第65話 64.一戸建ヒヤシンスの根伸び続く

 ワード64.は一戸建てか。

 一戸建の空き家が多い町で、だいぶ楽ができている。多少の生活音程度であれば、近隣を気遣う必要はないからだ。灯りさえ気を付ければ、不審がられることはない。

 ただ、家への出入りは深夜に限定されるので、日中に外出していなければならない日は随分と時間が余る。そうした場合でも、コンビニや公園などの特定の地点に長時間とどまって時間を潰すことは控えなければならない。人目に触れる場所では、常に一所不在の修行のように、風のように、旅行者のように、根無し草のように、漂っていなければならない。この町は、よそ者の噂が瞬く間に広がるほど田舎ではなかったが、どこに誰がいても気にしないというほど都会でもなかった。

 そういうところに住んでいると、勢い、ネットへの接続も制限される。そういうわけで、前回の意気込みはどこへやら、このサイトへのアクセスも随分と久しぶりだ。


 一戸建鋳型の如し春の闇

 如月の襞や空き家の一戸建

 旧正の飾りの残る一戸建


 身を潜めるのに重要なのは、一軒家過ぎないこと。垣根などで囲まれて過ぎていないこと。敷地内に納屋やガレージがないこと。窓硝子やカーテンがあること。などだ。


 一戸建早春の窓暗きまま

 一戸建表札跡の冴返る

 一戸建に余寒の如く留まりぬ


 旅人でいるか。それともコミュニティーに入り込むか。過去に長期間逃亡・潜伏した事例を調べれば、いずれはどこかに根付いてつつましく暮らすという選択をとらざるをえない、ということが明らかだ。協力者もなく、潜伏し続けることは難しい。可能なのは、遍路や行者になることくらいかもしれない。私はそのいずれの適正もないし、幸いなことに今回は比較的短期間の潜伏で済んだ。だからこそ、こうして更新することができているわけだ。


 一戸建不法占拠の目借時

 朧月アルファ米食む一戸建

 春雨に隈なく濡るる一戸建

 一戸建出る足跡や春の雪


 元町会議員がどれほどの権力をもつものか、私は知らないし、知りたいとも思わないが、もしそのような権力が実際に在るとするなら、この町はその程度の町であり、その程度の町に相応しい町民が棲む町だったというに過ぎない。本当に、私にはどうでもよいことだ。観光も産業も無い、ごくありふれた町の、元町会議員がいた過去といない未来とで、一体何が変わるのかもわからない。それでも変化とはそのようにしか生じず、失われた臓器の隙間を小腸がそれまでとさほど変わらない密度で埋めてしまうのと同じように、変化は変化によって帳消しとなる。

 

 野焼の日風向き怪し一戸建

 春の田の間に燃ゆる一戸建

 春の泥踏みて逃れるる一戸建


 私は変化をもたらすために遣わされたのか。それとも変化を留めるために送り込まれたのか。私は自分が何かを成せる人間だとは思わない。ただ、私は私を存続させるための活動を行うだけだ。それが変化なのか無変化なのかなど、本当にどうでもいいことなのだ。


 住む人の無き一戸建て蜆汁

 百千鳥一戸建には人の息

 田螺鳴く一戸建には目も耳も

 

 四五軒の空き家転々梅の花 とでもいうような風雅な数週間だった。これから海岸線へ出て、日払いの仕事でもしてみようかと考えている。ときおり、労働価値=時間という旧来の経済論に浸ってみるのも悪くはない。貨幣を媒介として間接的にしか現実と関わることができない現代社会においては、肉体と貨幣がシンプルに直結する日払い労働というものは、なんというか、下手な考えを払拭させてくれるような気がするからだ。


 どの庭も梅どの家も一戸建

 猫柳一戸建から飛び出して

 黄水仙買い手のつかぬ一戸建


そして表題句

一戸建ヒヤシンスの根伸び続く

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