俺は10mL/日、可愛い居候に血を吸われる。

かんなづき

第一章

出会いがしらに事故多し

第一話 急カーブ

 地球は生命の星として生きるのを辞めていた。


 脇の下を濡らしながら、俺は日暮里にっぽり駅の影に身を隠した。太陽に見つかると体をあぶられるからだ。LEDで見やすくなった電光掲示板は、午前10時を回ったことを知らせている。


 外よりは明るさの落ちた駅構内で、俺はスマホを開いた。下から親指でコントロールセンターを引き出して画面の明るさを落とす。


 父親からのLIMEらいむのメッセージ。


「はぁ……」


 思わずため息がこぼれる。


 俺はスマホを片手に通行人を避けながら京成けいせい線の改札をくぐった。10時19分発の快特京成成田けいせいなりた行がホームの時刻表に表示されていた。快特なら目的地まで一駅である。


 成田方向から数えて二両目のホームドアの前に立ち、電車を待ちながら再びスマホに目を落とした。


[うちで昼は食うのか?]


 用事を終えたらちょうど昼過ぎだが、正直実家で昼ごはんを食べる気は起きない。


[いらないよ。すぐ帰るから。昼はコンビニでなんか買う]


 どうせあんたも、俺にすぐ帰ってほしいんだろ? 俺は、最低な息子だから。

 そう心の中で吐いて、スマホの画面を黒くした。


 赤と青のラインが入った京成線の車両が単線のホームに入って来た。その金属の塊はその身長をホームに合わせ、ため息を吐く。ドアの向こう側から香ってくる冷気に心地よさを感じながら溝をまたいだ。


 俺は反対側のドア脇まで歩いて行って、リュックを足の間に置いた。スカイライナーの乗り口となっている反対側のホームが流れていく。俺はポケットからワイヤレスイヤホンを取り出して耳に挿しこんだ。電車が車輪をレールに擦らせる音は薄くなって、俺の好きなJ-POPが流れ出す。


 周りの世界から自分を隔離できる方法。俺はいつまでも変われないのかもしれないと、よわいを20も重ねて今更思った。今日は忘れてはならない日なのに、世界の何もかもいつもと同じ表情をしているのがなんだかむず痒かった。





 青砥あおと駅を南方向に出た。


 実家の最寄り駅。文京ぶんきょう区まで通学していた高校時代は、毎日欠かさず通った道である。その駅前の交差点が、俺にとっては胃酸を感じる場所でもあるにも関わらず。


 思わず立ち止まった。その交差点に信号はない。


 久しぶりに来たけど、やはりここに立つと鮮明に思い出してしまう。そしてたらればを繰り返して、自分が最低だったことに気付く。


 今日はに会いに来た。

 俺にとって、忘れてはならない人に。


 高架下を幾分か歩いて、住宅街の中へ入っていく。つい一年半前までは通学路だった。一時も欠かさず一人だった道だ。目をつぶっても帰れるかもしれない。


 帰るなんて表現が、正しいのかはもうわからないけど。


 気が付くと、「凪崎なぎさき功司こうじ」と書かれた表札の前に立っていた。俺の父親の名前だ。家に帰るときの説明しがたい気持ち悪さは、高校時代と変わらないものがある。


 俺はインターホンを押した。





 実家は特に何も変わっていなかった。前回来たのがちょうど一年前の今日だから、変わるものもないのかもしれないけど。


「ただいま」


 俺はリビングの扉を開けた。


「おぉおかえり」


 キッチンの方から父さんの声がした。

 なにか作業でもしているのか、と思ったらすぐにリビングへ出てきた。


「1年ぶりか。もうちょっと帰って来てくれてもいいんだぞ?」


「なんでよ。別に今日以外に用事ないし」


「そりゃほら、すぐるの誕生日とか、正月とかさ」


 俊というのは三つ下の弟だ。


「あいつはもう兄に誕生日祝ってもらうのをこころよく思う年齢じゃないでしょうよ」


「そんなことねぇよ。一年に一回しか会えねぇ兄貴って方が、なんか、むなしいだろ? 一人暮らししてるっつったって家族なんだからさ」


 家族、ね……。


「俊は、学校行くようになったの……?」


 俺はなんとなくそう聞いた。ぎでも話を繋げようと思ったのかもしれない。当たり障りのない会話だ。


「必要授業数だけ行ってるよ。でも基本的には部屋から出てこない」


「……そっか」


「翔太からもなんか言ってくれねぇか?」


「なんで俺が。何言えばいいんだよ」


 父さんは難しそうに眉をひそめた。

 俺は仏壇のある和室に向かった。その後ろを父さんはついてくる。


「大体、あいつの大切なものを奪った張本人が何を言ったところで何の説得力もないよ」


 俺は荷物の中から結切むすびきりののし紙をかけた箱を取り出して、和室の真ん中にぽつんと置かれたちゃぶ台の上に置いた。


「お前、まだ母さんのこと気にしてるのか? あれはお前のせいじゃないって――――」


「俺のせいだよ。全部。もし俺がいなかったら母さんはそんなところにいないでしょ?」


 仏壇に置かれている額縁を見る。


「父さんだって俊だって表向きは気にするなって言うけれど、心の中では思ってるんでしょ? 母さんが死んだのは、俺のせいだってさ。俺が母さんのこと大事にしなかったから、罰が当たった。神様は見せつけに俺の前で母さんを殺した」


