第八話 寒気
午後5時。まだ太陽は空に形をとどめている。
俺は自分の部屋の鍵を回してドアを引いた。
「ただいま……」
自分の声が部屋の奥の方へ響いていって、すぐにそちらからどたどたと物音がした。可愛い女の子が走ってくる。
「翔太さんっ。おかえりですっ!」
彼女は俺に飛び込んでぎゅっと抱きついた。
「おっと」
あまりにいきなりなそれに、俺は少し後ろへよろけた。閉じるドアを手で支えてゆっくり閉め、鍵をかける。
「あ、ごめんなさいっ」
ラミはぱっと俺から離れた。
「なんか、あったの?」
「いえ、その……」
指を編む。
「寂し、かったです。早く、帰ってこないかなぁって思って……」
え。
「遅くなってごめんね。パソコンだけじゃ、退屈しちゃったかな」
何も持っていないラミをずっと部屋で待たせてもかえって苦しいだろうから、俺のパソコンのロックナンバーを教えて使えるようにしてあげたのだが。
彼女はううんと首を横に振る。
「翔太さんの小説も、読みましたよっ」
「は!? マジで!?」
まさか〔Count Stack〕まで探り当てられるなんて……。確かにブラウザのブックマークにしてあるけど。
「初めてここに来た日に、小説、書いてたじゃないですかっ。なんかすごく気になって、探したんです!」
あぁ、そう言えばそうだった。俺は起きてるラミに気付かずにここで夜深くまで文字を打っていたのだ。まさか小説であることまで見抜かれてるとは思わなかった。
「おいおいやめてくれよ……、恥ずかしいな」
「凄く面白かったですよ! まだ全部読めてないですけど」
ラミは目頭をきゅっとつまんだ。結構ぶっ通しで画面に張り付いていたのだろうか。紙媒体の本を用意してあげてもいいかもしれない。その丸眼鏡、一応ブルーライトカットなんだけど、目弱いのかな。
「それは、よかったけどさ……」
俺はデスクトップの横に荷物を置いて部屋を見渡し、食卓の上に置かれたバウムクーヘンに気が付いた。
「え、これ何?」
俺はラミに聞く。
「あ、お昼に、俊さん? って人が来たんです。翔太さんの弟さんだって言ってたんですけど」
俊が?
「ラミが出たの?」
「は、はい。インターホンが鳴って、ドアスコープ覗いたら、翔太さんにそっくりだったので、帰って来たのかなって思って……」
「おかえりなさいっ……って、あれ……? ち、ちがう……?」
勢いよく開いたドアの先にいたのは、翔太さんよりも少し背の低い翔太さんでした。翔太さんよりも、少し細身です。
「あれ、部屋間違えたかな……」
優しい声。
「凪崎翔太って、ここで合ってますよね? あ、もしかして、彼女、さん?」
「え、あ、はいっ」
翔太さんの名前、知ってるっ? ……て、てて、てかっ、彼女って言っちゃった!
「そ、そっか翔兄、いつの間に彼女なんか」
「しょ、しょうに、い……?」
「あ、僕、凪崎俊って言います。翔太の弟です」
「すぐる、さん……」
弟さん、いたんだ。
「あの、翔兄いる、かな……?」
「あ、アルバイトに行っちゃってます」
「そ、そっか」
俊さんは頬を掻いて、じゃあ、と袋を差し出しました。
「これは?」
「今日近くに用事があって来たんだけど、せっかくだからお土産をって。この間実家返って来た時、ろくに話せなかったから。よろしくって伝えておいてくれるとありがたいです」
「わ、わかりました……」
私はその袋を受け取りました。俊さんはすぐに頭を下げて、行ってしまったのです。
「ってか俺だったら、普通にピンポンせずに鍵開けて帰ってくるよ」
「そ、そうですよねっ……」
彼女は少し俯いた。俺はその頭に手を当てる。
「無事でよかった。また悪いやつだったら、連れてかれてたかも」
彼女は目線を上げて俺の目を見た。潤った麗石だ。
「今度からは、翔太さんと一緒の時以外は、外出ないようにします……」
そこまで束縛するつもりはないんだけどな。でも命が狙われてる以上は、安全なところにいるのが一番だ。
「あと……」
「ん?」
「俊さんに怪しまれないように、翔太さんの彼女だって言っちゃいました」
「え、ラミが?」
彼女は恥ずかしそうに目を横に流しながら、こくりと小さく頷いた。
「ご家族にも伝わっちゃうかもしれないです。私のこと、彼女だって……」
「あ、あぁ……」
心が曇る。
「まあ別に、家族なんて、関係ないから……」
「えっ?」
すっと落ちた俺の声のトーンに、彼女は困惑した表情を浮かべた。不安そうに俺の顔を覗く。
