第86話 ぐぅの音は出とるじゃろ
「…いったい何が!?躓いて転んだのか?」
「違うわ、メガロの時と同じよ」
見るのも鍛錬と言ってたのに、速すぎて何が起こったのか見えていなかったメガロ。
ヨコヅナはメガロとの手合わせと同じように、ヤズミが間合いに入ったところで足を払ったのだ。
「大丈夫だか?」
あまりもの勢いに、転ばした本人であるヨコヅナがヤズミの心配をする。
「……見切ったと、言うのか?私の瞬歩を…」
立ち上がることもせず、驚愕の表情のヤズミ。
同じように足を払ったとは言え、メガロとヤズミとでは速さが段違い、
「あの動きは何度も見てるから、対処出来るだよ」
しかしヤズミが使ったのは瞬歩。
瞬歩はほぼ予備動作無しから、瞬間的にトップ速度で移動できる技だが、見慣れれば逆に直線的な対処しやすい動きと言えるのだ。
「何度も…」
その言葉を聞いて、ラビスが無手では勝てないと言っていた事を思い出す。あれはコクエン流を使っても勝てない、つまり技が同じであるケンシン流も通じないことも暗に示していた。
「ククククっ、実力の違いを見せてもらいましたよ。さすがヤズミ、最短記録です。負ける早さが、ですけどね」
「はぁ~…、私の側近ともあろう者が情けない」
「あっ!、いや、ち、違うのです!」
ラビスとコフィーリアの言葉で驚きの衝撃が覚め、現状を認識するヤズミ。
足の裏意外が地面についた時点で負けの手合わせ、当然転んだヤズミの負けとなる。
「もう一度、もう一度お願いします!」
「一度だけだと言っただよ」
「見苦しいわよヤズミ、負けを認めさない」
「………はい」
負け方だけでなく、負けた後までもメガロを同じになってしまっているヤズミ。
「お疲れ様ですヨコヅナ様。タオルをどうぞ」
「ありがとうだべ」
ヨコヅナにタオルを渡し、意気消沈しているヤズミに近づくラビス。
「ヤズミ、約束を反故にするようなことはないようにお願いしますね」
「くっ!……しかし、私は…姫様の側近…」
「これ以上の恥の上塗りはやめた方が良いですよ。無期限で下働きをしたくなければ…」
少し離れた位置で様子を見ているコフィーリアの目は厳しい。
「あうぅぅっ」
情けないうえ、見苦しいとまで言われてしまったのだ。
その上コフィーリアが認めた約束を、ヤズミの一感情で反故にしようとすれば、王女の側近をクビされても文句は言えない。
「先ほどの戦い、他意を抜きにしても無様です。ヨコヅナ様を見くびり過ぎですね」
「……ちゃんこ鍋屋の店主に、あんな真似が出来るなど誰が思う」
ヤズミは闘技大会でヨコヅナの戦いを見ているが、それ以降はちゃんこ絡みの場面でしか会っておらず、ちゃんこ鍋屋の店主というイメージの方が強くなってしまっていたのだ。
しかしそんな言い訳は通じない、
「ではヤズミは、ただのちゃんこ鍋屋の店主の鍛錬を、コフィーリア王女がわざわざ見学に来たとでも思っていたのですか?」
「それは……しかし、私の瞬歩の速度を完璧に見切るなど…」
「はぁ~、ヨコヅナ様が今まで誰と手合わせしていたと思っているのですか?」
「それは…っ!……『閃光』」
ヤズミは今更ながら思い至る、ラビスが無理難題と言った本当の理由に。
「前情報を一切考慮せず、大柄な相手に正面突撃…どこぞのバカと並ぶほど愚かです」
「うぐぐぅぅ~」
言われたい放題のヤズミだが、無様な結果が出てしまっている以上、ぐうの音も出ない。
「………無様な姿を晒してしまったのは確かだ。約束通りラビスの仕事を手伝おう」
「おや、勘違いをしていますね」
ラビスは意地の悪い笑を浮かべる。
「言ったはずですよ、
「何…だと…!?」
「掃除に、皿洗い、接客もしてもらいましょう」
「…姫様の側近である私が、下っ端従業員…」
「当然経営者である私の部下になりますので、敬語を使うように」
「お前ぇ、調子に乗るなよ!」
「おやおや、真面目に仕事に取り組まないのは、約束を反故にするのも同じですね。コフィーリア王女に報告しなければ…」
「ちょ、待てラビス!」
「待て?、ラビス?」
「ぐっ~……待ってください、ラビスさん」
「う~ん、まぁ良いでしょ。様付はヨコヅナ様だけで許してあげますよ。クククっ上司としてしっかり教育してあげます」
そんな下克上が起きた二人を少し離れた場所で見ているコフィーリアに、
「本当に良いんだべか?側近の執事がいなくなって」
知らぬ間に決まっていた賭けについて確認するヨコヅナ。
「前に言ったでしょ、専属の従者は他にもたくさんいると」
「他の人で代わりが務まるだか?」
「…一人では無理ね」
総合的な能力ではヤズミは従者の中でトップ、代わりは複数人必要になるだろう。
「あ!、では私がコフィーリア王女のお側に」
「必要無いわ」
メガロの提案は言い終わる前にバッサリだ。