 リュックを障子の傍に置く。それから父さんに視線を戻した。


「この家族に俺が生まれてなかったら、こんなことにはなってない。母親想いの俊と、父さんと母さんと。幸せな家族だったんだ。俺は、最初っからいらなかった」


 パシッ。


 右頬に稲妻が走る。


「いい加減にしろっ!」


 父さんは俺に向かって怒鳴った。それからすっとトーンを落として続ける。


「いいか? お前は何も悪くない。あれは事故だ。確かに母さんが死んでから、俊は引きこもりになったし家族うちは崩れそうになったけど、お前が気に病む必要なんてないんだよ」


「うるさい! 俺はもう父さんや俊とは家族なんかになれる人間じゃないから家を出た。こうやって母さんの命日に家に帰ってくるのだって、母さんに謝りに来るだけで、別に家族に会いたいからじゃない。疲れるんだよ、そういうの」


「っ……」


 父さんは口元を固めてしまった。


「で、でもさ――――」


「でもとかないんだよ。正しいのは俺が見た事実だけ」


「うるさいなぁ……」


 和室の扉が開く。


「母さんの前で喧嘩しないでよ。せっかく帰って来てるのに」


「俊……」


 母さんの命日はちょうど御盆の時期と被っている。今日はまだ送り火を焚いてないから、母さんはこの仏壇に帰って来ているのだ。


 一年に一度、俺が母さんに「ごめん」と言える日だ。


 俊は仏壇の前の座布団に座して、線香に火をつけた。そのまま手で煽って煙を上げ、線香立てに突き刺して手を合わせる。


「一年に一回になっちゃったけど、四人が集まれる日なんだから、悲しいこと言うのやめようよ。僕は、母さんはみんなの顔見れて嬉しいって思ってると思うよ」


 なんでこいつのような性格に生まれることができなかったのか、俺は俊の柔らかい声を聞くたびにそう思う。母さんのことを本当に大切にしていた俊がどれだけ傷ついたのかは、今の彼の生活を見ればまるわかりなのに。


「ほら二人も。母さんに挨拶しよ?」





 母さんへの弔いを終えて、俺は宣言通りコンビニで昼飯を買った。それから京成線の高架を北側へくぐって、青戸平和記念公園まで歩いた。小さい頃は俊や小学生たちとよく水遊びをした公園だ。


 懐かしいじゃぶじゃぶ池を眺めながら、近くのベンチに腰掛けた。世間もちょうど夏休みだから、当時の俺みたいな小さい子がじゃばじゃば遊んでる。結構水量が多いから、あんまり小さい子が入ると水の事故が起きそうで心配になるほどなのだが。


 水の事故。


 そういえば俺、小さい頃ここで女の子を助けたような気がするな。俺よりも三つか四つ小さいくらいの子。なんか溺れかけてるのを見つけて、頑張って池の端まで引っ張って行って。そしたらその子のお父さんが駆け寄って来てめっちゃ感謝された覚えがある。確か池の底で擦って指を怪我したんだっけな。


 今までの人生で、一番いいことをした瞬間かもしれないな。全然細かく思い出せないけど。小学生の頃は、正義もあったのかなぁ。


 今となっては、普通を過ごすので精一杯なのに。


「お兄さん、カッコいいですね」


「え?」


 突然左側から声をかけられた。周りにも人はいたけど、その声は明らかに俺に向けてだった。


 声のした方を振り向くといつの間にか俺の隣に女の子が座っていた。


「な、何? いきなり……」


 夏らしい白いワンピースをまとっているが、その他には特に何も持っていなさそうだ。年齢は俺よりも、下か? 近所の高校生っぽい?


「いやっその……暇、なのかなって、思って……」


 なんだ、か?