俺はすぐに笑顔を作ってラミの頭に手を乗せた。
「なんでもない。気にしないで、大丈夫」
「翔太さん……」
ラミは心配そうに俺の名前を呟いた。
家族のことは俺の問題だから、ラミが心配することではない。
「それに、周りには彼女だって思われても、問題ないかもしれない」
「えっ、え?」
彼女は目を大きく開く。
その奥には、なんだろう……
「ラミを、この家に置くことにしたから。今日から居候として、ラミがこの家に頼らなくてもよくなるまで俺が面倒見るよ」
「ほ、ほんとですか!?」
まだ正式に彼女を居候にすると伝えてなかった。でも、俺の家にいても悪さはしない子だし、逆に危ない世界に
具体的に、どうなったらその生活に終わりが来るのかはわからないけど。
「同棲してるってことになるからさ。周りからは彼女って思われてた方が、怪しまれないし、自然かな?」
「私、ここにいてもいいんですか……?」
「いいよ。大丈夫だから」
俺がそう言うと、ラミはぎゅっと俺に摑まった。押し付けられた彼女の顔。やがてシャツを通してじんわりと 温かいものが滲んできた。
「ラミ……?」
「ごめんなさいっ、嬉しくて……」
父親を失ってから、ずっと一人だったんだもんな。こうやって安心して深呼吸ができる場所があった方がいいよね。
「ずっと欲しかったんです。私に、温もりをくれる人」
「温もり……」
おかえり、
「っ……」
眼球を這うような
俺に、温もりをくれた人のこと。
俺はラミの背中に手を当てた。自分がそんな人間じゃないのを知りながら、この部屋の冷房に肌が凍りそうになるのを避けられなかった。
泣くな。
お前はもう大人だろうが。
一人の男だろう。
うじうじしてんじゃねぇよ、気持ち悪い。
今更、何言ったって遅いんだよ。
お前は、
そうやって生きろ。せいぜい、誰も傷つけないようにな。
誰かを守るなんて、贅沢な話なんだよ。
俺が風呂から上がると、ラミはすでにベッドに横になっていた。
太陽に夜を裏打ちされるまでまだ1時間ほどあるが、摂血族は結構寝るの早めなのかもしれない。
俺はベッドに近づいて、気持ちよさそうに眠るラミの顔を覗いた。起きてる間かけていた丸眼鏡は枕元に小さく折りたたまれている。
こんなとこ置いといたら、寝返りで割れちゃうよ。
俺は丸眼鏡を取った。
この丸眼鏡が、割れた時。
「……」
俺は手に取った眼鏡をかけてデスクトップへ向かった。
パソコンから〔Count Stack〕にアクセスする。今日はエピソード更新日だ。正午の公開から約11時間。反響はどうだろうか。
「……まあ、そうだよな」
[暖かくていいですね〜]
[早く続きが読みたいな]
[悲しいと言うより痛い...でも続きが気になるんだよなぁ]
[更新ありがとうございます]
[すごい描写力ですね。その文才、憧れます!]
特に、変わらない普段と。
[こいつまだ小説書いてんのかよ。人間として終わってんだから早く引退しろ]
[ゴミ作家お疲れ様]
[なんでこの作品が人気なのかわからない]
[こんなんで人気出てるとか、作者有頂天だろうな~w]
何も、変わらない。
[文才だけでちょっと目立っただけだね。全く面白くない。落ち葉の葉脈数えてた方が有意義な時間]
これはネタコメントなのか……?
今日一日のアクセス数が1万と少し。更新日はちょっと伸びるからこんなんだけど、飛んでくるコメントはわけわからないのが多い。
「はぁ……」
思わずため息が出る。
なんでこんなことしてるんだろうな。小説なんて、好きでもなんでもなかったんだけど。わざわざ嫌われ役になって。
「んー……」
ことん。
「え?」
机の上に何かが置かれた。グラスに入った、コーラ?
俺はそちらを向く。
「お疲れ様ですっ……」
「ラミ……」
いつの間に。てかなんで音がしないんだよいつも。
「起きてたの?」
「はいっ。あの、少し不安で……」
ラミはパソコンの画面を指さした。
「あ、あぁ……」
そういえば、ラミもこれ読んでたんだっけ。じゃあ、このコメントも……。
「ひどいこといっぱい書かれてたから……なんか、読んでて苦しかったです……」
ラミはシャツの裾をきゅっと握った。
「まあ、これは……俺の、せいなんだけどね」
「……え?」
◆次回予告
第九話 悪い人 2020年11月1日午後10時公開
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