第九話 悪い人
「翔太さんの、せい……?」
「うん」
俺は作品のページを閉じて、自分のユーザーページに飛んだ。
「俺がこうやって書き始めたのは高校1年の時で、今年でちょうど5年とかになるんだ」
「えっ、5年ですか」
「そう。んで、俺が高校3年生の時に応募したコンテストで特別賞取って、俺の作品が実際に本になって書店に並ぶチャンスがあったんだよ」
ラミは小さくぱちぱちと拍手する。
「すごいじゃないですかっ。デビュー、したんですか?」
俺はキーボードに目を落とす。
「……しなかった」
「え。ど、どうして……」
「大学受験があったからさ。別に俺は小説家になりたかったわけじゃないし、デビューなんて正直どうでもよかった。それよりも自分の将来に向けて勉強しなきゃって思ったんだ」
「デビューって、それだけ大変なんですか……?」
「そうだね。書店に商品として並べるってなると、結構いろんな作業しなくちゃいけないから、受験勉強なんてできない」
俺はラミが注いでくれたコーラを少し口に入れた。
うまい。風呂上りが一番おいしいや。
「ただ画面の向こうの奴らは俺が高校生だなんて知らないわけでさ。俺はせっかくのデビューの機会を自分の手で無駄にした野郎にしか映ってなくて。そっからだよ。俺の作品は何も変わってないのに、俺のその行動一つで作品が酷評されまくった」
元々、特別賞なんて取れるような出来栄えじゃねぇしな。
自分の作品くらい自分で責任持てよクソ作者。
デビュー目指して頑張ってる他の作家に謝罪しろ。
「手のひら返し。その言葉がこんなにも綺麗に当てはまる瞬間があるのかって思った。結局そのストレスに押されて受験は失敗した。今通ってる大学は、三つ目の志望校なんだ。まあ、だからと言って今の生活が悪いとかはないけどさ。普通に良い大学だし?」
俺は無理に笑顔を作る。
「それから2年経った今でも、しつこく粘着されてる。ラミも見たあのコメント達だよ……え?」
振り返ると、ラミは涙を流していた。部屋の照明は薄暗い橙色になっているが、その中でも明らかに輝いて見える。
「ど、どうしてラミが泣くのさ」
「だ、だって……翔太さん、なにも悪くないじゃないですかっ。それなのに、こんなひどいこと言われて……」
いいか? お前は何も悪くない。
「……悪いよ」
「……え?」
「ラミは知らなくてもいいことだけど、俺は、悪いやつなんだ。だからこうやってクソだとかゴミだとか言われるのも、当たり前なんだよ」
「そんなことないですっ!」
ラミは机に質量を任せた俺の腕にしがみついた。
「私を、守ってくれたじゃないですかっ……それだけじゃなくて、こうやって家にも置いてくれて……。悪い人なわけないですっ」
「じゃあ、ラミは俺のこと、どれくらい知ってる?」
「えっ……」
俺は錆びついた眼で彼女を見つめた。
「知ろうとしなくていい。きっと、俺のこと、嫌いになっちゃうよ。この家から出て行きたくなるくらいには」
頬にキスされたって、そりゃばりばり好意あるでしょ!
本屋で湊に言われた言葉を思い出す。もしラミが俺のことを良い人だと思ってくれてるなら、せめてこの子の前ではそういう人でいてあげたい。俺の懺悔なんか、聞かせなくていい。
どっちが本物なのかなんて、俺にももうわからない。
「最低な自分とは違う、輝かしい人生が見てみたくて、小説を書き始めた。悪く言えば、現実逃避だった」
俺にとっては、
それが、今はどうだ? 俺は、何になった?
