其の弐拾陸

 抱きしめられて、引き寄せられて……重なった唇からレシアの意識は吹き飛びそうになった。

 相手の舌が彼女の口内に差し込まれたのだ。


 今までに数度、そんなキスを体験したことはあった。ただこんなにも激しくされたことが無かったから、戸惑いと緊張で一瞬にして頭の中が真っ白になる。

 吸い尽くされてしまいそうなほど激しいキスに……レシアはその表情を蕩けさせた。


 と、好機と思い飛び込んで来たグリラに気づきミキは彼女から腕を放す。

 化け物の突進を宙を舞う羽毛の様に軽やかに受け流した彼女の眼に意識が戻った。


「ミキ! たぶん今のです! もう一度!」

「言ってる意味はさっぱり分からんが、周りがそれを許してくれる様子じゃないぞ?」

「大丈夫です。全部避けながらすれば良いんです。さあもう一度!」


 唇を尖らせて突進して来たレシアを回避し、ミキは彼女の背後から迫っていたグリラの眉間に突きを放つ。


 鮮血と脳しょうをぶちまけ、化け物は地面へと崩れ落ちた。


「もう少し品を思い出せ。……お前は品と言う言葉を知ってるのか?」

「良く分かりません。だからもう一度です!」


 改めて突進して来た彼女をひらりと交わして、もう一匹を袈裟斬りにする。

 ズルッと体を滑らせ二つに断たれたグリラが地面へと崩れた。


「あとで忘れないくらい徹底的に教えてやる」

「分かりました。分かりましたから……もう! どうして邪魔するんですか!」


 ワラワラと迫って来るグリラたちについにレシアが声を上げた。


 襲いかかって来る化け物に対してその言葉はどうかとと思いながら、声を荒げてグリラに対して怒りをぶちまける彼女の後ろ姿に……ミキは空いてる左手で手刀をお見舞いした。


「痛い」

「どうやら幻では無いみたいだな」

「酷いです! 私を何だと思ってるんですか!」

「食って寝て踊」

「それ以上言ったら本気で泣きますから!」


 酷い脅しにミキは口を閉じる。


「宜しい。……で、何の話でしたっけ?」


 突っ込んで来たグリラを回避してレシアは小首を傾げる。

 それに呆れつつ、ミキは刀を振って背中を見せているグリラの首を刎ねた。


「何でお前がここに居るんだ? カロンはどうした?」

「えっと……」

「レシア?」

「色々あったんです! 本当です!」


 あたふたと慌てながら身振り手振りで何かを訴えようとする彼女の手を取り、ミキは軽く腕を上げる。

 その動きに乗じて宙を舞った彼女の下を、飛び込んで来たグリラが通過する。


「詳しく聴こうか」


 剣先で化け物の延髄を貫き捻る。全身を震わせて絶命した。


「はい。えっと……村の人たちがお爺さんを助ける気になって、狩りに出ている男の人たちを呼びに行ってます」

「何があった?」

「えっと……」


 相手の目が完全に泳いだのを見て、ミキはその部分は後で他人から聞いた方が良いと理解した。


「で、カロンは?」

「はい。村長さんたちと先に行ってます」

「場所は?」

「あっちですよね?」

「お前には無駄に思えるその力は本当に欲しくなるよ」

「それってどう言う意味ですか!」


 跳びかかり彼の肩に手を置いたレシアは、全身のバネと勢いで相手を飛び越える。

 背後から突進して来ていたグリラは、獲物を待ち構える状態になっていたミキの一撃を喰らい血飛沫を上げた。


「それでお前はどうしてここに居る?」

「はい?」

「村に居ろと言ったろう」


 ピタッと彼の背中に寄りかかる状態で居たレシアは、その声音から相手の怒りを感じた。

 ただ怒られるのを理解しての行動だったから覚悟はしていた。


「嫌なんです」

「何が?」

「私は……死ぬならミキと一緒が良いです。ミキが死ぬ時はその側に居て一緒に死にたいです」

「……この大馬鹿が」


 振り向いたミキの動きにレシアはしゃがむ。

 丁度グリラの頭が良い位置にあったお蔭で首が飛んだ。


 一度動きを止めて、自分の足元に座る相手を見つめる。

 彼女も顔を上げてジッと見つめていた。


「良いか。俺の側に居る限りお前が死ぬなんてことは無い」

「……はい」


 満面の笑み。その信頼しきった表情に……ミキはため息を吐くしかなかった。

 怒る気など早々に失せていた。今の会話は全て怒った振りだ。


「全く……」

「はい?」

「お前が居ると本当に飽きないよ。何より騒がしくて休んでる暇もない」


 立ち上がったレシアは、そっと背伸びをして彼の頬に唇を寄せる。


「今の状況は私が悪いんですか?」

「そうしておけ」

「む~。納得いきません」


 相手の隣に立ったレシアは周りの様子に目を向ける。

 死屍累々の地獄絵図……こんなに酷い殺戮の場を見たのは生れて始めてだ。


 でも生きていれば死が訪れるのは自然の通りだ。それを否定することはシャーマンとしてあり得ない。

 そして彼も自分の命を賭して戦っている以上、これは一方的な殺戮などでは無い。


 そっとスカートの裾を手に取ったレシアは、軽く一礼をした。


「踊るのか?」

「それが私の役目です」

「そうか。なら……余り離れるなよ」

「ミキはいつも無茶なことを言って来ます」


 刃物を振るう彼の傍で踊るだなんて……考えただけで頭の中からじわっと楽しい気分が湧いて来る。

 本当にたくさんの刺激をくれる人だ。そしてこの刺激が経験なのだろう。


 レシアはその顔に笑みを浮かべて踊り出した。

 トントンと刀の峰で肩を叩いたミキは、正面に居るグリラに構えた。


「南無八幡大菩薩。死にたくなければ失せろ。斬られたら迷わず成仏しろ」


 一方的な命令は無慈悲に実行された。




(C) 甲斐八雲

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