第五話 即席護衛

「え、な、なぜ……」


 男は俺の表情を冷静に読み取ると、ドアに手をかけて勢いよく開き、俺を押しのけるように玄関を上がった。


「ちょっとっ、何勝手に……」


 まずい。ラミがっ。


 男は大股でリビングに進んだ。俺も急いでその後を追う。


 しかし。


 ……あれ?


 食卓の上には、完食されたカレーの皿。その椅子には誰も座っていなかった。居間に接する形で設置されているスライドドア。その向こうは寝室だ。


 隠れたのか?


「あの、何なんですか?」


 男は俺の声を無視してリビングを見回すと、そのまま何も言わずに寝室の扉を開けた。そしてその先。


「きゃっ!」


 男が開いた扉の先には、下着姿の美少女が立っていた。髪型はついさっきまでとは違って、一つに束ねた黒髪を左肩から胸の前に下ろすお母さんスタイル。おまけに俺が執筆する時にかけていた丸眼鏡を装着している。


 え、ラミ……?


 俺は瞬時にそれがラミの変装であることに気が付いた。


「しょ、翔太ぁ!」


 ラミは毛布で体を隠し、男の脇を抜けて俺の下へ走って来た。抱きつく彼女を両手で受け止めて、頭と背中に手を回す。その呼び方は、だろう。


「その子は?」


 俺は彼女をかばいながら冷静を装う。こういう時に打つ芝居には型がある。


「……俺の彼女、です。傷つけたら、殺します」


 俺は男を強く睨んだ。今目の前にいるのは、勝手に部屋に上がって大切な恋人の裸を覗いた野郎だ。


「翔太さんっ……」


 ラミは男に聞こえないように俺をぎゅっと抱き締めながら囁いた。俺も耳元で大丈夫だよと返す。心臓が弾け跳びそうなのは、彼女にも伝わっているだろうか。


「ほんとですか?」


 彼女は怯えた目で男の方をちらりと向いて、すぐに俺の方に顔を戻した。


「ほんとも何も、何なんですか、あんたは。人の家勝手に入って来て。何の調査なのか知りませんけどこいつは俺の彼女です。もしかしたらあんたの探してる女の子に似てるかもしれないけど……」


 俺はラミの頬に手を当てた。至近距離で彼女の瞳を見つめる。


「こんなに可愛い子、他にいねぇから」


「っ……! 翔太さ――――」


 んっ……。


 俺はラミの唇に温もりを押し付けた。彼女は驚いたように目を開いたが、すぐに気持ちよさそうに目をつむって唇を求めてきた。背中に回された手にはぐっと力が込められている。即席の偽装恋愛だが、その唇の柔らかさに毛細血管がほつれるような気持ちよさを感じた。


 偽りの愛情がのさばるこの世の真理が刹那に顔を出したような、そんな気分だ。


 俺は唇を離してラミを抱き締めた。毛布で滑る背中をゆっくり撫でまわす。それから目線を男に移して、冷却した。


「……わかったらさっさと出てってください。てか、警察呼びますよ」


「……ちっ」


 男は無機質な舌打ちを部屋に響かせて何も言わずに部屋を出て行った。乱暴に玄関の扉が閉じられる。


 なんだよ、あいつ。こっちも恋人でもなんでもない女の子を勝手に彼女にしてキスまでしてるから人のこと言えないけど、普通に頭おかしいだろ。人の家勝手に入り込むって犯罪じゃねーかよ。


 身の上を明かさないと言われた時に無視しておけばよかったと後悔した。相手の情報を何も握れないまま、相手を追い出してしまったからだ。ラミを守るためだったとしても、少し軽率な判断だったかもしれない。


「……っはぁ!」


 俺は張り詰めた息を解いて、彼女の身体を離した。


「危なかったぁ。大丈夫? ……ってあれ」


 美少女はぼんやりと空気を見つめている。


「ら、ラミ……?」


「ちゅ、ちゅぅ……」


 ネズミの鳴き声のように甘い声を絞って、ラミは唇を指先で撫でた。その目にはじんわり雫が浮かんでいる。


「あ、ごっ、ごめん! さすがにやりすぎちゃったよね、恋人でもないのに……」


 彼女ははっとして、かけていた丸眼鏡を外した。


「い、いえっ。その、初めてだったので……。こちらこそすみません、二回も助けていただいて。それに恋人に扮したのは私の方なので……でも、いろんな意味でどきどきしましたっ……」


「それにしても、よくあんなすぐに変装できたね」


「翔太さんとあの男の人の声が聞こえて、すぐに昨日の人だって気付いたんです。それで急いで隠れて、あの、机の上のこれも、勝手に付けてしまって……」


 彼女は両手で柔らかく握っている丸眼鏡を俺にそっと返した。ああ、とそれを受け取る。


 よく見つけたな。これかけて、髪型直して、服を脱いで俺の恋人であるように感じさせたのか。


 そうしたとしても外見の違いはほとんど丸眼鏡しかないのに、躱せるもんなのか。確かにあるのとないのとで印象めちゃくちゃ変わるけど。でもきっと玄関にある靴で気付かれてたから、よく出来た偶然を装うしかなかったわけか。


