第6話 現場調査(後編)

 手帳と言っても、様々な種類がある。一年分だけのものとか、三年物とか、果ては五年物まで取り揃えている。五年間好みが変わらなければそれでも良いのかもしれないが、大抵は一年物で充分なんじゃないか? なんて思ったりする訳だ。その価値観については人それぞれだと思うものだし、それにぼくみたいに手帳を使わない人間だって大いに居る。市民権を得ても良いぐらいに。

 手帳を拾い、表紙を見る。黒い革のようなカバーには、今年の数字が書かれているだけだった。女性が使うにしては、少し地味な手帳にも見える。


「……被害者はこの手帳を使っていたのか。それにしても、どうしてこんな手帳が」

『影になっていたから見えなかったんだろうにゃー。いずれにせよ、警察の失態って訳だね。これにちゃんとした証拠があれば、の話だけれど』

「そりゃそうだな。……で、どうする? 今ここで見るか?」

『んー、やっぱりそれを持ってきてよ。ディジタルで見ても良いんだけれどさ、そういうアナログでも問題ないところはアナログにやっていかないと、意識がディジタルに支配されるというか? そんな感じがするんだにゃー。オカルトチックといえば、オカルトチックではあるのだけれど』


 ……オカルトを信じているのだろうか。VR探偵とか言っているくせに。


「……まあ、いいや。取り敢えずこれを持ち帰れば良いな? 後は特に気になるポイントはなしか」

『うーん、まあ、そういう感じで良いと思うけれど……。まあ、第一段階は良いかな。一度目の現場調査はこれにてお開き』


 一度目、って言ったよな。

 まさか二度目があるのか?


『それじゃ、さっさと終わらせて帰ってきてよ。一応やるべきことも残っているんだし』

「やるべきこと?」


 何か残っていたっけ?


『ういうい。現状での事件の考察。まあ、今の状態じゃなーんにも結論は出せないと思うけれどね。犯人に繋がる重要な証拠が何一つ見つからない訳なんだし。そういう訳で早く帰ってきてね、よろしくー』


 そう言って一方的に電話を切りやがった麗奈だった。おい、一応こっちは現場まで出向いてやっているんだぞ。一言感謝の気持ちがあっても良いんじゃないのか。

 と思っていたら麗奈からメッセージが送られてきた。お、思い出してくれたか。それなら許容範囲で許してやっても良いが――。


『冠天堂のゆるふわロールケーキを忘れずに買ってくること!』


 ……ここに来て追加のお願いとか、不躾にも程があるだろ、あいつ。

 冠天堂のゆるふわロールケーキとは、和菓子屋として長年営んできた冠天堂がここ最近売り出しているロールケーキのことを言う。小豆餡を練り込んだ生クリームにフルーツをたっぷり混ぜ合わせて、それをスポンジ生地で巻き込んでいる。キャッチコピーは神様でも食べたいと思うケーキなどと言われているが、神様がああいうロールケーキを食べるかどうかはさておき、和菓子屋が本気で取り組んだ洋菓子ということもあり、結構な売れ行きをしているらしい。

 まあ、ぼくも麗奈の元に行く際に手土産を買い損ねたのだから、それでおあいこにしてもらおうか――そんなことを考えながら、ぼくは部屋を後にした。


「あの……」


 うん? ぼくは声を聞いて振り返った。すると、そこに立っていたのは薄汚れたジャージを着た、若い青年だった。青年はぼくの顔を見ると、少し怯えた表情を見せながら話を続けた。


「その部屋から出られたということは……警察の方ですか?」

「うん。まあ、そういうことになるけれど……それがいったい?」

「実は最近この部屋に、怪しい人が出入りしていたんですよね」


 何だって? それは聞き込みでは聞いていなかった情報だった気がする。


「……あなたはいったい誰ですか?」

「ここの清掃員をしている、森永です」


 ココアを作るのが上手そうな名前ですね。

 おっと。人の名前で勝手なイメージを想像しちゃいけない。ぼくの悪い癖だ。


「清掃員……ですか。毎日ここには来ていないんですか?」

「シフトがありますから……。でも、俺が来ている日は毎回来ていましたよ、その人」

「細かい特徴とか覚えていたら、教えてもらえませんか」


 それはきっと、重要な情報になり得る。その怪しい人物が事件について何らかの鍵を握っている可能性は高い。であるならば、その人間を先ずは探さなくてはならないだろう。

 そうして清掃員の森永さんから話を聞いて、ぼくの名刺を渡して、その場から立ち去るのだった。急いでゆるふわロールケーキを買ってやらないと、麗奈の機嫌が悪くなる前に。

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