其の陸

 普通に考えれば、今の彼女の状態は"普通"では無いのだろう。

 物心ついた頃から見えていた世界が、聞こえていた世界が閉ざされている。

 それは人の目と耳が使えなくなるのにも似た現象だ。だが灼熱の世界で彼女はある意味普段通りだ。


 ようやくたどり着いた砂丘の窪みに倒れ込み、ミキもレシアも深く深く息をしている。

 日差しが無いと言うだけでも有り難い。フード越しでも日の光で焼かれてしまいそうな気がしてくるからだ。


「レシア……大丈夫か」

「はい。でも少し疲れました」


 少しどころか完全に疲れ切った表情を見せる相手に、ミキは自分の隣をポンポンと叩く。

 流石に重そうな動きを見せるが、それでもレシアだ……迷うことなく隣に来ると甘え始める。


「球体から練習用の棒きれを取り出してくれ」

「はい?」


 理解しないまま彼の言葉だからと、レシアは胸の位置に収まっている蕩けた球体を取り出すと無造作に手を入れた。

 ゴソゴソと掻き混ぜて棒を掴んで出す。


「あと何本かあるだろう? 全部だ」

「は~い」


 彼女が仕事をしているうちに彼は自分が着ているローブを脱いで棒に引っ掛ける。次から次へと出て来る棒を使って簡易的な屋根を作った。


「おおっ! 流石ミキです」

「お前のもその辺に引っ掛けろ」

「はい」


 いそいそと脱いでレシアも棒に引っ掛ける。

 完全に日差しを遮断し、何より体から離れたことにより空気の層が出来る。

 日陰で冷やされる僅かな空気でも二人にとってはとても有難い物だ。


「なあレシア」

「ふぁい?」

「目と耳はどうだ?」

「ん~。まだダメですね」


 干し肉を取り出して齧り始めた彼女は、モグモグと咀嚼する。本当は乾パンも一緒に食べたいところだったが、あれは口の中の水分を全て持って行かれるので我慢した。

 普段通りの彼女の頭を軽く撫でてやり、ミキはその疑問を正直にぶつけた。


「怖くないのか?」

「怖い……ですか?」

「ああ。今のお前は普通の人間と同じ訳だろう? 何よりどうして急にとか不安にならないのか?」


 聞きながら『もしかしたら何も考えていないだけかもしれないが』と言う不安にかられる。相手は全く何も考えていない性格の持ち主だからだ。


「……自然の声は聞こえますしね。ああでも前みたいにはっきりとは聞こえません。何て言うか雑音が酷い感じです。でも聞こえてますし、たぶん平気です」

「どうにかなると思ってるんだな?」

「はい。それにミキがどうにかしてくれます」


 この真っ直ぐな信頼ほど重く圧し掛かる物は無い。だがレシアはそう信じているのだ。

 モグモグとまた干し肉を咥えだした彼女を抱き寄せ、ミキは相手の肩に頭を預けた。


「重いです」

「少し考えごとをするから寝るよ」

「……考えて無いですよね?」

「考えながら寝るってことだ」

「だから寝るだけですよね?」

「お前も寝ておけ。涼しくなったらまた移動だぞ」

「……も~」


 拗ねながら干し肉を食べ終えたレシアも自然と目を閉じて眠りに落ちた。




 日中の熱さなどどこかに消え、ミキたちは簡単な食事を摂ってまた歩き始めた。

 昨日は『次の砂丘まで頑張るか』と欲をかいて失敗した。その失敗を生かし、出来るだけ無理はしない方向でゆっくりと確実に距離を稼いでいく。


 それでも疲労などで確実に二人は弱まって来る。最初に限界が来たのはレシアだった。

 カクンと膝から崩れて砂の上に転がった。後ろ歩いていたミキも疲労から咄嗟に反応出来ず、数歩進んでから彼女が倒れたことを認識して抱き起した。


「少し休むか?」

「はい……」


 疲労の色が濃く疲れ切った様子の彼女を抱きかかえ、ミキは後のことを考えて砂丘を探す。

 ちょっと離れた場所に……それを見つけて、一瞬受け流した。


 この砂漠のど真ん中に焚火などあるはずが無いと思ったのだ。

 だが何度か視界に入るそれはどうやら幻では無いと理解し、レシアを抱え直して真っ直ぐ歩き出した。




「おや? こんな場所で人に逢うとはな……」

「失礼します」

「構わんよ。お連れさんは大丈夫かね?」


 禿頭の老人が、鍋をかき混ぜながら閉じた瞳を向けて来る。

 ミキは焚火の傍にレシアを横たえ様子を伺う。完全に疲労から憔悴しきっていた。


「女の身で渡るには辛い場所だからな」


 静かに言う老人は、鍋の中身を椀に移すとそれを差し出して来る。

 ミキは受け取り中身を確認すると、どこか葛湯にも似たとろみのある液体に見えた。


「人の体に害ある物じゃない。不安なら食わんでも良いが?」

「……」


 自ら口を付けて中身を確認する。

 酸味の強い葛湯に思える。ただかなり酸っぱい。


「気つけにもなる」


 違った意味で相手の言葉にミキは頷き返した。

 毒では無さそうだが味はかなり酷い。だがそれでも何か口にすれば食いしん坊の彼女が目を覚ますかもしれない。


 改めて口に含み、レシアを抱き起して口移しにする。

 最初余りの味に抵抗して来た彼女だったが、暖かく味のある"食べ物"だと気づいたらしく……貪る様に喉を動かし全てを飲み込んだ。


「ミキ……」

「何だ?」

「今のもう一回……って何で!」


 馬鹿なことを要求して来た馬鹿を砂の上に落とし、彼はまた焚火へと向き直った。




(C) 甲斐八雲

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