「とりあえず、服着ようか」


「えっ、あっ……は、はいっ……!」


 彼女は毛布の上からぎゅっと胸を抑えて顔を真っ赤にした。それから何も言わずにさっと立ち上がってとてとてと寝室へ戻って行った。


 咄嗟に下着を見せることにした覚悟は称賛に値するかもしれないが、そこまで大胆に芝居を打っておいてちゃんと羞恥心で塗り絵もできるのは天性の可愛らしさと言えるかもしれない。


 命と下着だったら、どちらが大切かという話だろう。


 ……どんな話だよ。





 スライドドアを開けて彼女が出てきた。髪型も服もさっきと同じだ。


「ラミさ」


「はい?」


「あいつらに見つかった時の服装だと危ないかもしれないから、俺の服使う?」


「えっ、いいんですか?」


 彼女は胸に手を押し付けて、こてんと首を傾けた。


「うん。それにこの丸眼鏡もつけてていいよ。結構印象変わるから変装になると思うし。まあ、普通に似合ってて可愛いし」


「ふぁ!? か、かわっ……」


 俺は顔を真っ赤にする彼女の耳に、丸眼鏡のモダンを引っ掛けた。レンズの向こうのキラキラした瞳は、俺を真っすぐに捕まえて揺らしている。


「あ、あの……翔太さんっ」


 彼女は瞼をやわく閉じた。


「ん? どうしたの?」


「もっ、もう一回……したいです……」


「……もう一回?」


 小さな白い手は俺の左胸に添えられて、互いの心臓の距離が縮まった。ピッタリと彼女の身体が俺にくっついている。


 そして俺に押し付けた顔の奥底から、依頼がぽつりぽつりと蒸発してくる。


「ちゅー……ダメですか?」


「え?」


 それは、接吻。


「も、もう一回? なんで……」


「なんか、ドキドキするんです。もう怖い人はいないはずなのに、治まらなくてっ……」


 心臓の高鳴りにはいくつかの原因があるらしい。


「さっき、ちゅーしてもらった時、すごく気持ちよくて落ち着いたんです……。だから、その……」


「もう一回、したいの?」


 こくりと、頭が縦に動く。


 うーん……。


 俺は彼女の肩に手を置いて、ゆっくり体を引き剥がすように優しく押した。


「さっきはしょうがなかったけど、そういうことは、大事な人とするものだと思う。落ち着くって言ってもさ、やっていいことと悪いことがあるっていうか、限度っていうか……」


 俺がそう言うと、ラミは少し寂しそうに俯いた。思った以上に落ち込ませてしまって、俺は逆に焦る。


「じゃ、じゃあ、ハグは? キスはさすがにあれだけど、ハグなら、どうかな?」


 俺は彼女に向かって両手を広げて見せた。


「は、はぐ……?」


「うん。俺なんかに抱き締められて、ドキドキが治まったり、安心したりするとかって保障はないけどさ……」


 彼女は何も言わずに広げられた俺の手の下に両手を通し、ゆっくりと食むように俺の身体を抱き締めた。背中には彼女の小さな手が押し付けられて、前からは彼女の小さな柔らかさがやってくる。


 俺も彼女の背中に手を添えて、どこが傷ついているのかもわからない華奢な身体を包んだ。と、偉そうに言って、ほんとは包まれているのかもしれないという錯覚を胸のどこかに生み出す。


 懐かしさを感じるような温もりだ。

 

 俺はちょうど肩程の高さに来る彼女の頭に手を置いて、ゆっくりとぽんぽんした。彼女は嬉しそうに喉を鳴らして、俺の胸に頬を擦り付ける。彼女の柔い声帯からあふれ出すショコラの泉。


 不思議な感覚だった。相手は恋人でも家族でもないただの女の子だ。しかも人間とは違った種類の。それなのに、胸の内から俺に似つかわしくない情愛が逆流してくる。


 守りたいのか、はたまた愛でたいのか。


 もしかしたらそれは、背徳を感じなくなったただの性欲なのかもしれない。


 静かに身体を離す。


 エアコンの吐息。


「……これで大丈夫?」


 俺はラミの顔を覗いた。その頬に触れて俺は異変に気付く。


「らみ?」


「うっ……はぁ、はぁ」


 抱き寄せた時には感じなかった熱を彼女は持っていた。それも相当の。


 そのまま俺に体重を任せるように彼女は倒れこんできた。


「大丈夫!?」


「しょ、しょぉた……さ……っ」


「ラミ! ラミっ!!」


 彼女はそのまま意識を宙に浮かしていった。





◆次回予告


 第六話 覚え  2020年10月25日午後10時公開

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