「今は……餌を撒いてるだけかもしれない」
「え、えさ……?」
「読者は、日々の中に、通常状態とは違う少しの刺激を求めて、このページを開きに来る。ご飯を食べたり、寝たり、ネットを見たりするのと変わらない刺激量。それには適量がある」
こんなことラミに言っても、難しいかな。
「面白くなければ叩かれるし、逆に刺激が強すぎても文句を言われる。だからちょうどいい刺激だけをみんなに提供する」
今日も水槽には金魚がいる。
「翔太さんは、ほんとは小説、書きたくないんですか?」
「……わかんない。元々、書きたくなかったのかもしれない。まあどっちだったとしても、俺は注目を集めるべき人じゃなかった」
水槽に撒いた餌には、金魚がたかってくる。
「一度注目を浴びたら、その後は不思議なことが起こるんだ。どれだけ中身のないものを作っても、高評価が付くの。俺が書いたからって理由でさ」
餌をあげ続けると、金魚は水槽の上に手をかざしただけで寄ってくるようになる。もう餌の味なんてどうでもいいんだ。
「それは、ファンの人達ですよねっ……」
俺は頷く。
「そうだね。ファンの人達。でもファンなんて呼び方が合っているのかは、わかんないかな。応援してくれるのは力になるけどね」
少し間違えれば、すぐに腹を立てて反逆の刃を向ける奴らだ。インターネットが出来てから、この世の人間はみんな多重人格者になった。
誰かを信じる方が難しい。
「ファンがいるってことは、翔太さんを認めてるってことじゃないですか。悪い人だと思ってるのは、悪口書いてるほんの一部の人達ですよ」
「あれは、金魚じゃなくて
「か、蛙? ゲロゲロですか?」
「うん」
元々、
「井戸の中の蛙は、海の広さを知らない」
ラミはぱっと顔色を変えた。
「それ知ってますよ! されど空の青さを知るですよねっ!」
「そう、よく知ってるね」
「本で読んだことあるんですっ」
嬉しそうに笑う。
「それが良い意味の言葉なのか、実際怪しいところもある」
「え、良い意味じゃないんですかっ……?」
彼女は急に不安そうになった。眉毛がきゅうっと寄る。
「人は良くも悪くも依存するからね。井戸の中がこの世界の全部だと思ってる蛙も少なくない。そういうやつは自分の好きなものの青さだけを知っていて、他には全く目を向けない。そもそも知らないし知ろうとしない」
それをなんとなく都合よさげに書き換えたのがあの言葉なのかもしれない。
「そういう人たちは深い井戸の底でずーっと鳴いてるだけだから別にいいんだよ。俺が餌やる必要ないもの」
そもそも蛙は金魚の餌を美味しいと思うのだろうか。
「……って偉そうに言ってる俺も、所詮蛙なんだけどね」
「違いますっ」
ラミは大きく首を横に振った。
「翔太さんの小説は蛙なんかに書けるものじゃないですよ! 空の青さだけじゃなくて、もっといろんなものが詰まってます! まだ少ししか読めてないですけど、私はそう思いました。きっと、翔太さんが今まで見た来たものだとか、考えてきたことだとか……」
「っ……」
ラミは、そう言ってくれるんだね。
「私は翔太さんのことまだ全然知らないですけど、翔太さんの文からは、翔太さんがすごく優しくて愛のある人だってことが伝わって来たんですっ。だからっ、私は胸を張って言えますよ! 翔太さんは悪い人なんかじゃないって」
彼女は両手をぎゅっと握って必死に跳ねるように俺に訴えた。
「……そっか」
この世の人間全員がみんな君みたいな人だったら、誰も傷つかない世界が出来たのかもしれないね。
俺はふぅっと息を吐いた。湿度の低い知ったかぶりのような
「ありがとう、ラミ。そう言ってくれるだけでも、嬉しいよ」
「翔太さんっ……」
俺はパソコンを閉じて立ちあがり、寝室の方へ向かおうとした。瞬間、ラミに後ろから抱き締められる。
「らみっ……」
彼女は何も言わなかった。こういった時にかける言葉を持ち合わせていなかったのかもしれない。
ただそれは、どこまでも正解だった。
ささやかな時間の中で、俺は彼女に温められた世界を塩水で満たしていたからだ。
◆次回予告
第十話 変数的恋愛表示 2020年11月4日午後10時公開
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