第74話 夢、再び

 姿を見られた事に気が付いたのか、グレゴール夫妻は窓をぬるっと通過し、家の中へと侵入して来た。あ、いや、グレゴールさん達の家なんだから、侵入という言い方は少しおかしいか。ただ、絵面があんまりであったので、やはり侵入という言葉が的確だと思う。せめて玄関を跨いで入って来てほしい。


「お、お父様にお母様、そんなところで何をなさっていたのですか……?」

「うん。俺もそれ、とってもお伺いしたいです」

「ギャ─────!」


 キャーではなく、最早濁音の悲鳴になってしまっているアーク。いつものグレゴールさんならそんなアークを気遣い、申し訳なさそうに謝罪するところなのだが、今日のグレゴールさんは違った。なぜかグレゴールさんの方が泣いているし、奥さんに至ってはニコニコと微笑んでいらっしゃったのだ。


「う、ううっ…… ず、ずびばぜん……! こんな、こんな覗きのような真似、いけないと分かってはい、いたんです…… ですが、あの人見知りの激しいジェーンにお友達が、それも自ら会いたいと言ってくれた、記念すべき時だったので、いても立ってもいられず、こうして様子を窺っていたのでず……! ふぅおおぉ───ん! お前、私達の愛娘にお友達ができたぞぉ───!」

「………(ニコニコ)」

「ギャ─────!」


 グレゴールさんのマジ泣き、そこにアークの悲鳴が続く。なんちゅうか、もうどこまでもカオスだ。


「ふう、ふう…… ウィルさん、感動のあまり言葉が出ない様子のところ大変申し訳ないのですが、一つ私からお願いが……」

「え? あ、はい。大丈夫ですよ。ちょっと感動そこまでは行き着いていなかったので」


 ハンカチで目元を拭うグレゴールさんから、急に話を振られてしまう。この人はジェーンが関わると、どうもギアが変なところに入ってしまうようだ。奥さんの方は…… よく分からない。とりあえず、ずっと笑顔。


「ウィルさんや仲間の皆様は普段、港の帆船に乗って警備及び漁の現場指揮をしていると、昨夜の宴でお伺いしました。そこでお願いなのですが、どうか船にジェーンを乗せて頂けないでしょうか?」

「えっ?」

「お、お父様……?」

「ジェーンは霊体として転生した仲間達の中でも、何の因果か特に強力な力を持っています。きっと貴方がたの力になると思いますので、どうか」


 まさかの申し出に再度驚いてしまう。正直に言ってしまえば、先ほど説明してくれたジェーンの力はかなり実用的で、船で力を発揮させる事ができれば敵の発見、更には漁における大物狙いに活かせそうだと、そんな考えが頭を過ったほどだった。役割のイメージとしては、敵や魚群を探知するソナーマンといったところか。


 だが、それらはジェーンの身に多大な負荷を掛ける事となる。いや、それ以前に俺は、彼女を船に乗せる行為に戸惑いを覚えていた。俺達にとっての船旅は最早日常のようなものだが、ジェーンにとっての海は、自らの死因に繋がる場所だ。アークが幽霊が苦手なように、それがジェーンにとってのトラウマになっていたとしたら─── そう考えてしまうと、果たして誘って良いものなのか、俺には判断する事ができなかった。


 そんな中での、実の父親であるグレゴールさんからのこの申し出だ。さっきの疑似心霊現象とのショックも相まって、どうしてそうなったのか考えが及ばない。


「ふぅわぁ───!?」


 それとアーク、そろそろ悲鳴を止めなさいって。俺を盾に隠れても良いから。空気ぶち壊しだから。


「……確かに、回復魔法とずば抜けた察知能力を持つジェーンが船に乗れば、あらゆる場面で活躍する事でしょう。俺達としても、その申し出は大変ありがたい。ですが、なぜグレゴールさんがそのような事を? その、本心では誘いたいと思っている俺がこう言ってしまうのもおかしな話ですが、ジェーンを船に乗せる行為への抵抗はないのですか?」

「ウィルさん、貴方は本当にお優しいのですね。自らの利益のみに囚われず、しっかりと私達の心を大切にしてくれている。ウィルさんが仰りたい事は分かります。子煩悩な親である私が、なぜ難破による死を経験したジェーンを再び船に乗せたがるのか、不思議でならないのですよね?」

