其の伍
「うわ~ミキ。お肉です。塊です」
「黙って食べてろ」
「は~い」
元気良く返事した彼女は、そのまま肉に嚙り付いた。
『まだ湯気も出ているのに熱くないのだろうか?』と思いながら、現実逃避しかけた意識をミキはどうにか元に戻した。
「それでクックマン。ハインハルが兵を動かしたんだな?」
「ああ。ガギン峠の賊共を退治するために、この街から兵を動かしたそうだ」
「それも露店が減っている原因の一つか」
今日見て回って感じたことを口にする。
このイットーンは街道沿いの大きな街だ。だから住人も多く見回る兵も多い。
だが買い物をしながら見て回っていて気付いたのは、ハインハル正規兵が着用する装備を身に付けている者が減っていたことだ。
出兵に伴い治安悪化を恐れた露天商が出店を止めていることも考えられる。
ミキは腕を組んで、座って居る椅子の背もたれに身を預けた。
ゆっくりと目を閉じて頭の中に存在する"可能性"を精査する。
「兵が出たのは?」
「俺たちがタンザールゲフを離れた頃だな」
「ならもうガギンには到着しているはずだ。いや……戦いは始まって終わったかもしれないな」
「そんなに早く終わるのか?」
「野戦なんて物は、ぞんざい決着は早い」
「それでどっちが勝つ?」
「イットーンから出た兵の数は?」
「正規兵が約400だ。あとは民兵が200だな」
「……ならガギンの賊は、勝利の美酒を飲んでいるだろうな」
「本当か?」
「ガギンの賊が100程度なら負けている。だがその数なら最初のコーグゼントが攻めた時点で負けているはずなんだ。ならそれ以上の兵が居ると考えるのが得策だ」
体を起こし、ミキはテーブルの上のグラスに手を伸ばした。
クックマンが注文した上等な葡萄酒だ。奢りなのだから飲んでおかないと勿体無い。
「たぶんガギンの賊は200から300は居る。知っているかクックマン?」
「何をだ?」
「籠城している兵を落とすのには、最低でも3倍。出来たら5倍の兵を用いらないと倒せないって言葉があるんだ」
「……その考えから、お前はイットーンの兵が負けたと言うんだな?」
「ああ」
「なら明日……いや今直ぐにでも商売して銭を作った方が良いな?」
「知らせを持って走って来る早馬を止められれば、のんびり出来るだろうさ」
手を叩きクックマンは控えていた部下に何やら指示を出す。
自分の仕事は終わったものだと言いたげに、ミキは視線をゆっくりと動かした。
『意外と強靭な顎をお持ちで……』見た瞬間の感想がそれだった。
レシアは黙々と、必死に肉の塊と格闘していた。
呆れつつ立ち上がり、まずは相手の頭に軽く手刀を叩き込んで肉を剥す。
涙目で恨めし気に見て来る彼女を無視して、ミキはナイフで綺麗に肉を解体した。
「綺麗です。まるで切る場所が分かっているみたいです」
「煽てる前に道具を使おうな」
「刃物は好きじゃありません」
「だからって肉に嚙り付くのが正しいとは思えんな」
切り分けた肉の大半を相手の皿に乗せ、ミキは事前に説明を受けた特製のタレを掛けてから渡した。
タレの存在を聞いていなかったのだろうレシアは、一瞬首を傾げてからフォークで肉を刺し口へと運ぶ。
「ん~! ん。ん。ん!」
「食べ過ぎるなよ」
最早聞く耳などどこかに捨てた彼女は、その忠告など無視して肉の制覇に勤しんでいた。
「気持ちが悪いです。グルグルします」
「もう少しだから我慢しろ」
背負っている相手の顔は真っ赤に染まっている。
吐き出される呼気は……酒の匂いがする。
急いで肉を食べるあまり咽喉に詰まらせ、近くに在った飲み物で流し込んだ結果がこれだ。
初めて酒を飲んだであろうレシアは完全に出来上がっていた。
そんな彼女の面倒を見るのも彼の役目だ。
ただ……歩く度に背中に感じる柔らかな圧力に気が向いてしまう。
『飲み過ぎたな』と自覚しつつも、自分たちの部屋へと向かう。
上等な宿屋であるが、宿泊費は無料だ。
