第四話 身の上

「一緒? 合コンに?」


「え、ごぉ……?」


 じゃないじゃない、何言ってんだよ俺は。


「あ、ごめん。なんでもないんだ……え、一緒っ?」


 俺は眠気のもやの向こうに彼女の言わんとしていることを見つけた。


「え、えとっ……」


 彼女は恥ずかしそうに頬を染めていた。


「嫌でしたら、いいんですっ。でもせっかくお布団で寝れるから、誰かと一緒に寝たくって……」


「あ、あぁ……」


 やましいことなど何もない。大丈夫だ。大丈夫、なんだけど……。


「だめ、ですかっ……?」


 言葉に悩む俺に気付いて、ラミはうるうるさせた瞳を俺に向けた。


 そんな顔されたら断れなくなっちゃうよ。


 俺は息を解いて、彼女の頭に手を置いた。


「いいよ。大丈夫。でもあれ、俺、いびきうるさいかもよ?」


「っ……! 大丈夫ですよっ。お父さんもすごかったので!」


 お、おぉ。なんで急にお父さんディスられちゃう? まあ別に、いっか。


「えへへ、やったぁ……」


 俺にばれないようにしているのか、小さくガッツポーズをして寝室へ向かおうとするラミ。可愛いのは間違いない。


 でもほぼ初対面の男と一緒に寝れるって、それ女の子としてどうなんだろうな……。まあ俺のことをとして意識してない可能性もあるけど、それはそれでピュアが過ぎる。


「とんでもないことになったなぁ……」


 俺は俺にすら聞こえないほど小さく呟いて、リビングの電気を消した。





 マリンバの音が外の明るさを知らせた。俺は背中に布団の感触を持ちながら、数秒かけてそのマリンバが着信音であることに気付いた。


「誰々……? てかもうこんな時間……」


 正午まで1時間と少しを指す時計を横目に、指先の感覚だけでスマホを操って右耳に押し付けた。


「もじもじぃ……」


「おいそれは寝起きの声だな」


 やけにカッコいい声が聞こえてきた。


「だいき、か……」


「だいき、か……じゃねぇーんだよ。既読スルーして寝んなや」


 ん、昨日の夜のメッセージのことか。


「あぁごめん。眠すぎて、そのまんま寝たわ。てかあんな時間に送ってくんなよな」


「それは悪かったよ。で、今日来んの? 池袋のカラオケでやる予定でさ、ほらあの可愛い子いるじゃん。うちの学部の、夏澄かすみちゃん」


志摩しまさんね」


「来るってよ。お前もあの子可愛いなって言ってたじゃん。チャ・ン・ス・だ・ぞ?」


「チャンスって言ってもお前が志摩さん狙ってるんじゃねーのかよ」


「まあ、そうだが」


 やっぱりじゃねーか。


りねぇんだなそういうの。ていうか、俺今日行けないわ」


「えっ、マジかよ」


「ちょっと、色々あるから」


「なんだよ。一緒に寝る女でもゲットしたのか?」


 高校生の昼休みみたいなテンションを電話の向こうで繰り広げる大輝。


「そうじゃねぇよ」


 と言いつつ、隣で気持ちよさそうに寝ている吸血系美少女を眺める俺。


 ……あながち間違いではない可能性はある。


「とりあえず行けない。また今度誘ってくれ。あと、女の子のこと呼ばわりすんのやめろ。そういうの嫌な子たくさんいるから」


「なんの経験談だよ」


「普通に考えたらそうだろうが」


 大輝は乾いた声で笑うと、「まあまあ」と話を流した。


「じゃあまた今度な」


「お」


 プツ。


 ふぅ。


 俺はスマホを持った手を布団に自由落下させた。それは何回か小さくバウンドして、スマホを俺の手から剥がした。


 隣から香るいい匂いが鼻を優しく撫でてきた。その流れに引かれて横に目を流す。指名手配中の白鳥が天使の羽衣をまとわせながら目をつぶっていた。運がいいのか悪いのか、俺の布団は羽毛だ。


