閑話 夏への好奇心
ちぅちぅ、ちぅちぅ。
人から血をもらって生きる美少女に人差し指を差し出す俺。
「……美味しい?」
美少女は俺の指を咥えたまま、こくりと頷いた。ストローでジュースを飲むような、どこか見覚えのあるその動作にそこはかとない可愛らしさを見る。
味も、重要なのかな?
「んっ……」
指を傷を丁寧に舐めた後に俺に抱きつくのもいつものお決まりだ。
「翔太さんの、すごくおいしくて好きですっ。翔太さんが死ななかったら、いくらでも飲んじゃうかもしれないです……」
両手で口元をちょこんと隠しながら顔を赤らめた。
「飲みすぎは体に障ったりしないの?」
「しないですけど、普通は飲まないですよっ。必要以上は」
「まあ、そうだよね」
人間から不審がられてはいけないから、生きていくためには配慮だって必要だ。よくよく考えたら、それは摂血族だけじゃなくて人間だってそう。
「あ、そうだ翔太さん」
「ん?」
ラミは寝室に置いてある小さなデスクの上から何やらチラシのようなものを持って来た。
「これ、ポストに入ってたんですけど」
俺はそのチラシに目を落とす。
「あぁ、
「夏祭りなんですか?」
「まあ、そんな感じ。花火とかはやんないけど、屋台は出るんだよ」
「へぇっ……」
ラミの瞳はキラキラと輝きながら、チラシに釘打たれていた。まるで物欲しそうにおもちゃを眺める子どものように。
俺はふぅっと息を吐いて、彼女の頭に手を乗せる。急に触られてびっくりしたのか、ラミは口を塞ぐのを忘れてぼおっと俺を見つめた。
「……一緒に行きたい?」
花弁が開く。
「うんっ!」
8月24日。太陽の
日暮里の自宅から15分ほど歩いて、西日暮里駅近くにある諏方神社までやって来た。
おかげで俺と手を繋ぎながら喋ることができたラミはかなり嬉しそうにしている。
「わぁ! 見てください翔太さんっ! 屋台! 屋台がたくさんありますっ」
俺のだぼだぼのTシャツを身に纏った美少女は、アフリカの子どもが雪を見るようなテンションでぴょんぴょこ跳ねて指差しながら俺の方を向いた。
「うん。たくさんあるね」
「夏祭りなんて子どもの時以来ですっ」
今もまあまあ子どもだけどね。
「お父さんと来たりしたの?」
「はいっ。盆踊りとかも教えてもらったりしましたよ!」
ラミは手のひらを夜天にかざした。そのまま少し足取りを踏む。
可愛らしい動作の中で、大きい上着から露出する肌と下着に目が奪われた。俺は冷静を保って、踊ろうとするラミの肩を両手で押さえた。
「……翔太さん?」
片方に寄ってブラジャーのストラップを晒しているシャツの襟を真ん中に寄せた。
「下着、見えちゃってるよ」
「えっ、あっ……」
ラミは口を手で覆い隠して、きゅうっと赤くなった。
「俺のシャツ、ラミには結構大きいから、気をつけないと。肩とか脇とか……」
こんな可愛らしい子が隙のあるシャツを着てたら周りの男の目を奪ってしまう。おそらくだが、女性の胸と脇は男性の視線を全吸収するブラックホールである。
「摂血族じゃなくて、一人の女の子として襲われちゃうかもしれない。夏は変な奴多いし、お祭りでたくさん人がいるから、はしゃぎすぎると危ないよ」
「ご、ごめんなさいっ」
彼女はうず高くなった胸元に手を当てて、目頭を絞った。
「え、あ、いや、謝ることないよ。今日はラミが楽しむために来たんだから。ね?」
本来なら安心して外を歩くことも許されないような子なんだ。夏祭りで楽しくなるのは至極当然だし、それを阻害する意味なんてない。
ただきっとこの子は、そういう経験がない故に自分が周りから見たら普通の女の子として見られることをあんまり実感として持っていない。そもそも人間の女の子が、どういう目で見られるものなのかも。
やはり彼女に合った服を買ってあげた方がいいかもしれない。
「基本的にはラミの行きたいところへ行こう。ただし」
「た、ただし……?」
「移動するときは、絶対に俺から離れないで」
「っ……は、はいっ」
ぎゅっ。
俺から離れないように振舞うためか、俺のお腹にしがみつく彼女。
「……抱き締めなくても、大丈夫だよ?」
「あっ、ごめんなさいっ」
彼女はぱっと腕を離して、恥ずかしそうに俺の手を取った。それから溶かされたように笑みを解く。
「えへへ~、恋人みたいで楽しいですっ……」
「……そうだね」
恋人、なんて。そっか……。
「いこっか、ラミ」
「はいっ」
ぱんっ。
乾いた音が響いてキャラメルの箱が倒れた。それ見て姿勢を直す青年と、隣で手を叩いて喜ぶ女の子。
「はい当たり! これ持っていきな。毎度」
店主は青年にキャラメルの箱を渡した。それを受け取った彼は、隣の女の子にそれを流す。
「はい。取れたよ
「やったぁ! ありがとうお兄ちゃん!」
女の子は彼の妹だったのか。お兄ちゃんは俺と同い年くらいに見えるから、女の子の方は高校生とかだろう。彼が手渡したキャラメルは受験生応援パッケージになっていた。
年頃でも仲がいい兄妹は仲がいいんだな。
「翔太さん」
「ん?」
ちょうどラミも射的の屋台の方を見つめていた。
「やってみる?」
「やりたいです」
彼女はこくりと頷いた。
「わかった」
俺はラミの手をぎゅっと握って放さないようにしながら、射的屋の店主に声をかけた。
「一回いいですか?」
「あいよっ。一回200円。弾は五発。当たった分だけお持ち帰りできるよっ!」
屋台が似合う声のでかい店主は棚に並んだターゲットの方を手で示しながら、コルク玉を五つ、俺たちの手元へ弾いた。
「ほら、ラミ」
「おっ、お姉ちゃんが挑戦すんの?」
「はいっ」
ラミはコルク弾を握り締めて頷いた。
「持ち方わかる?」
「わかんないですっ」
俺はコルク玉を詰めて彼女の手を取り、コルク中をターゲットに向けて持たせてあげた。
「よく狙って狙って!」
店主も彼女の初挑戦を見守っている。
ぱんっ。
コルク玉が飛び出す音がした。それは標的を射抜くことなく、屋台の壁を叩いた。
「あれっ」
「惜しいっ。もうちょっと右だね」
俺はラミの肩の高さまで
それから三発、ラミの弾は標的のわずか隣をかすめた。
「あ、後一発しかないです……」
「大丈夫大丈夫。一発でも当てればいいんだから」
俺は焦るラミの肩を優しく叩いた。彼女は頷いて台の上に置いてある残り一つのコルク玉に手を伸ばした。
「あれ?」
そこにあったはずのコルク玉がない。
「あー、ちょっと弾がスカスカだな。おっちゃん、これもうちょっと弾いい個体ない?」
声の方を向くと、さっきの青年がラミの最後の弾を持っていた。
「おぉ、まじか! ごめんごめん、ちょっと待ってな」
おっちゃんは店の内に置いてあったコルク玉の皿を彼の前に置いた。そしてラミのすぐ隣に寄って、状態のいいコルク玉をラミの前に差し出す。
「射的は、この弾を空気で押し出すから、できるだけぎっしり詰まった奴を選ぶといいよ。そんで、そう、そこのレバーを引いてしっかり詰める」
コルク銃を持つラミの手を取りながら、弾を銃口に詰めてくれた。
「よし狙おう。大丈夫、焦んなくていいよ。片目でしっかり見据えて、ターゲットの少し上あたりを狙ってごらん」
「……えいっ」
かこんっ。
射出されたコルク玉は、今までのが嘘かと思うほどターゲットのど真ん中を撃ち抜いた。
「おぉ」
「やったぁ!」
ラミは、大きく両手を上げた。
「おめでとうっ! はいこれね」
店主のおっちゃんは撃ち落としたドロップの箱をラミに差し出した。ラミはぺこりと頭を下げながらそれを受け取って、青年の方を向く。
「ありがとうございますっ」
「ううん。めっちゃ上手だったよ!」
バスケパンツにサンダルを履いた背の高い彼は、首を軽く横に振りながらラミに笑顔を作った。
とんでもないイケメンだな。
「ほんとにありがとう」
俺もラミの肩に手を置きながら、彼に頭を下げた。
「いやいやどうってことないって。可愛い彼女さんだね」
「ふぁっ!?」
ラミはぴくりと跳ねる。
「あれ、違ったかな……」
「お兄ちゃん早くいこーよぉ」
梨花と呼ばれていた妹さんが、唇をとんがらせながら彼の裾を引っ張る。
「あぁ、ごめんごめん。じゃあねっ」
「うん。ありがとう」
手を振って歩いていく彼を見送って、顔を赤くしたままのラミへ視線を戻した。
「取れてよかったね。でもドロップ、食べれるの?」
「こ、これはっ……」
両手で小さく握ったそれを、不器用に俺に押し付ける。
「え?」
「翔太さんのために、取りたかったんです。いつも、お世話になってるから……」
ラミは横に流していた目線をゆっくり俺に戻して、上目遣いで俺の目を捕らえると、恥ずかしさを隠すように笑った。
「ラミ……」
やったぁ! ありがとうお兄ちゃん!
景品をプレゼントしてもらったあの妹さんが喜んでいるのを見て、俺にも……。
「……おっちゃん」
「あいよっ!」
俺はポケットから100円玉を二枚取り出して、台の上に置いた。
「俺も一回やっていい?」
「うぅ。頭痛いですぅ……」
「大丈夫? 確かにそんなに冷たいもんあんまり口にしないもんね」
おそらく祭りの中でラミが唯一口にできるであろうコーラ味のかき氷。その小さいスプーンを持った手を頭に押し付けながら、彼女は目をぎゅっとつぶっていた。
その一方で俺はラミからプレゼントされたドロップを口で遊んでいる。
「でも、すごく美味しいですっ。かき氷はさすがに初めて食べました」
「あら、そうなの」
彼女のお父さんは気付かなかったのかな。意外と盲点か。
「あの、翔太さん」
「ん?」
「これ、大事にしますねっ」
彼女はお腹に抱えた彼女の上半身くらいある大きな猫のぬいぐるみを抱き締めながら言った。
俺が射的でぶち抜いた
「うん。気に入ってもらえてよかったよ」
「めっちゃ可愛いですこれぇ……みゃぁみゃぁ……」
ラミは、猫好きなのかな。なんとなくだけど、犬より猫派な感じはする。
俺は東京の明かりにかき消された夏の星空を眺めた。小さい頃、その名前をよく覚えていたけど、今はすっかり忘れてしまった。
「なんか、すごい幸せです……」
ラミを呟きに目線が動かされる。
「こんなに楽しいことなんて、もう二度と、できないはずだったのにっ……」
かき氷のせいにするにはあまりにもお門違いに震えている彼女の唇。
「らみ……」
「翔太さんっ……」
座っている石段にかき氷を置いて、ぬいぐるみもろとも俺に寄りかかる彼女。
「私を守ってくれて、ありがとうございます……」
何かに溺れているように、その声は震えていた。
守るなんていうのは、それは……。
「俺は、当たり前のことをしただけだよ」
俺はそう呟いて、彼女の濡れた頬を親指の腹で拭いた。
◆次回予告
第十二話 青く
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