第二話 保護

「こ、殺っ……?」


 それはまずすぎる。


 今の日本に殺されるかもしれない相手から追いかけられるなんて状況がどれだけ存在するのかはわからないが、俺がこの扉を閉めたらこの子の命はない……ってことか?


「わ、わかったっ。入って!」


 俺は咄嗟にその子の手を取って少しだけ強く引っ張り入れた。ドアの鍵を閉めて、右手をドアに当てながらスコープを覗く。


 さっきまで寂しさに渇いていた喉はし砂漠になっていた。


 形の歪んだ向こう側の世界には、いつもと同じ風景が投影されていた。が、しばらくすると左側の方から、シャリシャリ、カチャカチャと質量の軽い金属が擦れたり小突かれたりするような音が聞こえてきた。


「っ……」


 少女は俺の手をきゅっと握って、抱きつく。犯罪級のいい匂いがするが、それも今の緊張感の前では無力だった。


 この反応を見る限り、この音は追手のものだろうか。


 音はだんだんと大きくなってきて、スコープの中に人影が現れた。


「きたっ」


 彼女の喉の奥から無声音が聞こえてくる。


 人影は二人だった。どちらも男で、一人は白くて長い丈の上着を羽織っている。もう一人は水色の同じようなもの。私服として街中にいてもわからないくらいの感じ。


 てっきりSFなんかに登場する独特な衣装の殺し屋でも来るのかと思ったら、思ったよりも人間の形をしていた。だが、警察みたいな雰囲気ではない。なんとなくだが、表社会では動いてなさそうな気がする。


 二人は付近を見渡すとすぐに右側に消えていった。上手くかわせたのだろうか。


「だ、大丈夫そうかな……え?」


 俺はスコープの中から視界を引っこ抜き、彼女に視線を戻して固まった。


 ちぅちぅ。


 彼女は俺の親指を握って、ぱくりと咥えていた。そればかりでなく、何やら吸っている。


 俺の指からおっぱいの類は出ないはずだが……。


「んんっ……」


 いささった後、彼女は優しく閉じていた目をぎゅっと絞って俺に抱きついた。


「え、え、なんで……?」


 指を離した唇の間から漏れる濃度の高い吐息が、女性的な魅力を演出していた。彼女が咥えていた指は粘り気なくしっとりと湿っているだけで、特に変わりはない。


 もちろん俺は戸惑うだけである。


「ちょっと。大丈夫っ?」


 俺の胸に顔をうずめる彼女の身体を抱きかかえるようにして、背中を軽く叩いて揺すった。少し揺すっただけだが、彼女の顔を俺の身体から剥がすには十分だった。


 だらん、と力なくもたげられた頭。返事はない。


 力の抜けた表情にどきっと心臓が高鳴った。白くて透き通った肌が織り成す優しい曲線りんかく。幼さを感じさせるが、綺麗に整った顔。


「って、どきどきしてる場合じゃないな……」


 俺はぼそっと呟いて、気を失っている彼女の肩と膝の裏に手を回してベッドまで運んだ。ゆっくり身体を横にすると、彼女の表情も心なしからくそうになった。


 つってもどうすればいいのっ!?


 気を失ってるからあんまり無理にあれこれするのはよくないし。多分未成年の女の子だから間違えたら犯罪になるし。事情は知らないけど命を狙われていたし。


 どうする? とりあえず警察か?


「警察、だよな……そうだよな……」


 俺は呟きながらスマホを取り出した。


 すると。


「だ、だめっ……」


「え?」


 ベッドの上の美少女はまったりと、しかし鋭く跳ねるような声色で言った。俺は思わず2回目の1を押し掛けた指を止めた。そしてスマホをベッド脇に置いて彼女に寄り添った。


「大丈夫?」


 声は聞こえたが目を閉じたままの彼女の肩をトントンする。


「だめなんですっ……」


 小さく囁くような声。


「け、警察が?」


「けいさちゅ、だめなんですっ……」 


 それでは警察以外に何か選ぶべきものがあるのか? 警察に言っちゃいけないってどういうことなんだろう。


 指名手配犯みたいなのだったりするのか? そうとなると、俺も犯罪者になっちゃうのだが……。


「どうして? なんでダメなの?」


 意識が薄い彼女にも聞こえるように、耳元で大きめに聞く。


「ん……」


 肩を叩いても全く意味がなく、彼女はそのまま眠ってしまった。





 時刻は夜の10時を回った。彼女は依然として気を失ったように眠っている。


 俺はずっと迷っていた。名前も年齢もわからない女の子を助けて、警察に届けるのが普通だが、彼女はそれを「ダメだ」と言っている。


 嫌だ、ではなく。


 家出をしていて、警察に通報されると家に戻されちゃうから、という理由を仮で考えてみたものの、それが命を狙われる状況につながるとは考えにくい。つまるところ、彼女に詳しい話を聞けないとどうすることもできないから、俺は変にそわそわしたまんま夜に浮いていた。


