第21話 20.麦秋のニキビ放牧場曇る
ワード20『ニキビ』
俳句には、尿も糞も当然のごとくでてくる。俳諧主義というよりも、ロマン主義的な「現実」を題材とすることを是としたのだろう。幾分諧謔的になるのは許容するとしても、シニカルになってはつまらない。
中高生の頃、ニキビは大きな問題だった。プロアクティブやクレアラシルのCMの「ニキビがあるから全部駄目」といった演出は、あながち大げさではなかったと記憶している。名前よりもニキビが真っ先にうかぶ同級生もいる。彼は歴史がとても好きで特に戦国時代に目がなかった。野球部にも一人いた。彼は男前で、朗らかな性格だった。逆にニキビが何もなかった同級生は、1年で退学した。分厚いメガネをかけていて、クラスから浮いていたところがあった。端的にいってイジメの末の退学だったのだと思う。むろん、その結果に僕は消極的にではあったが加担していたのだ。
思い返してみると、当時、他人のニキビのことはさほど気にしていなかったのではないかと思われる。自分の容姿のことで手一杯だったからだ。自分が他人からどう見られるかを気にして、髪形、臭い、話し方、立ち居振る舞いのすべてを、他人の目で捉えていた。少なくとも自分ではそのつもりであったが、それが客観的だったかといえば、徹頭徹尾主観的ではなかったかと思う。自分がどう見えているかを直接言い合う関係をもてる相手を、ぼくは持たなかった。
現在も時折、かりんとうやボテトチップを食べ過ぎたりすると、吹き出物ができる。ニキビと同じなので、ニキビと呼べばよいのかもしれないが、年齢的に、もはや『ニキビ』とは似て非なるものなのではないかと思うから、吹き出物なのだ。
『ニキビ』は象徴だ。
『ニキビ』の俳句は、たいへん難航したが、継続的に検討していくに値するワードであるとの確信をもった。
なぜならば、『ニキビ』を、単純に『ニキビ』そのもの、または『ニキビ面』として句にしてもまったく面白くないからだ。面白い句が作れない実力のなさ、という妥当な指摘はひとまず措いて、『ニキビ』を『ニキビ』そのものから離れて、象徴として捉えた上でそれがやはり『ニキビ』そのものであるところに着地する俳句ができれば、その俳句の世界はなかなかおもしろそうだと、思うからである。
今回はとてもそのようなものにはなっていないが、取っ掛かりとして記録しておく。
麺麭にバタ分厚くニキビ塗り了る
顔面がニキビ炸裂鬼やらひ
卵受く復活祭のニキビ面(胸に享く復活祭の染卵 石田波郷)
そして表題句
麦秋のニキビ放牧場曇る
今回はこれで。
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