 力なく少しだけ開かれた口から、甘美かんびな寝息が音もなく溢れている。


 俺は昨日彼女が教えてくれたおとぎ話を思い出した。あれが一体本当なのか。彼女は人の血を吸って生きているのか。いまだに信じられない部分がある。


 俺は人差し指を立てて、彼女の唇の間にゆっくり差し込んでみた。妙に血色のいい唇の柔らかい感触に指先が包まれたと思いきや、彼女は胸の間に納めていた手でその指先を取って、ぱくりと咥えた。


 ちぅちぅしている。無意識の中で。


 昨日の時は気が付かなかったが、指先を何かが流れている感覚がかすかにする。それよりも彼女の口の中の温かさと唇と舌の感覚に触覚をすべて奪われてしまうのだが。


 なんか、可愛いなこれ。


「んぁ……っ!」


 しばらく吸っていた彼女は、ぴくんと全身を痙攣けいれんさせて俺の腕をぎゅっと抱き締めた。目をぎゅっとつぶって、荒くなる呼吸を必死に抑えようとしている。その間も小さく体を震わしていた。


 これまるでなんだけど、血を摂取したら起きる反応なのかな。昨日も同じようなことになってたし。だとしたら相当……いや、なんでもない。


 ラミは呼吸を落ち着かせると、また同じように眠り始めた。摂血は寝てる間にもできるみたいだ。そこは人間と違うんだな。


「ラミ」


 俺は彼女の肩をとんとん叩いた。


「ん……」


 彼女はうっすら目を開けて、その奥の瞳で俺を捕らえた。それから、自分の寝姿に目を移して、ぱっと手を離す。


「ごっ、ごめんなさいっ。勝手に抱きついて……」


「大丈夫だよ。気持ちよさそうに眠ってたね」


 俺は布団から体を起こした。彼女も急いで被っていた毛布を退けた。


「まだ眠かったら、眠っててもいいよ」


「い、いえっ。起きますっ」


「そっか」


 俺はリビングに向かった。彼女もその後をついてくる。別に意味はないのだろうけど、なんかお供みたいで可愛らしい。


 冷蔵庫を開けて中身を見る。冷えた空気とコーラぐらいしか入ってない。


「ラミは――――」


「はいっ!?」


 振り返ると彼女は手首に付けていたゴムで髪を後ろに束ねようとしていた。可愛らしいポニーテールだ。半袖から見える脇の下に吸い取られそうになる視線をぐっとこらえて、彼女の目を見た。


「朝ご飯……ってかもうお昼だけど、いる?」


「えっ」


「俺のと一緒に用意するからさ」


 俺は冷蔵庫を閉じて、隣の戸棚を開けた。そこにはインスタント麺やレトルトの食品が入っている。コンビニに買いに行ってもいいのだが、彼女を家に一人にするのはなかなかデンジャラスな予感がする。


「でも、悪いですし……」


「いいよいいよ。袋温めるだけだから、気にしないで」


 ついさっき吸血したばっかだけど、満腹度の自覚はあんまりなかったりするのかな?