 彼女の服装は、華奢な身体をはるかに超えるサイズの白い半袖トップスと、それに隠れてほとんど見えないベージュの半ズボン。それ以外の荷物は見当たらなかった。


 元々持っていないのか、逃げている最中に手放したのか。それはわからない。


 とりあえずお腹もすいたので、夜ご飯を買いに行こうと思ったが、俺が外出している間に何かあったらそれはそれでめんどくさそうだから、冷蔵庫の中のものを適当に食べた。


 問題は彼女のお腹がどうなっているのか。


「腹、減ってる、よな? 多分」


 となると彼女が起きてからまた何か買いに行かなくてはならなくなる。このまま朝まで目を覚まさないのならば、ゆっくり買いに行くことができるのだが。


 まあ彼女が起きるまで待つか。

 話を聞いて、警察に届けるのはそれからでもできる。


 俺はノートパソコンの電源を入れて、〔Count Stackカウントスタック〕を開いた。俺が高校生の頃から使っているWeb小説投稿サイトだ。


 母さんを亡くしてから、俺はくずみたいな自分を明らかにしてくれる物語の世界に足を踏み入れた。自分の言葉で描ける世界に陶酔する時間が、日々の生活の確かな心臓になったのだ。


 Web上では〔Lullラル〕という名前を使っている。凪崎の凪から取ったものだ。別に名前はどうでもいいのだが。


 大学生活の合間の執筆活動。エピソード公開日は月曜日と木曜日の週2回で回している。夏休み期間でちょうどスタックが溜まって来たところだが、学校が始まればすぐに時間が無くなるので、暇があれば原稿を作るようにしている。


 俺は連載ページを開いて、作品の次のエピソードにキーボードを向けた。





 気付けば2時間ほどが経ち、世界が日付の境目をまたごうとしていた。


 俺は執筆する時に使っているブルーライトカットの丸眼鏡を外し、しばしばになった目を数回瞬きさせて擦りながらリビングの方を振り返った。


「えっ」


「あっ」


 ベッドで寝ていたはずの美少女が食卓にちょこんと腰かけている。俺に見つかったのに気付くと、ぴくっと跳ねて口元を指先で押さえた。


「い、いつからいたっ?」


「1時間くらい前からです……」


「嘘っ!? そんなにいた!?」


 逆になんで気付かなかったのか。イヤホンは付けてなかったから、本当に音も無く起きてきたんだな。


「こ、声かけてくれればいいのに。こんな時間になっちゃったし」


「でも、邪魔しちゃ悪いと思ったので……」


 彼女は腿の間に手を入れて肩を狭めた。だぼだぼの白い半袖シャツが流れて、鎖骨と肩を露出させる。性癖に刺さりそうな状況だが、それよりも目を向けなければならないことがある。


 俺はノートパソコンを閉じて彼女へ近づいた。


「調子はどう? 急に気失ってたけど」


「あ、はいっ。もう大丈夫です」


 彼女は可愛らしい笑顔を作った。


「そ、そっか。それはよかった……けど……」


 日付が変わるっていうのに、こんな小さな女の子部屋に入れてるって完全犯罪じゃないか? 誰かに見つかったら人生詰まない? 合法ロリなる人種であることを願うしかないのか……?


「てか、色々聞きたいことだらけなんだけど……」


 彼女はあっ、と跳ねる。


「あのっ、本当にありがとうございました! 助けていただいて……」


「いやいや、殺されるって言うからさ。そんなのとりあえずでもいいから助けるよ……」


 彼女は俯いて何かを話し出そうという雰囲気を醸し出さなかった。


「えっと、ご両親、は……?」


 俺は恐る恐る聞いた。


「いないです」


「え?」


 少し固まって、俺はもう一度聞いた。


「け、喧嘩とかしたの? それで家出したとか……?」 


 彼女は首を横に振った。


「いないんです、もう……。出れる家もないです」


 えっ、それはつまり、身寄りが完全にないってこと? それで命まで狙われてるってどんな状況……。


「そ、そっか……」


 詳しく聞いた方がいいのだが、それ以上掘り返すのがはばかられた。聞くべきことだらけなのに、言葉が詰まってしまう。


「え、えっと……あ、お腹、空いてる? なにか、買って来ようか?」


「あ、それは大丈夫です。もう、さっきいただいたので……」


「え?」


 いただいた……? 


「冷蔵庫の中、なんかあったっけ……」


 頭を掻く俺に彼女は首を横に振る。


 やばい。どういうことなんだ全く分からない。

 

「あの、こんなこと聞くのはあれなのかもだけど……君は、何者ナニモノ? どこから来たの?」


 身寄りがないと言っても、一人だけで生きているにはみすぼらしさがない。髪も綺麗に整えられているし、見る限りお肌もそこらの高校生と張り合えるくらい透き通っている。


 彼女は俺の顔をじっと見つめた。それから右手を軽く握って口元に押さえつけ、困ったように眉を傾けた。


「え、あの……聞いちゃまずい、やつかな……?」


 彼女の反応に、首筋の汗を感じた。


「いえ、その……」


 彼女は恐る恐る俺に聞いた。


「あの、って、知ってますか……?」


「……ん?」





◆次回予告


 第三話 摂血族  2020年10月18日午後10時公開

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