第8話 六条千有莉の小さな決意と歴史の分岐点
・・8・・
一一月二一日。
六条千有莉は救出された直後に鎮静剤を投与されてから眠りについたままだった。極度の睡眠不足と緊張状態。さらに精神不安定によってこれまで抑えていた様々な負の感情と負担が彼女を蝕んでいたからである。
六条千有莉は夢を見ていた。
悲惨な夢だった。
戦争が始まってから、彼女の置かれた環境は想像を絶するものだった。こうなってしまった原因の元を辿れば首都東京に残ってしまったからかもしれない。だが、軍も官も民も混乱の極みにいたのだからどうしようも無い。
友を守る為、人々を守る為、そして何より六条本家の一人として、若くしてB+ランクという魔法の才能と実力を持っていたからには東京の場を離れる訳にはいかなかったのである。
彼女は東京をCTとバケモノを率いる神聖帝国に奪われてから、敵性対象に食われぬよう、捕らえられぬよう逃げ回ってきた。
時には闇夜に紛れ、時には地下に潜伏し、時には発見されながらも逃げ延びていた。
しかし、避難していた先に神聖帝国の軍人が現れてしまった時が、逃亡生活の終わりだった。彼女は、彼女と共にいた人達は捕縛されてしまったのである。
そこで起きてしまった事が次から次へと脳裏に過ぎっていく。夢の中でハイライトのように再生されていく。
あの時の悲鳴。絶叫。怒号。慟哭。断末魔。聞こえてはいけない音。見てはいけない光景。嗅いではいけない臭い。
逃亡していた期間より捕まっていた期間の方がずっと短かったが、それでも彼女の脳裏にこびり付いて離れなくするには十分過ぎる記憶達だった。
忘れたくても忘れられない。眼前で、近くで、少し遠くで、巻き起こった凄惨な出来事。抗う手段を失った者達が向かう目を背けたくなる数々の神聖帝国人達の悪行。
それらがずっと、再生されていて。
そうして彼女は、目を覚ました。
「ああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!!!!!」
六条千有莉は目を開くと泣き叫んだ。そこが救出されてから搬送された高尾の臨時野戦病院だと知る訳もなく、また捕縛されてしまったと思ったのだろう。
勿論、医師と看護師はすぐにすっ飛んで現れた。彼女が要人だからというのもあるが、精神的に重い病状である事が予想されていたからだ。
「六条千有莉さん、安心してください! ここは八王子、私達は日本人です!」
「私は日本軍の医官です。大丈夫ですから、大丈夫ですからね」
言語というものは偉大である。特に今回の大戦が異世界からの侵略者によるものだから、耳に馴染みのある日本語は彼女をほんの少しだけ安心させる事が出来ていた。
「あああ、ああぁぁぁ…………」
「私は日本人です。私は日本軍の医官、徳重です」
「あぁ、ぁ……。…………に、ほ、ん……?」
「はい。隣にいる看護師二人は湯川と沖山。彼女と彼も、軍看護師です」
「にほ、ん、ぐん……。わたし、を、助けてくれた、あの人達と、いっしょ……?」
「米原魔法少佐と高崎魔法少佐の事ですね。はい、そうです。同じ軍人です」
駆けつけた軍医の徳重少佐は、優しく微笑み柔らかい声音で六条千有莉の細い左腕を握る。暴れて抜けてしまった点滴の針から微量の出血もあったからだ。二人の看護師はすぐに点滴の付け替え作業に移っていた。
新しい針に替えられ、栄養剤のパックも替えられていき、短時間でテキパキと処置を終えていた。その頃には六条千有莉はやっと落ち着けていた。
「すみ、ま、せん……。わた、し。私は……」
「お気になさらず。――六条千有莉さん。ここは八王子高尾の臨時野戦病院の個室です。我々は日本軍。その医官と看護師です。貴女は米原少佐と高崎少佐達に救助され、その後ここに運ばれました。ですから、ご安心ください」
「はい…………。でも、野戦病院、ってことは…………」
「八王子は我々が奪還しました。前線は随分先ですから、ここは安全圏ですよ」
徳重が言う安全圏と随分先という言葉はほぼ本当だが少しだけ嘘だった。今の前線は国立。高尾から国立までは約二〇キロと一般人の感覚からすればそれなりの距離だ。だが、随分先ではない。CTを抑えつつ討伐し、奪還域を広げているから安全であるのは確かだが、絶対というには心許なかったからその言葉は使わなかった。
千有莉は徳重の話を聞いて安心したのだろうか。彼女はようやく深く息を吸うことが出来ていた。
「そう、ですか……」