「いえ、血液だけで十分なので」


「あ、朝の記憶あるの?」


 彼女はぴくりと瞼を震わせた。


「あ、あさ?」


「朝って言うか、ついさっきの。俺の血、吸ってた記憶」


「えっ!?」


 彼女は大きく目を見開いて、小さな両手で口を覆い隠した。


「いっ、いただいていたのですか!? すみませんっ勝手に……」


「あー違う違うよ。俺があげたの。指差し出したら無意識で吸い付いてたから。あー、ほんとに血吸うんだなってさ……」


「は、恥ずかしいです……」


 彼女は顔を真っ赤にして覚束ないTシャツの裾をぎゅっと握った。


「ごめんごめん。今度からは欲しい時に言ってくれれば大丈夫だからさ」


 俺は小鍋に水道水を注いで火にかけた。


「で、お昼一緒に食べる?」


「い、一緒にっ……」


「うん」


 彼女は今度は緩くて無防備な襟元へ手をやって、いくらか目を泳がせた後、若干躊躇ためらい気味に小さく頷いた。





 俺はレンチンして食べられるご飯を皿の上に出して、その上にレトルトのカレーを開けた。具も安っぽいが大学生の食事としては別に満足できるものである。


「カレー、好き?」


 俺はいつもは使うことのない二つの平皿を食卓に並べながら、大人しく座って待っているラミに聞いた。


「す、好き、です……」


「そっか、よかった。レストランで食べられるような感じじゃないけどさ、お腹いっぱいにする分にはちょうどいいと思うから。はい」


 彼女にスプーンを差し出す。


「い、いただきます」 


「ん。いただきます」


 俺も彼女の反対側に座って手を合わせた。


 ラミは湯気の立つカレーをくるくるした目でしばらく見つめてから、覚束ない手つきでスプーンで掬い口へ運んだ。


「んーっ。おいしい……」


 むふぅ、と鼻から息を吐く。

 俺はカレーを口へ運びながら、彼女への質問を考えた。


「ラミ。聞いてもいい?」


「あ、はいっ……」


「ラミのお父さんお母さんは、もう亡くなってるの?」


 昨日彼女は、両親がもういないと言っていた。それはいなくなったということなのか、この世にいないと言うことなのか。


「はい。どちらも、亡くなりました。お母さんは私を産んですぐに亡くなって、お父さんは私が15歳の時に交通事故で。お父さんがいなくなってから家を出て、そこからずっと一人です……」


 交通事故、か……。


「摂血族は戸籍を持っていないのに、家はあったの?」


「あ、えっと……」


 ラミはスプーンをお皿に置いた。


摂血族私たちは、性別がおんなしかないんです。全員女性なんですよ」


「え? お父さんは……」


「人間なんです。摂血族は世に出て人間の男の人と出会って、恋をして、“契り”を結んで、子どもを残す。そうやって命を紡いでいるんですっ」


「“契り”……」


「戸籍と個人情報がないので、人間みたいに結婚はできないんです。だから、法的に言えばお父さんは独身なんですけど、摂血族の女性と婚姻の代わりに契りを結ぶんです」


「なるほど……。じゃ、じゃあラミも……?」


「っ! そっ、そうですね……。い、いつかは、人間の男の人と契りを結んで、子どもを残します」


 彼女は太ももの間に手を挟んで、恥ずかしそうに俯いた。


「そうなんだ……」


「私のお父さんはすごく優しい人で、お母さんのことも摂血族のことも全部受け入れてくれて、私を守ってくれました。私がいる限りは、お父さんは結婚したりできなくなってしまうのに」


 摂血族の子どもができる以上は、人間の女性と結婚することができない。それは結婚する相手にも摂血族の理解が必要になるからだ。そういう将来を捨てて、契りを交わすなんてことが実現するには、そこに相当な純愛が存在しないといけないだろう。


「素敵な、お父さんなんだね……」


「はいっ。とっても大好きでした。摂血族は人間と同じような教育が受けられないので、学校に行って友達を作るみたいなことができないから、家族がとにかく大事なんです。お父さんは、仕事もしながら私の面倒頑張って見てくれて」


 家族がとにかく大事か。俺とは真反対だな。


 ラミは着ている服の上から形よく膨らんだ小さな胸に手を当てた。


「このTシャツはお父さんの形見なんです。お父さんが死んで、急いで家を出なくちゃいけなくなった時に、一つだけ持って来て。結構大きくて、下着とか見えちゃいそうなんですけど……」


 彼女は目の裏にむず痒さをを感じているような苦い表情を浮かべた。


「学校行ってないのに、ラミはすごく自然だね。普通に人間の女の子を変わらないように見える」


「ほ、ほんとですかっ? えへへ、嬉しいですっ……」


 彼女は口元を緩めて頬をぽりぽりした。ほんとに嬉しそう。


「お父さんから勉強教わったりしたの?」


「いえ、特には……。テレビを見たり、本を読んだりしてるうちに言葉は勝手に覚えられましたし、あ、でも、お父さんには摂血族のこといっぱい教えてもらいました」


「あぁ、そっか」


 お母さんが早くに亡くなってしまっているからか。

 それにしても、摂血族の女の子を15年も一人で育てたなんて普通に凄い話だと思うのだが、人間の子育てに比べたらお金もかからなくて楽だったりするのだろうか。


「それで、家を出てからはどうやって暮らしてたの?」


「基本的にはずっと放浪してました。私が自立して家を出る時のためにお父さんが用意してくれたお金が元々あって、それを少しずつ使いながらって感じです」


「吸血は、誰かのをもらって?」


「はい。満員電車とかに乗り込んじゃえば、私背低いので吸い放題なんですよっ。全然気づかれないですし。できるだけ若い学生さんから血をいただいてました。制服着ててわかりやすいので」


「ほ、ほぉ……」


 満員電車のオッサンの血液を摂取してたりとかすると結構イメージ汚れるけど、若い血を吸っていたならそこまで……。若い方が栄養あったりするのかな。


「結構大変だったよね。あちこち行って」


「そ、そうですね。でも血液自体は4Lもあれば一年生きれるくらいなので、飢え死ぬとかはなかったですっ」


 だいたい一日10mLか。一人相手だったら、毎日ちょっとずつ献血するみたいなものだな。もし摂血族ハーレムとかしたら貧血必至なんだろうけど。


「それで、あいつらに見つかったんだね……」


 ラミはこくりと頷いた。


 摂血族が女性しかいない。基本的には身寄りがない。戸籍も個人情報もない。


 言い換えれば「女性の身体」が法に触れずに存在している状況で、その彼女らを狙っているのだとしたら、やはり捕らえてどのように炒めるのかは自ずと見当がつく。


 考えただけで吐き気がするな……。人間よりも気持ち悪いかも、そういうの。


 俺は目の前でカレーをもぐもぐしている美少女を眺めた。


 殺されると言うのは、もしかしたら肉体的に死亡させることではないのかもしれないな。まだ確証は持てないけど。あんまりラミの前ではそのことについて触れない方がよさそうかな。



 ピンポーン。


 

 インターホンが鳴った。初めて聞く音なのか、ラミはスプーンを咥えたままぴょこっと跳ねた。


「ちょっと出てくるね」


「はいっ」


 こくりと頷く彼女。その小動物感に思わず漏れそうになる微笑みを堪えて立ち上がる俺。


 でも、誰だ? 別にうちに来る奴なんていないんだけど。


「はい、何でしょう」


 俺はドアを開けて来客に顔を出した。


「あ、すいません」


 客は男だった。若く見えるけどもおそらく30代で、白いスーツを着ていた。結構目立つ格好だが、俺の知り合いにこんな奴はいないことは確かである。


「どなた様ですか?」


「ごめんなさい、仕事の都合上で身の上を明かせないのですが、今とある調査を行っておりまして、その協力をしていただきたいのです」


「調査?」


 身の上明かせないってなんやねん、怪し……。


「ええ、人探しです。あの、昨日ここらで白い大きなTシャツを着た女の子を見かけませんでしたでしょうか。年は、16か、17か」


「えっ」


 心臓が大きく弾むのが分かった。そのままどくどく波打ちだす。


 こいつ、もしかして昨日の……。

 だとしたらまずい。標的はすぐそこでお食事中だ。


「み、見てないですね……!」


 俺は平然を装いながらもラミに聞こえるように少し大きく声を張った。


 気付いてくれ。できれば隠れてくれ。このままこいつが帰ってくれればいいんだが、最悪時間は稼いだ方が……。


「そ、そうですか。あ、えっと髪は黒くて後ろで一つにまとめられているんです。身長は150cmちょっとなんですけどね」


 もう完全にラミじゃん。なんでピンポイントでうち来たんだよ。実は気付かれてるのか?


「んーどうでしょう。ここは大学生が寮として使ってるんで、そういう見た目の子結構いるからなぁ……」


 脇の下に汗をかいているのが分かる。


「なるほど。その子が最後に発見されたのがこのすぐ近くなんですよ。それで今このマンションの皆さんに聞いて回ってるんですけど、やはり皆さん知らなそうなんですよね」


「そ、そうなんすか。俺も知らないですね……」


 男は軽く数回頷いて、いきなり止まった。その目線は俺の足元に固定されている。なんだと思ってその目線を追うと、そこにはサイズの小さい女性用の灰色のスニーカーが置かれていた。


 あ……。


「あの、少し中を見させていただいてもよろしいでしょうか?」


 男は俺の角膜の裏まで覗くような鋭い目線を俺に突き刺した。





◆次回予告


 第五話 即席護衛  2020年10月24日午後10時公開

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