「長期間だと支障はあるかもしれないけど……」
「じゃあ短い期間だべか」
「それは…ヤズミ次第ね」
コフィーリアは明確な期間を今決めるつもりはないようだ。
「……そんなに怒ることないと思うだが」
ヤズミが負けたことを怒っていて、だから期間を決めないのだと思ったヨコヅナ。
「…私が怒り任せに処罰するような、狭量な人間だと思っているのかしら?」
コフィーリアの言葉にヨコヅナは少し考え、
「……思わなくもないですだ」
色々な我侭っぷりを見ているヨコヅナからすればこの返答も当然と言える。
当然の返答にコフィーリアの目が鋭くなる。
「…ちょっと、お腹に力を入れなさい」
そう言ってコフィーリアは構えを取り、
「え、あ!」
「ハァっ!!」
気合と共に強烈な正拳突きをヨコヅナの腹に喰らわせる。
相も変わらずお姫様とは思えない凄まじい突き威力にヨコヅナの表情が歪む。
「…痩せたせいで手が痛いわ」
「いきなり腹を殴って文句を言うとか、もはや暴君だべ」
「……ふふっ」
殴られた腹を摩るヨコヅナを見て微笑むコフィーリア、正確には腹を摩る程度で済んでいるのを見てだが。
「安心していいわ」
「何をだべ?」
「少し前、シクステリア王国の王子が婚約を申し込みに会いに来てね」
「…ん?シクステリアの王子?」
シクステリア王国とはワンタジア王国の隣にある同盟国である。
何故コフィーリアが突然婚約の話をしだしたか分からないヨコヅナだが、ひとまず最後まで話を聞くことにする。
「それで体を鍛えていると言うからお腹を殴ってみたら」
隣国の王子を腹パンして膝まつかせたという噂は事実…
「病院送りにしてしまったのよ」
ではなく過小に広められたものであった。
「さすがに私も反省してね」
隣国の王子を病院送りにしたことで父親に、つまりワンタジア王国国王に怒られたコフィーリア。
「だから今後、お腹を殴るのはヨコだけにするわ」
「……それを聞いてオラは何を安心したらいいだ?」
最後まで聞いても何も分からなかった。
「ヤズミは有能だけど世間知らずなところがあるのよ」
ヨコヅナが理解したかなど気にせず、話を戻すコフィーリア。
「いい機会だから外のことも知ってもらおうと思って……もっとヤズミに成長してもらう為に」
「姫さんが決めたなら反対はしないだが……問題が多かったら辞めてもらうだよ」
王女の側近従者を務めるほど有能なヤズミが、たかが料理店の下仕事で問題などあるはずがないのだが、ヨコヅナが言いたいのはそういうことではない。
「……構わないわ」
コフィーリアもヨコヅナの言葉の真意を察して了承する。
「ほら、ちゃんと雇用主に挨拶しなさい」
ちゃんこ鍋屋の所有者と現場責任者の会話に区切りが付いたところに、生き生きとした補佐と、ぐったりとした新米下っ端がやってきた。
「……ぬぐぐっ。新しくヨコヅナ様の下で働かせて貰うことになります、ヤズミです。宜しくお願いします」
「宜しくだべ。ヤズミと呼び捨てでいいだか」
「はい。ですが、私の主はコフィーリア様ただお一人、姫様からお声がかかれば何を置いても戻りますので」
「構わないだよ。細かいことはラビスに任せるだ」
「畏まりました」
「じゃあ今日は終わりにするだべかな」
ヨコヅナの言葉で朝の鍛錬は解散となる。
「ヨコ、今日は中々楽しかったわ。また見学に来るわね」
「オラは構わないだが、出来るだけ周りに心配かけないようにお願いしますだよ」
「ふふふっ、考えておくわ。メガロ、あなたの馬車で送ってもらえるかしら」
お忍びな為、徒歩でここまで来ていたコフィーリア、なんとも健脚なお姫様である。
「あ、はい!もちろんです!すぐに用意して参ります」
コフィーリアと一緒に帰れることが嬉しく、走って着替えに行くメガロ。
「ヤズミ今日のところは、引き継ぎ等があるから一緒に帰るわよ」
「……はい、姫様」
「明日から宜しくお願いしますね、ヤズミ。クククっ」
「ぐっ、これで失礼します、ヨコヅナ様」
「またね、ヨコ、ラビス」
そう言ってコフィーリア達は帰っていった。
「オラ達も帰るべ」
「…ご不満ですか?ヤズミを勝手に雇ったこと」
先程までのヤズミを虐めていた楽しげな表情が消え、どこか心配気に尋ねるラビス。
ヨコヅナの機微に気づいているのだ。
「ちゃんこ鍋屋が忙しいのは確かだべ」
仕事が落ち着いたのは、あくまで経営陣の話であり、ちゃんこ鍋屋はありがたいことに大繁盛しているから現場は忙しいのだ。
「だから普通に働いてくれたらそれで良いだよ……でも嫌々働く人間はいらないだ」
「……そうでしたね。私が責任もって指導しますので」
「頼むだよ」
「はい、ヨコヅナ様」
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