第267話 文豪の自殺傾向「なぜ?」

「文豪って自殺が多いね」

  「あー、確かに」

「どうしてかな?」

  「創造力に関係するとか」

「文豪でなくても?」

  「そう」

「ますます謎!」


・・・

結論から告げよう。


創造力の回路が開かれている・・・そんな人は鬼からの影響が強く出る。


鬼がその回路を使っているからだ。


文豪に限らず、人のアンテナ(髪の毛)には、神界の情報が引っ掛かる。


仏教の元祖である釈迦は、その力を使って悟りを開いた。


彼は言う。


「世に神はいない」

「諦めて生きろ」


仏教が説くのは、この「諦め」であり、この世はどうせ「夜」なのだという悟りへの対処である。


ならば「アンテナはいらない」とばかり、関係者は頭髪を剃り落とし、鬼が使う回路を遮断・・・


職服も、夜を象徴する黒を採用する。


結果的にそうなっているにしても、理論的には矛盾がない。



しかし釈迦は、一つの希望を告げていた。


「私の後に偉大な人が来る」


それがイエス。


御子の象徴は、「昼」を意味する「白」である。


「神道」の職服が白いところは、「昼」を是とする福音書の精神と一致している。


そして日本の武士道は、アンテナである「後ろ髪」を残し、頭頂部は剃り落とす。


経緯の説明は色々あると思うが、結果的にはそれが「メシアの死」を追悼する悲しみの象徴となっているのである。


日本に来たイエスの弟子たちは鬼との戦いを心得ており、アンテナ(後ろ髪)を捨てる必要は考えていなかった。


「鬼が頭に流し込む想念」を選別できたからである。




 ■自殺願望と鬼


鬼が、創造力を与える場合がある。


頭の中に展開する物語は、邪悪なものばかりとは限らない。


「ロマンティック」な話を、人類の始まりから眺めてきた鬼だから、あらゆる物語を流し込むのは簡単なのだ。


鬼の敵として活動する人なら、そこに自殺への線路工事も含まれている。


創造性豊かな人は、その点で「鬼の流し込み」に翻弄されないよう注意しなければならない。


思いをチェックしよう。



「厭世気分が湧いて来た」

「これは私自身のものか?」


鬼は、世を儚む気分を流し込み、自殺への線路を敷く場合がある。


多くの作家は、それが「自分の気分」と勘違いさせられ、その線路を突っ走ってしまった。


鬼と戦う人は、そうした「流し込み」に敏感でなければならない。


「なんだか気が滅入る」

「鬼か!」

「この気分を流し込んだな」

「こんな線路は無用だ!」

「鬼は底知れぬ所へ行け!」


一瞬のうちにこの反応を返す。

流し込まれた厭世気分は即座に追い出すべし。



福音書に、こんな記述がある。


イエスを裏切る「ユダ・イスカリオテ」に


→ サタンが入った




 ■鉢の中をぶちまける


人の頭脳は「鉢」と表現されている。


そこに「考え」が保存されているからである。


鬼は頭髪が無くても、人の鉢に「気分」を流し込む。


突如、理由もなく場違いな考え、気分、衝動が飛び込んだなら、それは鬼の仕業。


敏感であれ。

(鬼と気分を廃棄すべし)



三島由紀夫は、女々しい自分に嫌気が差していたという。


それも実は、鬼が流し込んだ気分であり、即座に追い出すべき懸念であったのだ。


こうして人は、気付かないうちに鬼の操縦を受けている。


コッソリと。


この仕組みを知っていれば、世の文豪から自殺傾向は消え去るだろう。


「なぜ?」という疑問符と共に。






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