千有莉は窓をぼうっと見つめる。外は晴れていた。昼過ぎの空だ。時折聞こえる軍人の声とひっきりなしに届くヘリや戦闘機の音が無ければ平時と変わらない空だ。
誰も自分を害さない。襲ってこない。目の前にいるのは同じ日本人。少なくとも、あそこと違って味方である日本人。
ああ、私は、生きていて。帰ってこれたんだ。
そう思うと、千有莉はまた息を深く吐いた。
「その……、ありがとう、ございます……」
出てきた言葉は、感謝だった。医官と看護師二人は微笑む。
「千有莉さん。貴女は肉体的にも精神的にもかなり消耗されています。今はゆっくり休んでください。何かあればいつでも、私達に声を掛けてください」
「はい」
「ああそれと、千有莉さん。貴女のお父上が上野原まで迎えに来て下さるそうです。明日には上野原に来られるそうです」
「お父様が……?」
「はい。千有莉さんが救出されてからすぐに迎えに行きたいと連絡がありました。軍による警護と回転翼機の手配で少々時間を頂きましたが、明日の昼に上野原に到着されます。千有莉さんも警護車両と共に着予定です。すぐお父様に会えますよ。本当に、良かった」
徳重の最後の言葉は偽りのない本音だった。
今は既に一一月下旬。東京が奪還されてから生存者は絶望視されていた中で、脱出した経緯と経路は不明だが六条千有莉は助かって父親に再会出来る。六条実裕は死んでいたと思っていた娘と感動の再会を果たせる。誰にとっても喜ばしいことだった。
「お父様と、会える。良かった、良かった……。ううぅ…………」
父親とすぐに会える事が分かった途端、千有莉は今度は静かに泣き始めた。
徳重と沖山に湯川は互いに顔を合わせると頷き合う。
「では、私達はこれで。ゆっくり、おやすみ下さい」
三人は静かに部屋を後にしていった。千有莉一人を落ち着かせる為にも。ただ、少しの間はドアのすぐ前にいた。
千有莉はそれから十数分ほど泣き続けた。それは安堵によるものだったし、喜びでもあった。
千有莉は泣き止んだ。そして、じっと手を見つめる。
少し疲れたのか、ベッドに横になった。
思考は相変わらずまとまらないし、ちょっと思考の海に浸かればトラウマが過ぎりそうだった。
頭を振り払い、また息をつく。
負の記憶ではなくもっと大事な、覚えておかないといけないことがあったはず。
それだけは思い出さないと。
そうだ。あれだ。
千有莉が思い出したのは、都心を脱出する際に行動を共にしていた内の一人、ある優しい軍人の言葉だった。
「このまま無事に戻れたら、僕は必ず伝えなければならない。東京で何があったのか。何が起きていたのか。奴らの悪行と残虐さと、全てでは無いにしても所業の数々を。軍人として人々を守れなかったのだから、せめて、真実の一端だけでも伝えないと」
確か彼含めて自分以外が殺される十数時間前の事だったか。灯りも無い、闇夜の中で淡々と、彼はそんな事を言っていた。
結局その願いは叶わなくて、伝えることが出来なくて、死んでしまった。伝えられるのは、自分以外もういない。
(思い出すのは怖い。今も、胸が張り裂けそうなくらいに、怖い。逃げたいし、二度と思い出したくもない。でも、知っているのは私だけになっちゃった……。だから、私が話さなければ誰も知らないまま。軍がここまで来れたのだからそのうち都心に近づけるのかもしれないけれど、いつになるかは分からない。それまであの悪夢はあそこでずっと続く。)
忘れたい。言わなければならない。二つの考えが千有莉の頭にぐるぐると回る。
九条術士の六条と言えども彼女はまだ未成年だ。いくらB+ランクの高位能力者であったとしても戦場を知らぬ素人なのだ。怖くて当然であり、話せなくても仕方が無いのだ。
それでも彼女は強かった。現実から背を向けなかった。
どれだけの時間か悩んで、悩んで、悩んでから、千有莉は目を開いた。
(言わないと。伝えないと。あの軍人が伝えようとしていたことは、私が話さないと)
瞳に宿る決意は確かだった。
翌日、軍に護衛された千有莉は上野原で父親の六条実裕と再会を果たす。
何も言わず抱擁した実裕を、千有莉はぎゅうと強く抱きしめ返した。
それから数十分後、ヘリの中で千有莉は実裕にこう言った。
「お父様。私、お父様に話があるのです。どうしても、伝えないといけないことの為に。聞いて、頂けますでしょうか?」
彼女が東京都心で見聞きし経験した様々を話すと決意した事で、歴史は少しだけ、だが確実に動き始めるのを六条千有莉はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます