其の肆

「ん~。ご馳走様でした。にゃっにゃ~」

「おいレシア。何故勝手に飯を食べている?」

「ご飯の匂いがしたからです!」

「避けろよ」

「にゃ~!」


 ミキの言葉に従い彼女の頭上に居たレジックは見事に転がり落ちて回避した。

 そしてミキの手刀を食らったレシアは、テーブルに突っ伏して全身を震わせる。


 手加減無しで振り下ろしたから多少では無く痛いはずだ。その証拠に彼の手も痛い。


「あらミキさん。お戻りですか?」

「ああ。次の隊商の取次やら何やらでやることが多くてな」

「護衛の仕事を受けるにも手続きとか面倒ですからね」


 ガタガタと店の奥の方から物音がしたが、ミキは特に気にせずレシアと向き合う様に座った。

 軽い足取りで来たウエイトレスが食べ終えた食器を手にし、代わりに湯気が立ち上る陶器のコップを置く。


「蜂蜜茶か?」

「はい。疲労にはこれが一番だと昔から」

「確かにその話は良く聞くが……俺は甘くない茶が好きなんだよな」

「でもこの辺りのお茶はどれも渋みが強いので、そのまま飲むには少し」

「確かにな」


 先日お茶本来の味に挑戦して返り討ちにあったミキは、渋々コップに口を付ける。

 頭を抱えていたレシアも"甘い"の単語を聞きつけ復活し、フーフーと息を掛けて冷ましながら啜り始めていた。


 蜂蜜の風味は悪くない。だがやはり少し甘すぎる。


「今度から蜂蜜とお茶を分けて持って来てくれないか? 自分で入れたい」

「分かりました」

「それと何か……パンとスープでも頼む」

「はい」


 レシアと変わらない年齢の彼女は、いつもながらの笑顔を浮かべて厨房へと消えた。

 しばらく茶を啜っていると……机の上を転がるレジックが、行き場を求めてバタバタと羽を動かす。

 仕方なくミキはそれを抓むと、レシアの頭の上に置いた。


「私の髪は鳥の巣じゃ無いです」

「そうだな。そいつだって巣の代わりぐらい選びたいよな」

「む~。ミキの言葉がトゲトゲです」

「……誰のせいであんな馬鹿共に絡まれていると思っているんだ?」

「……あんな場所でご飯を作ってた人たちが悪いんです」


 頭の悪い馬鹿が寝言を言っているのだと理解し、ミキはサッと手刀を構える。

 ビクッと全身を震わせたレシアは、あわあわと慌てながら辺りを見渡し、テーブルに手を着いて頭を下げた。


「ごめんなさい」

「今さら謝れてもだから仕方ないが」


 頭の上から落ちない様に必死に彼女の髪を咥えているレジックを見てため息を吐く。

 この鳥が人をも払う力を持っていれば、こんなことにならないで済んだかもしれない。


 もう一度ため息を吐いたミキは……この街に着く前日のことを思い出した。




 どうにか街道らしき物に出た彼らを待っていたのは……食料難だった。

 つまり携帯していた食料が底を着いたのだ。

 空腹はキツイが我慢するしかないと考えたミキは、道端の草をむロバをジッと見ている彼女に声を掛けた。


「人の居る気配は?」

「……この近くには居ません。じゅるり」

「その涎は雑草に向いているのか? それともロバか?」

「私は飢えた獣じゃありません!」

「そうだな。飢えたただの馬鹿だもんな」

「この~!」


 空腹が気を短くしているのか、レシアは拳を握って彼に襲いかかって来る。

 振り下ろそうとしていた彼女の手を掴み、軽い体捌きでその腕を相手の背後へと回し締め上げる。

 関節の柔らかいレシアからすれば、痛いと言うより逃げられないと言う思いの方が強かった。


「ミキ。冗談です」

「ほう。お前は冗談で人を殴るのか?」

「殴って無いです。って怒って私を叩くミキの方が普段悪い人です!」


 グイッと掴まれた腕を締め上げられて、レシアは声にならない悲鳴を上げた。

 本気で相手が怒っている。これだから空腹は良く無いのだ。


「ミキ」

「何だ?」

「私……最後にお肉が食べたかったです」

「無駄な肉なら……ここは大丈夫か。ならこっちだな」

「にゃ~! ダメです! そこは触っちゃダメです!」


 腹を触られて嫌な予感がしたレシアだったが、どうやらその予感が的中した。

 むんずと彼に胸を掴まれてジタバタと暴れる。


 分かっている。また最近膨らんだことぐらい理解している。

 お蔭で踊る時の重心が微妙にずれて、その修正でいっぱい踊ってお腹が空いたのだから。


「……この胸が全部悪いんですね!」

「何を悟っての言葉か知らんが、もう少し恥じらいを覚えろ」

「にゃ~ん。勝手に触ってるのはミキなのに」


 暴れる彼女を開放してミキは頭を掻いた。

 こんな風に遊んでいても事態は解決しない。むしろ余計な体力を使って空腹が増すばかりだ。


「とりあえずお前の勘を信じてこの街道を進もう。運良く隊商と出会えば食料を買えるかもしれんしな」

「は~い」


 手を挙げて元気よく返事をする彼女と共にミキは歩き出した。




「盗賊か?」

「ですかね?」


 日が沈み街道から少し離れた場所で夜営の支度をしていると、レシアがそれに気づいた。

 人の気配だ。


『こんな時間にこんな場所で?』


 怪しんだミキは彼女を連れて様子を伺うことにした。


 確かに十数人の男たちが焚火を囲って酒を飲んで騒いでいる。

 周りに襲撃の後がない様子からただ飲み食いをして騒いでいるだけなのだろう。


 触らぬ神に祟り無しだ。ミキは気付かれる前にその場を離れようとした。


 と……隣に居たはずのレシアが居ない。辺りを見渡し、彼は一瞬固まった。

 焚火の傍、盗賊たちの間に座って……馬鹿が肉に食らい付いていた。




(C) 甲斐八雲

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