其の参拾壱

 死に物狂いで足を動かし、傷有りは人間たちの前に出た。

 昼夜野を走り回る自分たちが人間などに負ける訳が無い。


 地面に転がっているボウを踏みつけ、足の裏で確りと地面へと抑え込んだグリラは、人間たちの絶望した表情を見ようと思い振り返った。


 老人が眼前まで迫っていた。

 その振り上げた右手には鈍く光る物を確りと握り締めて、きつく噛み締めたその硬い表情からはっ!


 全力で振り下ろした鉈がグリラの顔面に深く突き刺さる。


 振り返った化け物が見せていた表情は、驚愕と言っても良いものだった。

 きっと鉈を振るう攻撃など考えてもいなかったのだろう。


 その顔から鮮血を噴き上げたグリラは、受けた衝撃から数歩後退し……それでもまだ倒れない。

 目を剥き、口を開き、全身を激しく痙攣させても尚、自分に向かい武器を振るったディッグを見ていた。


 鉈を振るったディッグとて自分がそんな攻撃をするとは思いもしていなかった。

 だが生きたいと願った体が勝手に動き、鉈を掴む己の手に気づいた時……自然と笑いがこみ上げてしまった。


 長いこと培ってきた自身の狩人の矜持など、生きたいと願う前では何とみすぼらしいものか。

 笑いたければ笑えば良い。


 ディッグは自身が胸を張って誇れる人間で無いと理解していた。

 みすぼらしい戦い方がお似合いの意地汚く生にしがみ付く人間なのだから。


(あの若造の様に……格好良く振る舞えんな)


 苦笑してディッグはグリラを見つめた。


「済まんな。お前には本当に悪いことをした。だが……狩る者。狩られる者。それぞれ命を賭けて戦うのだ。だから儂はどんな卑怯な手を使っても自分の命を拾う。それだけだ」


 言葉を発する人間が何を言っているのか理解など出来ない。

 グリラはただ……その腕を必死に動かし、自分の顔に刃を叩きつけた者の首を圧し折ろうとした。


「どんな手でも使うのだよ」


 タンッ! と、響いた音はとても軽かった。


 地面に転がる様にしてボウを構えたカロンが放った矢は、白いグリラの眉間の中心を捕らえた。


 ビクビクビクッと全身を震わせたそれは、静かに背後へと倒れ命を終える音を響かせた。

 ディッグは今一度、躯となった化け物を見下ろし……激痛で震える体を鞭打って振り返る。

 ボウを抱きしめる様に構えていた少女は、その顔を真っ青にさせていた。


「終わったなカロン」

「お爺ちゃ……ん」

「帰ろう」

「うん……うぐっ」

「カロン!」


 その口から血を吐き、カロンはそのまま地面へと倒れた。

 自身の痛みなど忘れ駆け寄った老人は、抱き起した相手の口から絶え間なく溢れる血におののく。

 急いで顔を横に向けて口の中の血を地面へと吐き出させた。


「カロン……」

「……」


 青かった相手の顔が血の気を失い白く見える。

 無理をさせたと今になって思い後悔する。その後悔がどれ程遅いかも感じながらだ。


「カロン」


 その小柄な体をギュッと抱きしめる。今にでも折れてしまいそうなほど細い。


「済まないな。ダメなお爺ちゃんで」


 フルフルと腕の中で少女の頭が左右に揺れる。

 それがどれ程嬉しく思えたことか。ディッグはその両の眼から涙を溢していた。


「ディッグ!」

「……ゼイグか」

「生きていたか!」


 村の狩人を連れて駆けて来たゼイグは喜びの声を上げた。

 だがその感情に冷や水を掛けられる。

 兄である彼は、一人の少女を抱きしめて泣いているからだ。


 初めて見る姿だった。

 両親を失っても気丈に振る舞っていた彼が、その巌の様な顔を子供の様にくしゃくしゃにして泣いていたのだ。


 続ける言葉を見つけられず視線を巡らせると、彼はそれを見つけた。

 地面に伏す白い塊。村の住人を襲い悩ませて来た化け物の長だ。


「……やったのか」

「ああ」

「そうか」


 全ての決着をつけたのであろう兄は、少女を抱いたまま立ち上がった。


「ゼイグ」

「……」

「後を頼む。儂は家に帰るよ」

「ああ」


 引き留めることなど出来ない。だから彼は素直に見送った。

 久しぶりに見た兄の背中が昔に比べて遥かに小さくなったと思いながら。




 こぽっと音をさせて少女が血を吐く度に彼は足を止めた。


 急いで帰ろうと云う気持ちは最初から無い。

 ただ二人で……残された時を過ごして居たかった。


 それでも彼にはしなければいけないことがあった。今を逃せばもう機会など無いのだから。


「カロン。儂は罪人だ。その昔……二人の人を殺めた」

「……」

「狩りの途中で、防寒用に獣の皮を被っていた夫婦をグリラと間違えて仕留めた。それがお前の両親だ」

「……」

「儂はお前の親を殺めた罪人だ」


 向ける顔が無い。だから彼はただ真っ直ぐ前を向いてその事実を告げたのだ。


 その言葉に対する少女の答えは……至極簡単だった。

 重そうに体を動かし、自分の体を老人へと寄せた。

 離れたくないと言わんばかりに、甘える様にだ。


「……ああっ!」


 堪えられなかった。

 耐えられなかった。


 彼は足を止めて地面に両膝を降ろした。


「何でも良い。誰でも良い。どうかこの子を救ってくれ! 儂の命ならくれてやる! 喜んでくれてやる! だからどうか!」


 どれほどの者がそれを願い口にしたか分からない言葉だった。

 奇蹟など起きるはずなど無いと知っているのに……人は最後にすがり願う。

 それはある種の本能なのかもしれない。

 血の気を失い命の火が消えかけている少女を抱く彼もその本能に従ったのだ。


「く~るくるで~す」


 故にそれを目にし、耳にした瞬間……彼は全てを呪った。

 何故か両手に七色の羽を握って踊る様に回っている少女と、その足元をコロコロと転がる様に歩く七色の物体をだ。




(C) 甲斐八雲

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