第十三話 名前

 それから俺と長岡は下校路をよく重ねるようになった。彼女は書道部で俺は陸上部だったが、お互い部活終わりに一緒に帰るような人がいなかったから、学校終わりだけでなくて部活がある時でも一緒に帰れる日はそうした。


 昼休みは食堂で弁当を買った後教室に戻るのを辞めて地下一階で弁当を広げた。何を言わずとも、彼女は俺の隣の席に来てくれたのだ。京極を追い払うよりも彼女と話をする方が俺にとっては何倍も幸せだった。


「私達って名前のイニシャル一緒だよね」


「え? あぁ、そうだね」


 凪崎翔太と長岡沙奈。


「凪崎沙奈になっても、変わんないなっ……」


 西日暮里に向かう千代田線の中で彼女はボソッと呟いた。


「え?」


「ううん、なんでもないっ」


 電車のドアが開く。俺は長岡の通学鞄よりも大きな部活バッグを持ち上げて、彼女と一緒に電車を降りた。彼女の自宅の最寄り駅が大森おおもりだから、西日暮里からは京浜東北線を共にする。


 俺が降りる日暮里まではものすごく短いのだけれど。


「なんか今日人多いね」


 西日暮里から日暮里へ向かう京浜東北線は埼玉の大宮から来る電車で、東京までは上り線になる。そのため帰宅ラッシュのこの時間はそこまで乗客がたくさんいるわけではない。


「そうだね。なんかあるのかな」


 ホームに入って来た電車には多くの人の影があった。何かのイベントがどこかであるのだろうか。


「西日暮里、西日暮里。ご乗車、ありがとうございます」


 駅の自動アナウンスとともに、俺と長岡は電車に乗り込んだ。人が多い車内で俺は彼女の肩を持って優しくドア脇の座席の壁に寄せた。その彼女に向かい合わせになる等に俺が座席の手すりを持つ。


「凪崎君っ……」


 彼女は唇を結んで制服のネクタイの結び目に手をやった。反対の手はドア脇の手すりの低い位置を握っている。


 Please stand clear of the closing doors.


 英語の駅構内アナウンスが響く中、ドアが閉まって外の熱気から隔離される。他の乗客に乱暴に背中を押されるような感覚がする。


「っ……」


 長岡は俺の腰に手を回してぎゅっと俺の身体を抱き締めた。


「え?」


「んっ」


 彼女の温かい体温を全身に感じた。ハグなんておろか手も繋いだことすらないのに、不意に現れたその柔らかさは、俺が感じることのできなくなった母親の底のない優しさに似ていた。


 それでも、首元に感じる彼女の吐息に心臓が高鳴った。車内は電車の走行音が響いている。


 電車は西日暮里から日暮里にかけて坂を下る。1分もないその駅間。彼女を感じたその刹那に、日暮里のホームドアが口を開いていた。


「あっ、ごめん降りるね。また」


 俺は部活のバッグを持ち上げて、電車を降りた。心のどこかでもっと彼女と一緒にいたいという気持ちを抱えながらも、他の乗客の邪魔にもなってしまうからとその手を解いたのだ。


 しかし、長岡沙奈はそれをがえんじなかった。


 *教会の見える駅が流れるその下で俺は制服の袖をつままれた。強い力ではなかったが、俺の足を止めるにはあまりに強力だった。


「やだっ、帰んないでっ……」


 彼女は振り返った俺の胸元にぴたりと寄り添う。俺は黄色い点字ブロックの凸凹に踵を引っ掛けて彼女を受け止めた。


「長岡……」


「お願いっ」





 それから何本か山手線が背中を通り過ぎていった。お互いの身体がくっつきそうでくっつかない駅のベンチの距離がすごくもどかしかった。


「ごめん、引き留めちゃって」


 不意に彼女が口を開く。


「いや、大丈夫。帰ってもなにもないしさ」


「そっか」


 東京の街はいささかうるさすぎやしないか? 彼女の綺麗な声がうまく聞こえない。


「あのっ、凪崎君っ」


「うん?」


「こ、答えたくなかったらいいんだけど……す、好きな人とか、いる?」


「え?」


 俺は長岡に目をやった。彼女は俯いてスカートの上で手を組んでいた。その指は不安そうに行き場を探している。


 俺は自分の足元に視線を落とした。



「……隣に、いる」



「え?」


 本当は長岡って呼び方もあんまり口に馴染ませたくない。俺にそんな馴れ馴れしく彼女に接してい権利なんてないけど、そんなこときっと許されていないけど、太陽が熱いことよりも間違いなく、彼女が好きになってしまっていた。


