其の弐拾肆

 子供の頃……病弱だった母親の自室で、本を読んでもらうのが好きだった。

 父親の趣味で置かれている物は、戦いに関する物ばかりだったが。


 それでも闘技場の物語を幼いラインフィーラは、胸を躍らせて心待ちにしていた。

 仲の良い奴隷同士が舞台の上で戦う物語や、新人奴隷が絶対的な強者に戦いを挑む物語など。

 成長してから読み返せば、どれも空想の話であるのは容易に想像出来た。それでも彼女は闘技場に夢を見ていたのだ。



 理想的な戦いを。




 ガクガクと全身を震わせ、舞台の上に崩れる様に座り込んでいる彼女は……自分の前に立つ者を見つめて絶望の淵に居た。


 絶対的な強者の一方的な暴力。これが闘技場の現実だった。

 夢も理想も何もない……あるのは弱者が刈り取られるだけの殺戮場。

 相手の忠告を素直に聞いて屋敷に帰るのだったと、今更ながらに後悔していた。


 その瞳から滂沱の如く涙を溢し、彼女は自分の終わりをただ眺めていた。


 ふと相手の足が自分の顔に向かい跳ね上がった気がした。

 反射的に顔を仰け反らせて逃れようとする自分の意地汚さに笑みがこぼれる。

 この期に及んでまだ生き残りたいと願っているのだから。


「南無八幡大菩薩」


 だが……真っ直ぐ振り下ろされる相手の武器を、白銀の光を見つめて全てを諦めた。




 シーンと辺りが静まり返った。

 振り下ろされた刀が……地面に座る若者を、真っ二つに斬ったと観客の全てが思っていた。

 だが刀の峰でポンポンと肩を叩くミキは、観客席の方へと視線を向ける。


 興行主でもあるクラーナは初老の小太りな男だ。何故かシュバルとは昔から仲が良い。

 胸の大きな女が好きと言う共通の趣味がそうさせているともっぱら評判だが。


「クラーナ」

「どうした?」

「悪い。裏認定の試合だが……俺も舞台に上がる以上、破ってはいけない決まりを護らないとならない」

「ん?」

「……女を斬ることは出来ないと言うことだ」


 剣先で二つに断った相手の服を軽く動かす。

 ハラッと動いて晒されたものに……観客席の男たちが前のめりになって視線を向けた。


 形の良い胸が露わになっている。それはどう見ても男の物ではない。


「闘技場の舞台に立つ者ならその決まりは絶対に破ってはならない。そうだろう?」

「…………確かに」


 苦々しい表情を浮かべ、クラーナは頭を抱えそうになっていた。

 そもそも女を舞台に上げること自体、禁を破ってしまったと言えなくもない。

 闘技場は古くから『女人禁制』の場所だ。その場所に上がる女性が居るとは……興行主である彼からすれば、確認をしていなかったと言う不手際でしかないのだ。


「この試合、無かったことに出来無いか?」

「…………そうせざるを得まい」


 熟考した振りをして、渡りに船とばかりにクラーナはその提案に飛びついた。

 そこまで計算しての彼の行動だとは露ほど思わずに。


「この試合は無効試合とする」


 興行主の宣言と共に、ミキは舞台から飛び降りた。

 ライリーの背後で隠れていたレシアが姿を現し、また彼女の裸を見たことを怒り、拳を握り締めてミキを追い回しだしたのだ。




「コンソートの領主様のご令嬢らしい」

「そうか」

「婚礼前に逃げ出し探していたらしくてな……連絡を取り付ける寸前、向こうから使いの者が来たそうだ」

「良かったな」

「ああ。流石に令嬢を斬り殺したとなったらお前も危なかったかもな」

「そうだな」

「……なあミキよ? 何がどうした?」

「あの試合以来、怒ってこの調子だ」

「……仲の良いことで」


 背後から彼の首に抱き付き、相手の頭の上に顎を乗せている彼女が何をしたいのかは良く分からない。

