3.3.32 西方軍 ティアラの素顔

――王国歴 301年 仲春 貴族連合討伐軍 西方軍 診療所


「今日は隣の陣営からの負傷者が多いわね。激しい戦闘が起きたのかしら……。アイラ、念のため追加のベットと看護師を準備するように看護婦長に伝えておいて」

アイラは頷くと白エルフの看護婦長の元へと駆け足で向かう。


敵将、セリシア少将を倒してから、シャーロット陣営における本格的な戦闘は終結した。シュナイト陣営から負傷者が稀に訪れるが、いずれも軽症で、治療よりも女性の白エルフと話をするのが目的のようだ。


そのため、診療所は医療体制を見直し、ベット数と人員を削り、診察時間も短縮していた。そのような中、シュナイト陣営から負傷者の受け入れ要請を受け、慌ただしく準備を始めていた。


「おい、アイラ、ティアラ院長、重体の負傷者が二名だ。すぐに手術してくれ」

ジレンの大声が診療所に響く。


「他の患者さんに迷惑だわ。ジレンさんに注意してきますね」

アイラは診療所の入口で叫ぶジレンの元へと階段を下りて行くと、すぐにバタバタと階段を駆け上がる音が聞こえ、アイラとジレンが現れた。そして担架に乗せられた二人の負傷者が運び込まれる。


ティアラは負傷者を一瞥すると、

「すぐに手術室へ運んで。ジレンさん、ザエラ兄さんを呼んで来て」

と言いながら、すぐに手術の準備に取り掛かる。


◇ ◇ ◇ ◇


「そこの女、ここはどこだ?」

手術室に運ばれたドウェイン少将が意識を戻し、ティアラに声を掛ける。


「第一王女様が開設された診療所です。貴方は上半身の刀傷が肋骨を砕き内臓まで達しています。内臓の切断部を縫合し肋骨を接合材で固定する手術を始めます。痛み止めの魔法を掛けますが、短期間で切れますので我慢してください」

ティアラは極力、冷静な口調で話しかける。魔法薬ポーションで応急処置されているが、いつ死んでもおかしくない状態だ。いつになく全身に緊張が走る。


「……馬鹿な、亜人の診療所ではないか。院長は魔人と聞いたぞ。お前たちにわが身を委ねて治療を受けるなど、我が家の威信プライドが許さぬ。今すぐに我が陣営の医務室へ連れて行け……うぐぅぅ、はぁ、はぁ」

ドウェイン少将は怒鳴りながら起き上ろうするが、痛みのあまり呻き声を上げる。


「彼を今から隣の陣営の医務室に連れていきましょうか?おそらく輸送途中で死ぬでしょうが、我々のような人族以外の治療を拒むなら本望でしょう」

アイラは冷たい表情でティアラに問いかける。ティアラは首を横に振り、飽きれたようにドウェイン少将に話しかける。


「それぐらい根性があれば、数時間におよぶ手術にも耐えれそうですね。こちらの診療所はすべてのベッドが埋まり、通路にも患者がいます。貴方の陣営の医務室も同様でしょう。医師としてここで手術をするのが妥当と判断します」


「くそっ、恥をかくぐらいなら死を選ぶ。軍人を舐める……うぎゃあぁ、い、痛い……死にたくな…い」

ドウェイン少将が話している途中、ティアラは消毒液を浸み込ませた綿布を傷口に押し当てる。彼はその痛みで呻きながら気を失う。


「ようやく静かになったわ。アイラ、‟除痛リムーブ・ペイン”をお願い。手術を始めます。長時間になるけど頑張りましょう」

ティアラは深呼吸して集中すると、切断された内臓の縫合を始めた。


◇ ◇ ◇ ◇


夕方から始めた手術は、約半日の間、休みなく続き、早朝に終了した。


「ふう、手術終了。体に負荷を掛けないように間隔をあけて回復魔法をお願い」

白エルフの看護師に指示して、ティアラは手術着を脱いで帽子とマスクを取る。そして、目元を抑えた後、大きく背伸びをする。緊張が解けて疲れがどっと出たようだ。


アイラはザエラの手伝いに行くといい残してしばらく前に部屋を出た。ザエラはもう一人いた重体の患者の担当だ。右腕の接合という高度な手術でまだ続いている。


(兄さんなら私の手伝いなど不要だろう)