「ええ、そうですね。正直、かなり驚いています」

「理由は二つ、いえ、三つほどありますが…… ここでは主だったものだけお話し致しましょう。まず一つ、私達にはウィルさん、そしてその仲間の方々に大きな恩があり、その恩を少しでも多く返そうと皆が思っています。私であれば薬師として、向かいの家のビスタさんであれば鍛冶職人として、分野や形は違えども、各々が得意とする場所で最大の働きを見せようとしているのです。もちろん、それはジェーンも例外ではありません。そしてジェーンが最も恩をお返しできるのが、あの船の上…… ですね?」


 黙って頷き、グレゴールさんが俺と同じ考えに至っている事を理解する。グレゴールさんはグレゴールさんで、ジェーンの働き場所をしっかりと見据えていたようだ。


「とまあ、それらしい事を申しましたが、実は次の二つ目の理由が私達にとっての本命です」

「本命、ですか?」

「はい、本命です。少しだけ、昔話を致します。ジェーンは生前、とある難病を患っていました。昔から人見知りの気はあったのですが、なかなか部屋から出られないでいた原因は、どちらかと言えば病にあったのです。本当であれば好奇心旺盛で、何事にも興味を示す探求心豊かな娘でして。本の虫になったのも、おそらくはそのせいでしょう。何せ興味を持つ分野が雑食であるあまり、部屋が本で埋まるほどでしたからね。いくら本棚を購入しても置き場所に困るくらいでして───」

「───お、お父様、その件は大丈夫ですから……!」

「おっと、すまないジェーン。少し脱線してしまったね。 ……ともかく、私と家内は献身的にケアを行い、少しでもジェーンの容態が良くなるようと、日頃から祈っておりました。その甲斐あってか病の症状は和らぎ、少しの間なら遠出をしても大丈夫なところにまで回復したのです。不治の病ですので、ジェーンの調子が良かったのもあるんでしょうが…… そこで私達は話し合いました。この機会を逃せば、ジェーンに世界の広さを実際に見せる事が、もうできなくなるかもしれない、と。この子は常々、口癖のように言っていたんです。いつか船に乗り海を渡って、書物の文字以外からも世界を見てみたい、と。私達は娘の願いを叶えたかった。善は急げ、この時の私達の行動はとても早いものでして、その日のうちに手配を進めていました。ですが、大陸を渡る最中にあのような事があり─── 今に至ります」

「………」


 静かに聞き入る俺の腰に、アークが力強く顔を埋めている。途轍もなく痛い。が、これは悲鳴を我慢している証でもある。不器用に頑張るアークに心から感謝し、俺はグレゴールさんの次の言葉を待った。


「私自身、あれから何度後悔したか分かりません。あの日、娘を連れて外に出なければ…… 霊体となってからも、そんな考えに日々悩まされてきました。夢であったあの綺麗な海が、娘のトラウマになっていないか不安で堪りませんでした。だからなのか、私は堪え切れず何気なく聞いてみた事があるのです。ジェーン、この難破船が奇跡的に修理されて、また船として海に飛び出せるようになったら、お前はまたその船に乗りたいと思うかい? 言葉にした瞬間、私はしまったと急いで口を押さえたのですが、当然もう遅かった。ただ、娘は即座にこう答えてくれたんです。ええっ!? お父様、また船に乗れるの!? 普段声の小さな娘が、その時は珍しく大声で、それも目を輝かせながら言ったのです。私は確信しました。ああ、この子の夢は、まだ続いているんだ…… と。ジェーン、あの時の想い、まだその胸の奥底に、ちゃんとしまっているかい?」

「……ッ! は、はいっ! ちゃんと、ここにありますっ! ウィル様、私からもどうかお願い申し上げます。私…… ジェーンを船に乗せてくださいませんか?」


 俺の答えは語るまでもないだろう。ああ、二つ返事で引き受けたさ。それと俺の衣服の腰の辺りが、いつの間にやら塩水に浸かってしまっていた。この湿地帯形成の原因は、俺の腰をホールドし続ける彼女である。アーク、意外と涙脆い。っと、俺も視界がぼやけてきた。誰かハンカチ持ってない?

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