其の参拾参
驚きに目を剥き、ディックは腕の中に居る少女を改めて抱き寄せその顔を覗き込む。
眉間に小さく皺を寄せた少女の眼がうっすらと開き……その口が薄く開いた。
「おじ……ん。ぃたぃ」
「……おお済まん。済まんな」
驚きの余り強く抱き締めていた腕の力を弱める。
どこかホッとした様子を見せて微かに微笑む少女の口からは、まだ乾いていない一筋の血がツーッと走る。間違いなく相手の体は今だに壊れている証明だ。
だが少女の顔にはうっすらと赤みが差し始めている。
奇跡だ。
そう言うしかない状況なのだが、ディッグは自分の耳を打つ不快すぎる周りの音に顔をしかめた。
絶好調に最高潮を迎えているレシアの踊りは……新しい領域へと突入していた。
髪に七色の羽根を刺して飾りにした少女は、羽をばたつかせて飛び跳ねる七色の球体をまるでお手玉でもするかのようにその手で器用に回している。
踊りと言うよりそれは遊びだ。
枠も決まりも何もない。ただ体を動かし自然に楽しんでいるだけの動き。
ただ見る者を呆れさせるが怒らせることの無い平和で楽し気な空気を漂わせている。
弾けんばかりの笑顔を振りまいて胸に抱いた球体を投げては笑う彼女の様子はとても幸せそうだ。どんな辛いことが起きても癒されてしまいそうなその笑顔に……ディッグもまた口元に笑みを浮かべて呆れた様子で息を吐いた。
「見えるかカロン? お前の大好きなお姉ちゃんが踊っているぞ」
その体を起こし肩で相手の頭を支えてやって、ディッグは娘にその踊りを見せてやる。
楽し気に踊る彼女を見て……カロンもまた薄い笑みを見せる。
「きれい。……楽しそう」
「そうだな」
本当に楽しげだ。
と、二人の方に顔を向けたレシアは抱いていた球体を放って寄こした。
バタバタと必死に羽を動かしどうにか飛んで来たそれは、カロンの腕の中に収まると……僅かに覗かせている嘴で彼女の胸元に食らいつく。
一瞬のことで反応出来なかったディッグだが、その手を伸ばし球体を押し退けた。
嘴に黒い影の様な物を咥えて地面を転がったそれは、吸い込む様にその影を飲み干し……また一回り大きく丸くなる。
何が起きたのか理解出来ないまま、ディッグは噛みつかれた場所を覗き込んだ。
吐血して汚れたのであろう服に新しい染みは出来ていない。
「お爺ちゃん。胸が苦しくなくなった」
「胸が?」
「うん」
言われてみれば相手の言葉がハッキリとしている。
呼吸も楽になったのか、さっきよりも顔色が良くなったようにすら見える。
何が起きているのか全く分からないまま……またレシアが球体を放って寄こす。
カロンはそれに向かい自分から手を伸ばし受け取ると、また狙いを定めた様子で球体の嘴が少女の体に食らい付いた。
自ら黒い物を咥えて引っ張って離れたそれは、また吸い込む様に全てを飲み干す。
さっきと同じことの繰り返しだ。それはつまり、
「今度はお腹が楽になった」
「そうなのか?」
「うん」
笑顔で答える彼女に向かい……レシアはまとめてどうぞと言わんばかりに、球体をポンポンと投げて寄こす。
その全てがカロンの体に、腕に、足にと食らいついて黒い物を引き剥がして飲み込む。
本当に分からない。見ているはずのことなのに理解が出来ない。
だが飛んで来た球体が、カロンでは無く自分の元に届き、そして腹に食らい付いたことでディッグも理解した。
その部分は医師に『内臓が腐り出している』と言われた場所だった。
球体の嘴はその部分から黒い物を引き剥がして全てを飲み込む。
日々の暮らしの中で特別感じなくなっていた腹の鈍痛が消えた。
ディッグは服の上から手を当てて触ってみたが、確かに肥大した"何か"はそこに残っているのに、痛みだけが消え失せたのだ。
と、今度はグリラに投げられた石を食らった背中の痛みが消えた。
コロコロと転がる様に歩いて行く球体が、黒い物を吸い込み飲み干していた。
きっとそれが背中の"痛み"を食ったのだろう。
「何なんだこれは?」
「たぶん。食ってるんだろうな」
独り言に対して届いた返事にディッグは後ろを振り返った。
額と言うか全身から汗を滴らせている彼は、手を膝に置いて呼吸を整えていた。
「呼ばれたから急いで来ればこれか。何のために呼んだのか……納得出来なかったらお仕置きだな」
大きく息を吸いこみ呼吸を無理やり整えたミキは、老人に抱かれたままの少女の傍らに膝を着いた。
「どこか痛むか?」
「まだ少し……」
「そうか。ならコイツをその痛い部分に押し付けておけ」
ワシッと頭上に手を伸ばし、ちょうど飛んで来た球体を捕まえた彼は、それをカロンの腕の中に押し込んだ。
それから軽く体を触れて、酷い傷が無いか触って確認をする。
「古い傷跡とかは消えたりしない。新しいものならこんな風に傷を喰われてカサブタになるくらいだ。それだって擦ると取れてしまうがな」
少女に酷い傷が無いことを把握し、右肩の傷を食わせた球体を地面に置いたカロンの頭を撫でてやる。
「でも勘違いはするな。これは奇跡なんかじゃない」
「なん……だと?」
「これは一種のまやかし……幻覚だ。コイツ等は人の神経に強く作用する"何か"を作り出して、それを吸わせることで他者を騙す。つまりお前たちは今、その何かで騙されている状態なんだ」
「……」
奇跡の仕掛けを説明されて、ディッグは一気に現実に戻った。
彼の言っている言葉の意味はつまり、
「治った訳ではない。ただ迷わされているだけなんだ」
「……」
告げた言葉がどれほど酷いことかなんてミキも理解している。
これは奇跡では無くてただの詐欺だと。ただ……その詐欺には続きがある。
「レシアがレジックから聞き出した話だと、どうやらその何かは結構長い間作用するらしい」
「!」
「一年とかは無理でも来年ぐらいは……それ以上の期間、効果が出た時が"奇跡"なんだろうな」
笑顔で踊る彼女を見て、ミキはその顔に笑みを浮かべた。
(C) 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます