第十一話 はしゃぐ

「ただいま」


 ドアを開けた途端に聞こえてきたのはくぐもった水の音。彼女の返事はなかった。


 シャワーでも浴びてるのかな。


 と思った瞬間に水の音は止んで、浴室の方から、どごんっ、と鈍い音が聞こえた。その音の大きさに俺はぎょっとする。


「ラミ? 大丈夫っ?」


 俺は脱衣所の扉を度らを叩きながら彼女に声をかける。


「っ……」


 彼女の声こそ聞こえなかったが、何か苦しみに耐えるような声なき声がドアの隙間からじわじわと溢れ出している。


 俺は咄嗟に緊急事態とみて、ドアをスライドさせた。鍵はかかっていかった。


「ラミっ!」


 浴室へ駆けこむ。


「うぅ……しょぉたさぁん……」


 ラミは浴槽の中で盛大にひっくりながら頭を押さえていた。服は着ているからシャワーを浴びていたわけではなさそうである。


「何やってんのラミっ」


 俺は彼女の身体を抱きかかえて浴室を脱出し、一旦脱衣所に横たえた。


「お風呂掃除してたら、翔太さんの声がしたから、帰って来たんだと思ってっ……」


「え?」


 俺はお風呂場の中を覗く。


 転んだ拍子に投げ出されたシャワーとスポンジ。流している途中だったのか、浴槽の壁には少しだけ泡が残っている。


「お風呂洗ってくれてたの……?」


「す、少しでも役に立ちたかったんです。居候って言って、ただいるだけじゃ申し訳ないと思って」


 俺はたんこぶが出来た彼女の頭にそっと触れた。彼女の丸い瞳は長いまつ毛の生えた瞼に包まれる。


「んっ」


「ありがとう。でも、危ないからはしゃがないでね。お風呂場で死にましたとかなったら、俺、めっちゃ困るからさ」


「めっちゃ……?」


「うん、めっちゃ」


 ラミは目一杯涙をこらえた目で俺を真っすぐに見つめた。それから少し顔を赤らめると、俺の頭の後ろへ手を回して、ぎゅっと抱きついた。


「でも、嬉しいんだもんっ……」


「えっ」


 お風呂の熱と湿度に溶けた彼女の香りが鼻の奥に染みる。身体に微電流を流しこまれたような感覚がした。


「翔太さんの、温かくて安心するからっ……」


 俺の何が温かいのかはわからない。手か、言葉か、シンプルに体温か。


 俺が言葉に詰まっていると、彼女は腕をほどいてゆっくり立ち上がった。俺は咄嗟にその背中を手で支えた。


「でも、ごめんなさいっ。はしゃぐのは我慢します……」


 彼女は指を結んできゅうと小さくなった。元々小動物のように可愛らしいのに、そんなに小さくなられたら心が縛り付けられる。


 声を柔らかく伸ばして、彼女の背中を撫でまわした。


「俺も、遅くなってごめんね。心配させちゃったよね」


 こくこく。


「でも、良いお知らせがあるよ」


「えっ?」





「……捕まったんですか? あの人」


「うん」


 俺はテーブルをはさんで反対側に座る彼女に言った。


「摂血族を追っているってだけじゃ警察に通報できないのかもしれないけどさ、自宅に侵入されたって言ったら通報できる。だからあの後警察に被害報告したんだ」


「でも、なんでそんなに早く……?」


「この集合住宅沿いの道路に防犯カメラが付いてるんだけどさ、そこにばっちり映ってたんだよあの男。それにここら辺周辺でラミのこと聞きまわってたみたいだから目撃情報も多かったんだって。っていうか、他の家も入られそうになったとかあったみたい。警察もさすがに動いてくれた」


「それで、見つかるんですか?」


「そう。特定して任意同行求めたら、警官の自転車はっ倒して逃げて捕まったんだって。ダッサいよねぇ。まあ今のところ不法侵入に関しては示談になりそうだけど」


 俺は笑いを口に含んでから、顎に指をやる。


「でも相手、普通のサラリーマンだったなぁ。職業の都合上、身の上を明かせないって言ってたのは何なんだろう……?」


「私もあんまり詳しく知らないんですけど、私たちを追っているのはじゃないみたいなんです」


「団体じゃない?」


 摂血族捕まえ隊みたいな、そういう悪の組織があるわけではないと。


「私たちのことを知ってるごく一部の一般人が私たちのことを追っているみたいで。捕まったら怖い目に遭うってことしかわからないんですけどっ……」


 そうか。まあ怖い目に遭うって言われたら逃げるよね。


「捕まえてどっかに連れていくのかな? 摂血族を何に使うんだろう……」


「それはっ、えっと……」


 ラミは何かを言いかけて、左腕を摑んで俯いた。


 この子、知ってるな? がなんなのか。でも、教えられないわけがあるのか。


「まあ、いっか。とりあえず捕まらないようにすればいいんだもんね。でも、どうやって摂血族を見分けるんだろう。それが分かれば、こっちも手が打てるんだけど」


「あ、それは、これです」


 ラミはテーブルの上に自分の手首を出した。照明に照らされた白くて綺麗な腕に俺は視線を落とした。


「……どれ?」


 自分の腕と見比べてみるが、色白と細さくらいしか違いが見つからない。


「ここです」


 彼女は手の甲側の手首の付け根を指さした。


「……あ、なんか違う」


「摂血族は、手首の付け根にある尺骨茎状突起が外側にも向いているんです。人間は手の甲側にボコってしてるんですけど、私たちはそれだけじゃなくて横にもボコってしてて……私を追ってきた人たちも、これを見抜いてきました」


 俺は自分の手首を反対の手で包んでぐりぐり回した。


「こんな小さい違いを見抜いて来るの?」


 あの時、ラミが咄嗟に下着姿になっていたのは、俺の彼女のふりをするだけじゃなくて、その後毛布をかぶって手首を隠すためだったのか。


「他の子はどうなのかわからないんですけど、私の場合は落とし物を拾ってもらって渡される時に見られて、お前摂血族だな、と」


「なるほど」


 手首が見えるような動作の中で見抜くのか。すごいな。

 おそらくだが、独りでいる女の子に対して目星を付けて、そういう確認を行うのだろう。摂血族でなかったらただの親切で終わるからだ。


「ほんとは手首を隠せるアクセサリーとか付けてたんですけど、無くしちゃって」


「あー、でもそれあった方がいいよね。ブレスレットだと少し心許ないから、細めのブレスバンドとか、明日買ってくるよ」


「え、でも申し訳ないですし……」


「ううん。いいよ。ずっと家にいても退屈だと思うし、外出たいってなったら出れた方がいいじゃん。そういう時、付けていけるようにさ」


「でも、一人じゃ……」


「俺と一緒に」


「えっ」


 ラミは表情かおに花を咲かせた。一気に目が輝き出す。


「しょ、翔太さんと、で、でで、でーとっ……?」


 顔を赤く染める彼女が可愛すぎて思わず笑いがこみ上げた。


「そうだね。行きたいところがあったら連れてってあげるから。一人じゃ危ないかもしれないけど、俺がいれば守ってあげられるし、そもそも狙われにくいでしょ?」


 ラミを追ってきたのは二人組で、今回一人が捕まった。このあたりを探している奴らはまだいるかもしれないが、俺が連れて歩いていればわざわざ狙ってくる奴はいないだろう。だって、そんなことしたら一発で警察行きだから。


 摂血族を連れ去ることが法外でも、痴漢で捕まえられる。


「迷惑じゃ、ないですか……?」


「迷惑ではないよ。ラミのことを考えてのことだし。俺のことは気にしなくて大丈夫だから」


 そこまで行くと本当に彼女になってしまうのかもしれないけど、俺の中にあるのは愛情じゃない。従妹いとこを守ってあげたくなるような気分でしかなかった。


 それでも。


「やったぁ! 翔太さん大好きっ!」


 彼女はひまわりのような幼い笑顔で俺に抱きついた。





◆次回予告


 閑話 とある部屋の朝  2020年11月10日午後10時公開

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