ささやかな時と部屋

第七話 アルバイトの朝

 SNSで神絵師と話題!

 2025年のWeb絵師界最高傑作!


 俺が手に取った画集の帯にはそのような文字が書かれていた。確かに彼の実力は凄まじいものがあるし、多くの人気を集めている。人の心をく絵を描く人だ。


 正体を明かしていない絵師だが、実はその正体はすぐそこのレジに立っている青年である。


天竺てんじくあおいさん」


 俺はその青年に声をかけた。

 

「画集の売れ行きはどうですか? ものすごい称賛コメントで溢れてますけど」


 青年は俺に気付いて焦ったように人差し指を唇に立てた。


「ちょっとやめてよ。誰かに聞かれたらどうすんの?」


「今俺たちしかいねぇから大丈夫だ」


「だとしてもその名前で呼ぶのはららぽーとの時だけにしてよ。次呼んだら、凪のこともLullって呼ぶよ?」


 それはまずい。


「それはダメだ。俺の活動にはアンチがいるから下手したら殺傷される可能性がある」


「なんで僕にアンチがいないと思ってるんだよ」


「いるのか?」


 それはそれで意外である。


「いるでしょ誰だって。自分のこと嫌いな人は一定数いるよ。何してたとしても」


「そ、そっか。わかったよみなと


 俺は青年の胸元にかかっている高坂こうさかと書かれたネームプレートに目をやった。


「世間には、俺らのこと知ってる人が結構いるんだよな」


「そうだね。一応エゴサーチ可能なくらいだしね」


「その二人がこんな駅地下の本屋でバイトしてるだなんて誰が思いつくんだろうな」


 池袋の駅ビルにある林宝堂りんほうどう書店。その地下一階で俺らは店の開店を待ちながら店内の準備をしている。開店は午前10時だ。


「実際に暮らしててもさ、すれ違う人の名前も知らないでしょ?」


「そうだなぁ。そう考えると得体の知れないものに囲まれながら生活してんだな」


「言い方よ」


 湊はふっと鼻を鳴らすように笑った。


B1地下一階準備大丈夫?」


 すぐ近くのエスカレーターから俺らと同じ緑色のエプロンをかけたおじさんが降りてきた。頭の砂漠化が若干進行していて危ないが、優しいおっちゃんである。


「あ、三村みむら店長おはようございます。こっちはいつでも大丈夫ですよ」


「おっけ。ありがとう!」


 店長は両手でオッケーサインを作った。今日の地下一階のシフトは俺と湊だけだ。このフロアはあんまり広くないから二人でも十分回すことができる。


 俺と湊は上階に戻って行く店長に軽く頭を下げた。


「湊、今日は午前中だけって言ってたっけ?」


「うん。午後は、ちょっと約束があるから」


「あぁ、彼女か」


 湊は少し恥ずかしそうに口角を歪めた。


「まあ、うん」


 俺はレジカウンターの崖に両手を引っ掛けて体重を後ろに軽くかけ首の後ろと背中の筋肉を伸ばした。


「いいなぁ。幸せそうで」


 湊と知り合ってまだ1年と半分くらいだが、こいつはマジでいい男である。それは男らしいという意味ではなくて、人間としての精神が完成されすぎているのだ。優しくて最高の彼氏なんだろう。彼女ちゃんが羨ましい。


「彼女ちゃんとは最近どうなの?」


「うん? 相変わらずだよ。ずっと可愛いし、ずっと好き」


 ほら、こういうところ。男友達に自分の彼女可愛いって普通に言えるの最高だろ。


「尊いな、最高だ」


 俺は崖から手を離した。


「あれ、幼馴染なんだっけ?」


「ん、あおいが? あぁ、そうだよ。保育園、の時からか……。そっから小中高全部一緒。さすがに大学は違うけどさ。小学校の卒業の時に葵に告白されて、あ、両片想いだったのかってなって、そっからかな」


 葵というのはその彼女ちゃんの名前だ。俺も面識がある。湊の言う通り可愛らしくてとてもいい子だった。


 絵師としてのペンネームはそこから取ったそうだ。天竺葵と言うのは花の和名で、彼の誕生日である6月28日の誕生花らしい。カタカナで書くと、なんか元素みたいな名前だったのだが、詳しい名前は忘れた。


