鍋の中を覗き込んでいたレシアが辺りを見渡すと、フラフラと歩いて行って何やら会話をする。
見えなかった、姿を隠していた村の住人たちがまた現れたのだろう。
その様子を眺めながらミキは、鍋を掻き混ぜて残っている保存食などを頭の中で確認した。
干し肉に関しては十分過ぎるほどある。砂の王都は海が近いこともあって魚が取れ、国中に干し魚が流通している。ただ魚を好むのはミキだけだから量は少ない。
乾パンと呼ばれる小麦を練って作られた硬いパンは、それなりに量はある。
問題は野菜と果物だ。どちらも乾燥させた物がまだあるが……絶対数は足らない。
(王都で一度仕入れをしないと辛いな。何か売れる物を処分して買い込むか)
旅の間で若干思考が商人寄りになっていたが、それでも儲けを考えていないから商人では無いと自分に言い聞かせ苦笑して……彼は椀に鍋の中身をよそった。
「む~」
「なに膨れている?」
「みんな村に居たと言うんです。でも見えませんでした」
「そうか」
椀の中身に木の匙を差してミキはそれを渡す。
簡単な煮込み料理を頬張る彼女は……不機嫌で頬を膨らませているのか、料理を頬張り過ぎて頬を膨らませているのか分からない状態だった。
「声も聞こえなかったんだよな?」
「……」
コクコクと頷く様子からやはり頬張り過ぎだと半ば呆れた。
小さく嘆息しながらミキは辺りに視線を巡らせる。どうもこの場所は胡散臭すぎて信用出来ない。
(だが前払いで依頼を受けてしまったしな……騙されてみるか)
方針を決めて、彼女に全て食べられてしまう前にミキも自分の分の確保を急いだ。
天幕の中で幸せそうな表情を浮かべて寝ているレシアから視線を逸らし、ミキは練習用の木の棒を担いで少し離れた場所まで歩む。
ブンッブンッと、棒を振って居ると……不意に当たりに霧のような靄が広がる。
気にせず振り続けていると、辺りは完全な乳白色の世界へと一変した。
(やはり怪談だな)
そこに来てようやく腕を止めた彼は、軽く息を吐いて辺りに意識を向ける。
人の気配らしきものはない。息遣いも、足音も感じられない。
(ここから何を見せる?)
砂漠の中にある不思議な場所から生きて戻った者は、『とても良い場所だった』と言うらしい。
ならば酒池肉林の桃源郷か、はたまた別の何かか……胸の内で待ち構えるミキにそれは姿を現した。
足音も息遣いも……何より気配すら感じさせずに。
目覚めたレシアはグシグシと目を擦り辺りを見る。
今朝はかなり寒い。その原因は隣に居るはずの彼が居なかったからだ。
一人で全裸で、それも掛けられていた毛皮を蹴り退かしていた彼女には、砂漠地帯の朝の気温は身に染みた。
「さぶさぶです」
慌てて毛皮を抱き寄せて身に纏い全身を覆う。
そのままの格好でコロンとまた横になって彼の帰りを待つ。
きっと用でも足しているのだろうと思い待つが戻らない。
きっと鍛錬でもしているのだろうと思い直し待つが戻らない。
何とも言えない不安からレシアは天幕の出入り口から顔を出して辺りを見る。
普段通りの色とりどりの世界だ。
常人では処理できないであろう色の暴流をその目に受けても、レシアにとってはそれが普通なのだ。
だが流石の彼女も焦りを覚えていた。
どれほど見つめても彼の色が見えない。意識を拡大して覗いても決して見えない。
息絶えていても残滓として留まるはずの『生命の色』が全く見えないのだ。
「ミキ?」
何とも言えない感情で胸の内が荒れ狂ってしまいそうになる。
毛皮に包まれて寒くはないのに、そのはずなのに……全身が震えて止まらない。
「ミキ~?」
冷たい汗が背筋を伝い転がり落ちるのが、変な具合に感じられて不快だった。
でも震えが止まらない。寒いのに汗が出てとにかく震える。
「ミキィ~っ!」
声の限りレシアは叫んでいたが、彼の返事どころかその残滓する見つけられなかった。
「カカカ……」
眼下に広がる状況を見つめ、雲を椅子とした老人は禿頭を撫でる。
愉快愉快と思いながらも、あれが若さかとも思う。
「虎穴に入らずんば……とは言うが、迷うことなく飛び込むのはちとどうか?」
朱色の盃を手に清酒を煽って老人は笑う。
「若さゆえの怖い物知らずか……それとも心の何処かで望んでしまったか……」
カカカと笑い老人は天を見上げる。
何も変わらず、元居た場所と大差の無い空は抜けるように青い。
「さあさあ……どうなることやら?」
笑い老人はまた酒を煽った。
「おはようございます三木之助様」
「……」
「まだ眠っていらっしゃるのですか?」
苦笑染みた笑みを浮かべ彼女が腰に手を当てた。
「昨夜は私との約束を守り早く帰ると言ったでは無いですか。それなのにまたお義父様と鍛練を始めて」
「それはあっちに言ってくれ」
「もう。今夜こそちゃんと約束をお守りくださいね。分かりましたか? 旦那様」
睨みつけて来る"妻"にほとほと呆れた様子で肩を竦め、横になっていた縁側から体を剥し立ち上がった。
「義父殿は?」
「さあ? 私に怒られるのを嫌がって逃げ出したのかもしれませんね」
「天下の武蔵にそう言えるのは、この国でお主だけだぞ?」
「あらそうですか」
クスクスと笑った妻に彼は心底呆れた。
(C) 甲斐八雲
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