「わ、わわ、私っ?」


「付き合いたいとか、手を繋ぎたいとか、そんなんじゃなくて……もっと君を知りたい。いろんなことを話したいなって思ってる」


 沙奈は口を開けたまま俺を見つめていた。心なしか瞼が震えているように見える。


「……私の好きな人も、隣にいるよっ」


 手のひらをこちらに向けて口元にかざし顔を赤らめる沙奈。


「間違えたっ。だ、大好きなひとっ……」


「っ……」



 俺で良いのだろうか。


 

 彼女の言葉を聞いた時、嬉しいよりも先にその言葉が頭に浮かんだ。誰よりも幸せになるべき彼女と、誰よりも幸せになんてなってはいけない俺。


 同じ好きで通じていたとしても、俺は誰かを愛していいような人間じゃない。


 それでも。


「沙奈、って呼んでいい?」


「うん。翔太っ」


 もしこれが、何かのチャンスなら。

 俺にも彼女を愛することができるなら。


 彼女のために生きてみたいと、そう思った。





「楽しかったねっ」


「あ、うん。そうだね」


 空が紅色に傾きかけている午後。きっと他のみんなは教室で出し物の後片付けに追われているのだろう。今日一日でこの学校から出る段ボールの量はきっとスーパーマーケットに相当するかそれ以上だ。


「翔太のクラスの出し物、めっちゃ怖かったよ」


「一人で来たの?」


 うちの企画はホラーテイストの脱出ゲームだった。


「だって一緒に行く友達いないんだもん……。翔太がちょうどシフトの時に行ったから一人で挑戦したよ」


「そっか……」


 高校棟最上階の六階から、さらに上に続く階段。おそらく屋上に行くための階段だが、美術室にあるようなでかい机が大量に積まれていて屋上に行くことはできない。裏を返せば誰も来る用がないから文化祭の片づけをばっくれて二人きりになるにはちょうどいい場所だ。


「書道部のパフォーマンスもすっごいカッコよかった。ほら見て、写真撮っちゃったもん」


 俺はスマホの画面に彼女の写真を表示して沙奈に見せた。大きな筆を叩きつけるようにして大文字を刻む彼女の躍動感ある写真。


「やめてよっ、恥ずかしい……」


 沙奈は肘で俺の横腹を小突いた。恥ずかしがりながらその顔は笑みを隠しきれていない。


「……見に来てくれてアリガト。めっちゃ嬉しい」


「当たり前でしょ。一応、彼氏なんだし……」


 夕日のオレンジが大きな窓から入り込んできて、彼女の横顔を綺麗にくり抜く。きっとそんな気色が見えるココは、俺にとっては手の届かないような特等席なんだろう。


「沙奈」


「ん?」


 振り向く彼女を唇で受け止めた。


「んっ……」


 あぁ、幸せだ……。具体的にそれがどういうものなのか説明できないけど、俺は間違いなくそれを噛み締めている。


 人の好き嫌いは誰にだってあって、それは[Like-Hate]の評価軸を介している。俊は母さんのことが好きだし、京極は俺のことが嫌いだ。すべてが主観で組み立てられるそれに、他者が入り込む隙も必要もない。


 でも、これは違う。


 俺はLikeとLoveみたいな安っぽい言葉遣いが嫌いだが、好きの意味に明白な違いがあるという概念自体は否定しない。それは彼女の唇の柔らかさが証明している。


 俺がそんなものを知っていいのかわからない。でも包んだのか包まれたのか見分けのつかないこの感覚を手放す勇気はなかった。


「と、止まんなくなっちゃう……」


 10分ほどお互いに唇を求め合ったか、彼女がそんなことを言って顔を赤らめた。


「……そうだね」


 そろそろ教室に戻ろうと笑って、最後に彼女の身体を抱き締めた。


「翔太っ、大好き」


「俺もだよ」




 太陽は、綺麗だった。




 *教会の見える駅……JR東日本で使用されている発車メロディーの一つ。ここでの描写は日暮里駅9番線ホーム。





◆次回予告


 第十四話 雲み  公開未定

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俺は10mL/日、可愛い居候に血を吸われる。 かんなづき @octwright

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