其の弐拾
「ふんっ! 冷酷な男だな」
「だが事実だろう? ただの鳥であるレジックが起こす程度の奇蹟が本当に凄いことなら、伝承として伝わっているはずだ」
「……確かにな」
表情を怒らせていた老人が渋々頷いた。
「でも伝わっていない。それは何故か? 考える必要も無い。その程度の力ってことさ」
「だがそれを知ってすがる者も出て来るやもしれんぞ?」
「ならお前はすがるのか? レジックを探してグリラを喰わせて奇蹟を起こすか?」
「……」
「その沈黙が全てだよ。知られてもいない奇蹟なんて、すがって良いことなど無いと俺は思う」
朝から繰り返し読み深けた羊皮紙の束を丸め、ミキはトントンと肩を叩く。
老人は難しい顔をしたまま沈黙していた。そんな彼にミキは口を開く。
「聞いても良いか?」
「……何だ?」
「何故グリラの子を拾った」
「……」
軽く頭を巡らせ周りに人が居ないことを確認し、老人は深いため息の後口を開いた。
「今も分からんのだ」
「分からない?」
「ああ分からない。でも一つだけ分かっていることがある。あれを拾ったことが、どれほど愚かなことだったかということだ」
「群れの長になって人を襲っているからか?」
老人は疲れた様子でミキから少し離れた場所に腰を下ろした。
「確かにあれが群れを率いている。だが拾う前からグリラがこの地にやって来ていた。まあ人を見ていた分だけ知恵を付けて狡猾に動いているが、狩れないほどでは無い」
「ならどうしてグリラを狩り続ける? ゼイグは狩り続ける行為は自分の死に場所を探しているのだと思い込んでいたぞ」
また深いため息を吐き出した老人が、ミキの目には一回り小さくなったように見える。
巌の様な顔に存在している眼光鋭かった目には、何とも言えない弱々しさが宿っていた。
「あながち間違いでは無いよ。儂は探しているのだろうな」
「何を?」
「……自分の罪を裁かれる時をだ」
懺悔をする者の様な響きだった。
いや間違いなく老人は懺悔をしていたのだろう。
「あの子の両親は乳飲み子だったカロンを連れて山菜を採りに来ていた。儂はその日群れの長を追って走り回っていた。季節は冬。早朝は寒くてな……あの子の両親は防寒の為に獣の皮で作った物を身に纏っていた。そしてその日は運悪く曇っていたんだ」
「……」
「儂は見かけたそれを群れの長だと思って撃った。矢を何度も番えて撃ち続け……不意に横合いから出て来たグリラの攻撃に曝されてその場を離れた。しばらくしてから戻ってみるとズタズタに切り裂かれた死体が二つ転がっていた。だが致命傷は間違いなく頭部を貫いた矢だったんだ」
「……そうか」
パンと顔に、両目にその手を叩きつけ……老人は静かに体を震わせる。
「儂は急いで矢を抜いて誤魔化した。だがその途中で大怪我をして地面に転がるあの子を見つけた。儂に向かい必死に小さな手を伸ばしている姿を見て恐怖に震えた。その時になって儂は自分の犯した行為の恐ろしさに気づいたんだ」
気の抜けるような笑い声を吐き、老人は顔から手を離した。
「この手は人殺しの手だ。儂は何も悪事を働いていない者を殺め、その罪から逃れた罪人だ。そんな人物が幸せに生きるなど許されない。儂が許せない。だから儂はせめて自分に相応しい"死"が訪れる日を待って居るんだ。群れを率いるあれに殺されるのが運命ならば喜んで死のう」
自虐的な笑みを見せ老人は立ち上がった。
ミキは丸めた羊皮紙でまた肩を叩くと、家へと戻る彼に声を掛けた。
「聞いても良いか?」
「何だ」
「何故カロンを助けた? 償いか?」
その問いに老人は足を止めると、肺の奥から絞り出したようなため息を吐いた。
「分からんのだ。あの時……どう見ても助からないと思った。思ったのに抱えて村に走っていた。巡回の医師が丁度来ていたしな」
「そうか。ならもう一つだけ良いか?」
「……ああ」
「何故お前は戦い続けるんだ? 無様に死ぬ日を待ち望んでいるなら、着の身着のままで歩いてグリラに殺されればいい。それほど無様な死に方も無いだろうさ」
「そうだな」
もう会話はお終いだと言わんばかりに老人はまた歩き出す。立ち上がったミキは、懐から投げナイフを抜き出すとそれを振り向き様に投げた。
狙いにたがわず……老人の顔の横を通って家の壁に突き刺さった。
義父から剣術を習う前に叩き込まれたのが、十手術と手裏剣だ。
ただ手裏剣の方にだけは才能があったらしく、義父が言うには『お前に教えるのは面白くないわ』という褒め言葉をいただいた腕前だ。この距離なら絶対に外さない。
「……殺す気になったか?」
「逆だよ。完全に殺す気が失せた」
「なに?」
ギラッと恐ろしい気配を宿す視線を向けて来たが、ミキは欠伸でも溢しそうなほど気の抜けた表情を浮かべる。
事実本当に気が抜けていた。
「格好だけの必死さを見せている男を殺して何の経験になる? だったらその辺で『将来は将軍にでもなる』とか言って、木の棒を振り回している子供の相手をしている方がまだ良い練習になるさ」
「儂が子供以下だと言うのか!」
グワッと発せられたその声にミキはやれやれと肩を竦めた。
「今のアンタはただ必死に自分が強いと思って吠えている犬と変わらんさ。形だけで中身が全く詰まっていない。そんな人形相手に振るう剣を俺は持ち合わせていない」
「……」
「ディッグよ。本当に死にたい奴はな……アンタみたいに自分に良い訳なんかしないさ」
「知ったような口を利くな」
肩を怒らせて彼は家の中へと消えた。
ミキは頭を掻きながら空を見上げる。
「知ってるさ。俺は……な」
(C) 甲斐八雲
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