ティアラは机に置かれた葡萄酒の瓶を掴むと診療所の外へと出ていく。そして人気のないところで足を拡げて腰を下ろし、瓶の蓋を口で開けて飲み始めた。


◇ ◇ ◇ ◇


暫く一人で飲んでいるところに、若い男性が声を掛けて来た。

「ティアラさん、お久ぶりです。晩餐会でお会いした貴方が忘れられなくて、捜していたのです。再びお会いできてうれしいです」


ティアラは晩餐会で対面した貴族の男性だとすぐに気づき、

「あら、シュナイト様、おはようございます。このような恰好でごめんなさい」

と片手に葡萄酒の瓶を握りしめたまま、挨拶を返した。


シュナイト公は彼女の隣に腰を掛けて、心配そうに声を掛ける。

「どうしたんですか?朝からお酒を飲んで、随分とお疲れのようですが」


とろんとした目でシュナイト公をじっと見つめた後、笑いながら答える。

「そう、朝からお酒を飲んで私は悪い子なんです。晩餐会の私はサーシャさん渾身のお化粧と綺麗な衣装で飾られてただけですよ。普段は化粧はしないし、髪も無造作にまとめただけです。服も清潔であればこだわりません。ふふふ、失望しました?」

と言いながら、葡萄酒の瓶に口を付ける。


シュナイト公は葡萄酒の瓶を握るティアラの手を掴み、

「始めて貴方を見た瞬間、全身が痺れて鳥肌が立ちました。そして、会話中の貴方の飾らない表情に見とれたんです。化粧や服装は関係ない。だって、今も貴方を見ていると鼓動が高まります」

と言うと、真剣なまなざしで彼女を見つめる。


「それは光栄ですわ。でも、私は貴族様がお嫌いな魔人ですわ」

ティアラはヘアバンドを外すと額の触眼が露わになる。


「額に六つの赤い触眼、私はアルケノイドです。既に兄さんから聞いているかもしれませんが。さきほどは、人族の負傷兵から手術を拒否されました。魔人に治療されたくないと罵倒されました。街の診療所では人種なんて気にしたことがなかったに……軍の診療所は難しいですね」

シュナイト公を見つめながら話すティアラの瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。彼はティアラをぎゅっと抱きしめて背中をさする。ティアラは彼の胸の中で声を押し殺して泣き始めた。


「私の兵士の言動で貴方を苦しめてすまない。今後は人種差別を厳しく罰することを約束する。私は人種など気にしていない。貴方の額の魔石は宝石のように美しい」

シュナイト公はティアラの額の触眼を優しく撫でながら耳元で囁く。


「そこを触られるとくすぐったいです。”私の兵士”だなんて、身分の高い御方なのですね。私のことは気にせずに部下には優しく接してください。ふふ、シュナイト様の服からとてもいい匂いがします」

と言うと、ティアラはシュナイト公の胸の中で眠り始めた。彼が目配せすると、執事が現れて毛布を二人へ掛ける。


◇ ◇ ◇ ◇


「シュナイト様、大変失礼しました」

ティアラはシュナイト公の腕の中で目を覚ました。酔いはすっかり冷めていたが、シュナイト公の腕の中で眠るまでの経緯を思い出せない。


「何か失礼なことを話していたら申し訳ありません。私はお酒に酔うと記憶をなくしてしまうので……でも、シュナイト様は暖かくて気持ちよかったです」

「気にすることはないよ。疲れていたようだね」

顔を赤らめて謝罪するティアラに、シュナイト公は優しく微笑む。


「できれば、お兄様には秘密にしていただきたいのですが……」

「あはは、もちろん誰にも話さないよ。二人だけの秘密さ。ところで、この戦争が終わっても、軍医として働き続けるのかい?」

「ありがとうございます。来年成人を迎えますので、戦争が終われば、王都の養成学校に通い、正式な医師を目指します」

「私も王都に住んでいるので、その時は再開を祝して食事でもどうだろうか?」

「はい、そのときはぜひお願いします。では、そろそろ失礼いたします」

ティアラは会釈して診察所へと戻る。しばらく進むと振り返り、笑顔でシュナイト公に小さく手を振る。彼もそれに答えて手を挙げる。


「緊急の全体軍事会議を開く。中尉以上を招集してくれ。人種差別に対する罰則強化について説明を行う」

シュナイト公は厳しい表情に変わり、待機している執事に指示した。

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