第60話 59.錨より滴り止まぬ聖母祭

 もう、三月も二十日になろうとしている。僕はいままでどこにいたのかは、ちょっと言えないが、またこうして続きを書けるというのは喜ばしい。あきらめたわけではない。ただちょっと疲れている。そんなときは俳句のようなものはいくらでも作れる。今回の「錨」だが、質感といい、風情といい、比ゆ的意味といい、じつに有能なお題である。つまり、とても類型に陥りやすく、凡人以下の句が量産されがちなお題だということでもある。

 戻ってきて一発目が「錨」というのも因縁を感じる。括り、括られ錨の鎖。ともあれ、病院の待合室の一時間ほどで闇雲に呼んだ句を羅列する。

リハビリである。


陸風や錨に触るゝシャボン玉

春潮を貫いてゐる錨かな

春の潮錨は少し押し戻し

錨上げ春濤に流されてみる

げんげ田へ錆びし錨の顕るゝ

春泥の乾ききつたる錨かな

凍返り錨のやうな重さかな

残雪の遅れて落ちる錨かな

大試験席へ錨をおろしけり

卒業や上げた錨は羽となる

春燈下錨の影は錨型

春炬燵錨の重さ論じ合ふ

論ずるは錨の重さ春

北窓を開け錨を眼前に

山焼の煙を潮に錨上ぐ

錨上げ山焼の火を廻り込む

この村は耕馬に錨曳かすとか

畑打や錨の鎖上ぐる音炬燵

畦塗の腰を伸ばさば錨落つ

苗売の錨の落ちるとき黙る

蓮植うる錨沈めしごと植うる

海と霧引つかけて来し錨かな

花篝錨の影を船の腹

蜆船錨のやうなものはなし

磯遊び舟は錨を投げ落とす

観潮船錨のほかのみなうごく

野遊びに母は錨をおろすかに

摘草の忙しく錨上げ下ろし

花人に夕べの錨上げる音

花守の腕に錨のTATTOOあり

風船の括られている錨かな

イースター大きな穴のある錨

風車翳し高所の錨見る

ニューネッシー錨にかかる受難節

鳥寄らば錨は静かなる鞦韆

春の風頭に錨のつてゐる

沈みたる錨のやうな朝寝かな

春眠や錨を下ろすこともせず

余りたる錨のやうな雛道具

それぞれに錨断ち切り雛送り

四月馬鹿錨とともに没しけり

蛇穴を出て錨へ下りける

亀鳴くや錨の上下する釦

つばくらが巣を作らむと見る錨

粛々と錨を上げて帰る雁

鳥雲に水したたらせ錨上ぐ

囀りは濡るゝ錨の上までも


そして、表題句は

錨より滴り止まぬ聖母祭


まだまだ続けていく。




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