其の弐

 突いた木刀が空を切る。

 よどみのない動作でこちらの初動を読んでいた相手からすれば容易い反応だった。

 だが渾身の突きをあっさり避けられた方はたまったものでは無い。

 口元に笑みを浮かべる"化け物"が、その太い腕を振るった。


三木之助みきのすけよ」

「はい」

「お前は本当に弱いな~。もう少しあれだぞ? 毎日確り剣を振れ」

「振っております! 義父おやじ殿が強すぎるのです」

「うむ。それは仕方ない。拙者は武蔵むさし宮本武蔵みやもとむさしだ。剣を持つ者なら、その名を知らんと言われるほどの者だぞ」


 カラカラと小気味良いほどに相手が笑う。

 地面に伏している彼は、どうにか顔だけ持ち上げた。


「義父殿の名はまだ……全国津々浦々まで響いていないでしょう」

「うむ。だが響く。もう少しだぞ」


 本当にどこから湧いて出て来るのか分からないほどの自信だ。

 だがその様子を見ていると、本当にそうなる様な気がしてならない。


『我が義父殿はいずれ歴史に名を遺すやもしれない』


 漠然とした思いではあったが、事実そうなる様な気がしていた。


『しかし自分は? その養子むすこたる自分はどうだろうか?』


 養父の様に歴史に名を遺すなど到底不可能だ。

 今だって手ほどきを受けているのにもかかわらず……一方的にやられて地面の上にのびている。この様な体たらくでは名を遺すどころか、義父の名に泥を塗りかねない。


 分かっている。分かり切っている。己の弱さなど……一番良く知っている。

 なぜなら"自分"の実力だからだ。


「ほれ三木之助? そのまま地面に伏して終わるのか?」

「いえ。まだまだに御座います」

「それでこそ宮本の名を継ぐ者だ。遠慮はいらん。どこからでも掛かって参れ」


 疲労と傷みで震える体に鞭を打ち、立ち上がった三木之助は木刀を構えた。

 そして遠慮なく木刀を振りかぶり、全力で義父に襲いかかった。

 ただ相手はあの宮本武蔵。その養子以上に遠慮のない攻撃が帰って来た。




「まあ! 御養父おとう様と剣の稽古だと聞いてましたのに」

「稽古はしていたさ。いつもながらに一方的にな」


 出迎えてくれた若い娘に手荷物を渡し、三木之助は屋敷の井戸へと向かう。

 その後ろ姿を追うかのように娘も付いて来た。


「それで御養父様に叩きのされたと言うことですか?」

「……」


 容赦の無いはっきりとした言葉が胸に突き刺さる。

 嫌な気持ちを泥と汗と一緒に、汲んだ井戸水で洗い流した。


「それで御養父様は?」

「城へと向かったよ。殿がお会いするそうだ」

「それはそれは」

「自分もこれから城へと向かう。支度してくれ」

「ええ。ですがその前に……その目の上のコブをどうにかしてください」

「……」


 養父の一撃を回避した時に転び地面の石にぶつけた時に出来たものだ。

 ちょっとやそっとではどうにも出来ない。それを分かっていて、相手は厳しくその部分を指摘しているのだ。


「貴方様は、少なくとも忠刻ただとき様のお側役なのですから」

「分かっている」

「……なら良いのですが」


 そっと近づいて来た娘は桶の中に布を入れると、濡れたそれを彼のコブに当てた。


「痛いな」

「コブですから」

「……押してないか?」

「ええ。心配させるものですから」

「……済まんな」


 彼は相手の着物が濡れてしまうかとも思い躊躇ってしまった。

 一瞬の迷いの中で……それを見透かしたように動いたのは娘の方だった。

 コブから手を離し、彼の胸に体を預けるようにその身を寄せて来た。


「本当に済まんな」

「いえ。分かっていますから」


 相手を抱きしめ、その耳元に口を寄せる。


「本当に済まんな……幸よ」

「……分かりました」




 スリスリと押し付けられる感触に気づきミキは目を覚ました。

 抱き付いて眠っているレシアがその顔を擦り付けているのだ。


『まるで猫だな』


 ずいぶんと大きな猫もいたものだと場違いなことを思いながら、ミキは相手の頭に手を置いて引き剥がした。


「む~。何ですかミキ?」

「もう少し離れろ」

「嫌です。寝る時はミキをギュッとして寝るって決めたんです」

「俺に相談も無くか?」

「はい。ミキならきっと許してくれます」


 どこから出て来る自信なのかは分からないが、レシアはまた抱き付いて来てそう言った。

 これは何を言っても聞いて貰えない。それを理解出来るミキなだけに……説得することを早々に放棄した。

 確かに色々と宜しく無い部分もあるが、可愛らしい異性に抱き付かれる行為自体は悪くない。


「出来たら毎晩は止めてくれないか?」

「どうしてですか?」

「暑い」

「……うりっ」


 全力で抱き付いて来たのが相手の返事らしい。

 どうやら暑さより抱き付く行為の方が優先されたらしい。


「ところでミキ」

「何だ?」

「"さち"とは何ですか?」

「……何のことだ」

「眠っているミキが言ってました。どこか辛そうに」

「……そんなこと言ってない。夢でも見ていたのだろう」

「夢ですか? 聞いた気がするんです」

「気のせいか夢さ」

「む~」


 こちらを疑う様な目を向けて来るレシアに、彼はその顔を掴まえると唇を合わせた。

 一瞬の緊張。だが溶解する様に緩まり……彼女は相手の行為を受け入れる。

 普段見せないほど貪る様にキスをして、ミキは相手の顔を見ないように視線を外して抱きしめた。


「気のせいだよ」

「……分かりました」


 ミキにはその返事が、まるで"彼女"に言われた様なそんな気がした。




(C) 甲斐八雲

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