道中……ミキが退治した熊の化け物の皮がそこそこの値で売れたらしい。
彼からすれば修行の一環だったので気にもしていなかったが、宿代と食事代を差し引いてもお釣りが出るほどだ。
まだ少し身の回りの物を買っておきたいと思っていたから、それらの物の購入をクックマンに任せ……余った銭は商人の手間代として渡せば良いと考えていた。
説明された部屋へと入り、ミキは足を止めた。
豪華だった。思っていたよりもだ。
そして部屋の真ん中には天蓋付きの大きなベッドが置かれていた。
『本当にこれは、宿泊の為の部屋なんだろうか?』
別の用途で……大きな街には貴族の男子などが女を呼び込み狂乱に深ける為の宿屋があると言う噂を聞いたことがあるが、この部屋はそんな行為に対応出来るように作られた物なのかもしれない。
酔っているせいか変な方向ばかりに頭を使ってしまう自分に気づき、ミキはドアを閉じて施錠すると急いでベッドまで彼女を運んで投げ捨てた。
「むみ~。揺らさないで欲しいです~」
「言うことを聞かずに急いで食べたお前が悪い」
一応注意してみるが、相手の様子からして意味は無さそうだ。
白いシーツの上で安心しきった様子でその身を晒している彼女を見てて……ミキはゴクッと唾を飲み込んでいた。
自作の服が所々ほつれて、彼女の傷一つない肌を見せている。
ムラっとする自分に気づき、軽く頬を叩いて気を入れる。
「レシア。先に湯を浴びるぞ」
「うみゅ~」
言葉になっていなかったが、返事だと思って受け取っておく。
このまま相手を見つめていたら、酔った自分が何をしてしまうか解ったものでは無い。
別に手を出しても問題は無いのだろうが……修行を始めた矢先に快楽に溺れるのは気が引ける。
義父などは修行の一環として女遊びをしないと言っていた。
用心するあまり風呂にも入らないと。
その部分だけは見習えないミキは、部屋の隅に置かれている壺へと向かう。
部屋の一区画。その部分だけ床がタイル張りになっている。
濡らしても拭けば良い様になっている作りなのだ。
着ている物を脱いで裸となり、彼は壺の中に布を浸して体を拭き出す。
これほど豪華な宿屋でも"風呂"までは置いていない。
無理を言ってタライを借り受けて風呂代わりに使うことも出来るだろうが、そこまでの贅沢をする気にはなれない。何より布に湯をたっぷりと浸して拭けば十分に体を濡らせる。
全身を拭き身を清めた彼は、着替えの下着と部屋着替わりの貫頭衣を身に付けた。と……そこでようやくそれに気づいた。ベッドの上で座って居る彼女の存在だ。
落ち着きも無くフラフラと頭を揺らしているが、ゆっくりと彼を見て笑う。
「次は私が使うのですよ~」
「ああ」
「残りのお湯を独り占めです~」
「……」
危なっかしい動きでベッドを降りてフラフラと歩いて来る。
ミキは素直に相手に場所を譲ると、急ぎベッドへと移動した。
白いシーツの上には……彼女の"抜け殻"が転がっていた。
自作の服と白い下着だ。
「ん~」
上機嫌でまず髪を濡らして洗っているレシアは、最初から全裸だった。
酔っているのもある。
きっと自分に対して気を許しているのだろうという気持ちもある。
それでもミキは何か一言、ちゃんと言っておくべきだと思った。
年頃の娘が……そう簡単に裸を見せてしまう行為がどうしても許せなかった。
そういう意味ではミキもまだ"子供"なのかもしれない。
湯を浴びて、少し酔いが醒めたレシアは……それから何故か延々と彼の説教を聞く羽目になった。
どうして自分がこんなにも怒られているのか全く理解など出来なかったが、ただ何となく相手に思いやられていると言う気持ちだけがひしひしと感じられて少し嬉しくなった。
思いの外説教が長引くまでは。
(C) 甲斐八雲
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