其の肆
こくこくと喉を鳴らしてレシアはどうにか水を飲み干す。
自力で飲むのも辛いが、数度に分けて彼が口移しで飲ませてくれるので、どうにか飲み干すことが出来た。
このまま火の番をしながら寝るさと笑って言う行商人に焚火を任せ、ミキはレシアを抱きかかえていつも使っている天幕の中に入った。
獣の皮で包んだまま横たえさせ、何度も顔色を窺い様子を確認する。
全身から汗が噴き出しているのは見て取れる。だから一度皮を剥いで彼女の衣服を確認した。
手作りの服は……汗を染み込ませてぐっしょりと濡れている。生地が肌に張り付くほどに。
ミキは躊躇うことなくその服を脱がし、乾いた布で汗を拭って普段彼女が使っている寝間着を着せた。
他人……それも異性に服を着せる経験など無いミキからすれば中々の一苦労だったが、どうにか服を着替えさせてまた獣の皮で相手を包んだ。
「ミ……キ」
「ん」
「寒いです」
「そうか」
横たえた相手の体を獣の皮の上からギュッと抱きしめてやる。
ホッと息を吐いた彼女は、苦しそうなのにどこか嬉しそうだ。
「ミキが……悪いんですからね」
「そうだな」
「だから……今夜はこのままです」
言って生まれた沈黙に、薄く閉じられていた彼女の目が開いた。
我が儘を言い過ぎたかと不安にでもなったのだろう。
クスクスと笑ったミキは、もう一度相手を強く抱き締めた。
「分かった。その風邪が治るまではこれで良いな?」
「……はい」
「寒いか?」
「はい。少し」
「今夜はこれで我慢してくれ。明日になれば少しは良くなるはずだから」
「……分かりました」
ふうと息を吐いてレシアは、その目を閉じて眠りに落ちた。
相手の一定の呼吸……寝息を確認したミキは、抱きしめる手をそのままに思考だけを切り替えた。
行商人が言っていた言葉が頭から離れないのだ。
長剣で飛んでいる鳥を打ち落とす者……それを聞く限り該当する人物が数人居る。中でもひと際有名な人物は、義父と相対した"彼"だろう。
『佐々木小次郎』
義父との果し合いで敗れた者の名だ。
本人から聞いた話では、木刀で相手の頭をかち割り勝利を収めたと聞いた。
弟子たちから拾い集めた話では……木刀で頭を打ったのは間違いなかった。地面に伏した彼が息を吹き替えし、襲いかかって来た所を弟子たちが止めたと聞いている。
果し合いがどの時点で決していたのかはその場所に居なかったから分からない。
ただ六十にも届く老剣士相手に弟子を連れて行く義父の用心深さには、本当に呆れを通り越して尊敬の念すら抱いてしまう。
そこまでするからこそ、生涯無敗なのだろうが。
ミキはそっと抱きしめている腕を動かす。
ずっと同じ場所に置いていると腕が痺れてしまうのを嫌っての行動だ。
何があるか分からないから、用心はしておかなければと気にかけている。
改めて相手の顔を覗き込んでみるが……月が沈んだせいか辺りが暗く良く見えない。
相手の額に自分の物を合わせて熱を調べる。気持ち下がった様に思えミキは安堵した。
一度二度相手の背中を撫でて、彼はまた思考の海に思いを向けた。
聞いた相手を佐々木小次郎だと決めつけるのは良くない。長剣の使い手は以外の他多いからだ。
何より見栄えが良くて受けが良い。見る者の視線を集めやすい。
そして飛んでいる鳥を落とすのも以外と簡単だ。
義父に言われるまま竹の棒を振るって、ツバメやスズメなど上手いこと叩き落すことが出来た。その気になれば女子供ですら出来る。
何より気になったのは行商人の言葉だ。
『まだ若いと聞く。齢は中年くらいだから……俺ぐらいじゃないか』と。
義父が果し合いをした時は老人と呼んで良い齢だったと聞く。そんな人物が今若々しいのはどうもこうしっくりと来ない。
確かに偶然自分が若いだけで、この世界に産まれるのがまちまちな可能性もあるが。
宍戸を見て勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないが……本当に相手が佐々木小次郎だとしたら?
若い肉体を得た彼は、間違いなく強敵なり得るかもしれない。
長剣が実戦たる戦場に向いていない理由は、その重量だ。長くて重い武器を振り回しているのは、腕などに疲労が溜まり直ぐにバテてしまう。だから実戦は短く軽くが基本なのだ。
それでも長剣を振るっているのだから余程腕に自信があるのだろう。
(もし本当に相手があの剣豪だと言うなら……命のやり取りになるかもしれないがやってみたい)
ミキの心は最初から決まっていた。
『誰であろうが会ってみたい』と。
抱きしめている相手に怒られるかもしれないが、レジック探しを終えたら次は長剣の使い手を探そうと決めた。
今なら彼女が言っていた言葉の意味が良く分かる。
『会いたいでは無くて、会わなければいけない』と、そんな気持ちが心を満たして突き動かす。
好奇心でも向上心でも探求心でも何でもない。ただ会ってみたいのだ。
「だから早く元気になってくれよな」
「……なぁ~」
何やら不思議な声を上げてレシアは鳴いた。
背中かと思って触った場所は、どうやら相手のお尻だったらしい。
ミキはクスクスと笑うと、もう一度相手を優しく抱き締めて……軽く眠る為に目を閉じた。
(C) 甲斐八雲
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