 これにて話は終わりだと言いたげにクックマンは天幕から出て行った。


「で、レシア? いつまで続ける気だ?」

「む~。ミキがあんな酷いことをするのが悪いんです」


 グリグリと彼女の顎が頭を擦る。


 あの試合から二日。敗れたライリーは完全に心を折られ傷心しきりだ。

 多少やり過ぎたとも思うが……あれぐらい義父が相手ならざらだとミキは開き直っていた。

『もしかして宮本家のやり方は普通と違ったのだろうか?』と疑問に思うこともあるが。


「無理はしたが、あれで良いんだよ」

「どうしてですか?」

「下手に舞台で勝てば、うぬぼれてまた試合をする。そうすればいつかはもっと酷い結果になっていたかもしれない」

「そうですけど」

「それに俺は最初から女だって知ってたしな」

「……本当ですか?」

「ああ。だから舞台に上げないようにしていたんだ」

「……」

「正面に回って疑いの目を向けるな。……歩き方だよ」


 やれやれと肩を竦める。


「男と女は歩き方に差が出るんだ。だから最初から気づいてた」

「ならどうしてあんな無茶を?」

「ああ。……何となくだけど、言っても聞かなそうな気がしたからかな」


 それは彼が、はねっかえりの女性は嫌と言うほど見てきた経験からだった。

 クスッと笑って正面からレシアを抱きしめる。腕の中で甘える彼女はとても素直だ。




「済まんな。少し肌を斬ってしまって」

「……傷は残らなそうだと」

「そうあってくれないと困る」


 家の者が馬車を仕立てて迎えに来たと聞き、レシアに引っ張られてミキは彼女の前に来た。

 今更話すことなど特に無かったのだが……あの試合以降憔悴しきった感のある相手を見て流石に罪悪感を抱いた。


「お前の剣は悪くなかった」

「でも一方的に負けた」

「そうだな」

「それに闘技場の恐ろしさを……実戦の怖さを知った」

「そうか」

「……わたくしはもう無理だ。もうあの場所に近づく勇気も無い」


 ポロポロと涙を溢す相手の様子に、背後に居るレシアのただならぬ気配に……ミキはやれやれと頭を掻いた。


「なら次は伝える仕事をすれば良い」

「伝える?」

「そうだ。男には天地がひっくり返っても出来ない仕事……母親になって子供に伝えるんだ」

「……」

「戦場の恐ろしさ。実戦の怖さを……その子に伝えて、そして教えてやれば良い」

「何を?」

「人を殺す方法では無くて、人を護る方法を。そして生かす術を」

「……」


 柄にも無いことを言っていると自覚しつつ、彼は言葉を続けた。


「少なくともお前が産む子ならそれを受け継ぐ資質があるはずだ。ならば立派な子を育てれば良い。それが次のお前の"戦い"じゃ無いのか?」

「……戦いにはしたくない」

「なら平和的に教えてやれば良い」

「そう出来ると良い……な」


 そっと伸ばされた彼女の手を、苦笑気味にミキは握り返した。


「わたくしの名前はラインフィーラ」

「俺は宮本三木之助みやもとみきのすけ玄刻はるときだ」

「変な名前だ」

「自覚はあるさ」


 疲れた様子の笑みを見せ、彼女はやって来た家の者に連れられて行った。




 後にラインフィーラの子ラインハルトは、故郷のコンソートで文武に優れた領主となり、その才をブライドン国王に乞われ、王都にて政務に励み"王の右腕"と呼ばれるまでになった。


 彼は言う。『全ては母親の教えがあったからだ』と。




 移動する馬車を見送るミキたちの前を一頭の軍馬が走り過ぎた。

 そして伝令らしき兵は、その声を張り上げたのだ。




~あとがき~


 これにて弐章の終わりとなります。




(C) 甲斐八雲

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