「俺、金持ってないからな」


 こんな昼間から来る奴がいるのか。しかもこんな清純そうな子が。


「えっ、と……」


 その子は少し顔を赤らめて俯いた。


 おいおい、これはろくに声もかけたことないような感じか? 夏なんだから、金じゃなくてドキドキをくれる彼氏でも探さんかい。


 俺ははぁっとため息を吐いた。

 

「俺のことカッコいいって思ってくれるのは別にどうでもいいけど、世の中もっと悪い大人もたくさんいるから、気をつけた方がいい。そういうやつに捕まったら、一生つきまとわれちゃうかもしれないからさ。ね?」


 女の子は顔を上げて俺の目を見た。薄く茶色がかったの髪の向こう。


 すっげぇ綺麗な目……。可愛いじゃん。


「お父さんお母さんに心配かけないようにしなきゃ。きっと悲しむよ? 家はこの近く?」


 家出少女には見えない。


「んと……」


 女の子は下唇をつまんで目を泳がせた。もしかしたら何か事情があるのかもしれない。そういう不安定な感情の時が一番危ない。


 俺はリュックの中をまさぐって、財布を取り出した。中を開いて小さいほうの紙幣を3枚ほど出す。


「お小遣い稼ぎだとしても、いたずらに変な世界に行かない方がいいよ。ほらっ……てあれっ?」


 俺が紙幣を差し出すと、その先にはもう彼女の姿はなかった。


 どこ行った……? いつの間に。


「ま、いいか……」


 俺はお金を財布に戻してリュックの中に入れた。それからベンチの隣に置いたお茶を飲む。


 俺も逆ナンされることあるんだなぁ……。


 お茶を再び横に戻して、ポケットからワイヤレスイヤホンを取り出した。それを耳に挿そうとして手が止まる。


 ……やめとこうか。


 俺はしばらく、噴水と子どもの声が昼下がりの空に響き渡っているのに耳を傾けていた。





 アパートに戻ったのは夕方だった。夏の長い日照時間では、夜までまだもう少しありそうだが。


 リュックサックをベッドの脇に放ってぼんやりと部屋を眺めた。


 東京に出てきて下宿する大学生に向けて建てられた大きな集合住宅。一応アパートの形を取っているが、規模としてはマンションでもいい程で、他の部屋もほとんどが同じ大学生だから実質寮みたいなものだ。大学生は特別に家賃が割引されるらしく、彼女と仲良く同棲をしている大学生も少なくない。


 俺の通う青城しょうじょう大学が池袋いけぶくろにあってアパートは日暮里だから、条件も悪くなかった。モダンな作りでほぼマンションのような内装である。生活費まで親に頼らずとも、何とか暮らしていけている。


 それでもあれだけ避けておいて学費は父さんに頼ってるだなんて、情けなくてしょうがない。迷惑かけてばっかだ。


 俺はテレビをつけた。こんな時間にやってるのなんてニュースくらいしかないだろうが、音がない空間が不安を掻き立ててしまうのを避けたかった。


「……続いてのニュースです。16日午後2時、練馬ねりま区のショッピングセンターの駐車場で、車の中に小さな子が置き去りにされている、と通報があり警察が駆けつけたところ、4歳の男の子と2歳の女の子が車内で気を失っている状態で発見されました。二人は病院に搬送されましたが意識不明の重体です。両親は……」


 よくあるニュースだ。夏の車の中は外よりも熱がこもって、あっという間に熱中症になってしまうというやつ。よくあってはならないのだが。


 なんで車の中に子どもを置いていってしまうのか。戻って来て亡くなってたらどんな顔するんだろう。


「可哀そうな子どももいるんだなぁ……」


 俺はほとんど無意識にそう言った。その後で、自分がひどく無責任な気がした。


 二人が生きていることを願うことしかできないのが無力な気もする。


 俺は立ち上がって冷蔵庫の中からコーラのペットボトルを取り出しコップに空けた。冷房は効かせているけれど、喉に寂しい暑さがのさばっているからだ。


 そんな喉に炭酸を流し込もうとコップを口に付けたその瞬間。


 

 どんどんどんどん!! ピンポーン。



「っ!?」


 インターホンとともに強く扉を叩く音がした。あんまりにも急だったのと、勢いがホラー映画みたいだったから、俺は思わず飲みかけたコーラを吹き出した。


「なになになに!?」


 やばいとは思いながらもドアスコープを覗く。


 ん?


 そこに黒髪が映った。背が小さい、女の子か? なんだ本日二回目の逆ナンか? それにしても家凸なんて並々ならぬ予感だが……。


「な、何でしょう……?」


 俺はすこーしだけドアを開けて、相手を伺った。


「あ、あのっ! ちょっとだけでいいので入れてもらえませんかっ!?」


「えっ」


 予想通り背の小さな女の子だった。小さいって言っても高校生くらいはあるけれど。ひどく肩を上下させている。相当切羽詰まっているのが、表情から見て取れた。


「ど、どうしたの?」


「説明してる時間ないんですっ。隠れてもいいですか?」


「か、隠……?」


 なんだなんだ。


 戸惑っている俺に彼女は言った。


「こ、殺されちゃうっ……」


 え。





◆次回予告

 

 第二話 保護  2020年10月17日午後10時公開

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