時間を過ごしたってわけね」


 俺は顎に手を当てて眉を傾ける。


「何? 別に上手じゃないよ?」


「うるせぇよ」


 湊は軽く笑う。


「凪は彼女いないの?」


「お、なんだ挑発かい?」


「違うよ」


 俺はエプロンのポケットに手を突っ込んで少し後ろにった。中に入っているはさみの持ち手が人差し指と中指に衝突する。


「いないよ」


「えぇ、気になる人とかは? 身近な女の子とか」


 身近な女の子。


 俺は今朝のことを思い出した。





 朝8時。目覚めると、前日と同じようにラミが俺の袖を軽くつまむようにして眠っていた。


 昨夜、ラミにバイトがあることを伝えた。留まる家がある分には特に外に外に出る必要がない彼女は、俺がバイトで家を空けている間の留守番を頼んである。


 俺は彼女を起こさないようにそっと布団から出た。それからあまり大きな音を立てないように着替えを済ませて、栄養ゼリーを腹に貯めた。


 摂血、させてあげた方がいいかな。今日帰ってくるの夕方だし。


 俺は寝室のスライドドアをゆっくり開けた。寂しくなった手を胸の内に畳むようにラミは眠っていた。静かに寝息を生む唇の間に、人差し指をそっと差し込む。キスをした時に感じた温かさが、指先からじかに伝わってくる。


 ちぅちぅ。


「んっ……」


 彼女は指を離してぴくりと動いた。それでも起きる気配はない。昨日の朝と同じだ。


 行ってくるね。


 俺は心の中でそう言って、ラミの頭を優しく撫でた。そして不意に「何をしてるんだ俺は」と我に返って、荷物を肩にかけて寝室を後にした。


 玄関。靴を履いて、ドアノブに手をかける。



 ぎゅっ。



「え?」


 俺の足は腹部への白い圧迫で止められた。背中にはぴったりと、温もりと香りが張り付いている。


「らみ?」


 俺は振り返って彼女を見た。丸眼鏡をかけて、背中まで届く髪を重力に任せた寝起きの薄いまなこで俺を見つめている。


「行ってらっしゃい。翔太さんっ」


 彼女は優しい声でにこやかに言った。綺麗な笑顔に、心臓が脈を打つ。

 

「っ……」



 ってらっしゃい、翔太しょうた



「行ってきます」


 俺は息を解いて、少しかがみながら彼女の頭に手を置いた。


「えへへっ」


 彼女は嬉しそうに肩を吊り上げると、右手を胸に添えてその唇を俺の頬へ運んだ。柔らかい感触が押し付けられる。


「らみ……」


 彼女は唇を離すと少し顔を下へ傾けて上目遣いで俺の目を捕らえた。それから恥ずかしくなったのか、目をぎゅっとつぶって顔を赤く染めると、くるっと背中を向けてリビングの奥の方へとてとて走って行ってしまった。





 考えてみれば、彼女のようなものかもしれない。


「……いなくは、ないかな」


「いるんじゃん」


「でも、なんつうか……彼女っていうのとは違う気がすんだよな」


「女友達ってこと?」


 湊は店の前に張られているロープを外して壁側に繋ぎとめた。腕時計に目をやると、ちょうど10時を回っていた。


「そうだなぁ、恋人ってなると、違和感がある感じ?」


「あぁ、ね。あるよねそういう関係」


 実際恋愛なんて自由だし、16歳の美少女と恋人になるのは別に問題はないのだろうけど。脱法ロリみたいだから。


 でもどうなんだろう。俺も恋愛経験がないわけじゃないから昔と比べることができるのだが、何か引っかかることがある。でもそれは彼女が悪いんじゃなくて、俺に何か原因があるのだろう。



 そもそも誰かを愛するなんて、俺がすることじゃない。



「時間が経ったら、変わるかもしれねぇな」


 俺はとりあえずそんな言葉を吐いた。


「もしかしたら、相手が好意を持ってるかもしんないね。あんまり表からは見えないことが多いけどさ」


 俺に対しての好意。

 

「頬にキスされたけど、好意あんのかな」


「え!?」





◆次回予告


 第八話 寒気  2020年10月31日午後10時公開

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