半身の虎

 初めが現われた時それは少なくとも私たちにはてんとう虫のように見えた。突然変異なのか、それともどうかこうかの遺伝子の組み合わせの結果なのか、その虫は右半分が白く、左半分が黄色と黒の縞模様だった。それで、父がこれは虎だと言ったのだ。丁度阪神タイガースが威勢良く巨人を追い抜いた頃だから、父としてはよほど機嫌が良かったのか、いつもは掃除機で退治してしまうこの虫をと名付けて飼い始めた。飼うと言ってもてんとう虫が何を食べるのか分からない。ほらあれ、アブラムシを食べてくれる益虫じゃなかった? それで初めの三日ほどは父も庭に出て懸命にアブラムシの付いた草を探していたが、案外都合のいい時にいないものである。四日目には諦めてしまって、まあカブトムシ用のゼリーでもやっとけば死なないんじゃないかという結論になった。それで一週間ほど適当な飼い方をしていたら、とらも自分の置かれた状況を察したのか、だんだん体が大きくなり、背中は長く硬くなり、頭には一本の角が生えてきた。そして気付いた時には小さめだが立派なカブトムシになっていた。色は変わらず、右半分が白、左半分が虎である。阪神はだんだん負けがこんできて巨人に引き離され、下から三番目になった。


 もう随分むかしから私たちは、父のする事にほとんど構わなくなっていたので、とらがカブトムシになった後も「成長」を続けていた事をしばらく知らなかった。しかし夏の盛りが過ぎて普通のカブトムシが弱る頃になっても、父は玄関の隅に置いたケージを弄るのをやめなかった。そのケージは最初にとらを飼い始めた時の倍の大きさになっており、エサもゼリーから米粒大のペレットに変わって、そのパックの側面には「ハムスターの主食」と書いてあった。父はこまめに水を取り替え、床材を敷き、かじって遊ぶための木片をケージに放りこんだ。とらは、いまや小ぶりのマウスほどのサイズになっており、うっすらと毛が生え、耳が突き出し、角は短くなった替わりに二本に増えていた。もうそれは虎じゃなくてネズミじゃないの、と私たちは言ったが、父はとらとらと呼んでいて耳を貸さなかった。模様は相変わらず、右が白、左が虎だった。


 それから三日ほど私たちは家を留守にした。東京に行って、ディズニーランドで遊んだり、資格試験を受けなければならなかったのだ。帰ってくるととらのケージは五倍の大きさになってリビングに据えられていた。中には角の生えた子犬のようなものが走り回っていて、右から見ると白い犬、左から見ると虎もようの犬だった。父は子犬用のおしっこマットをケージの中に二枚敷いて、用はそこで済ませるようにととらを説得しているところだった。


 私たちは特に文句を言わなかった。ケージはだんだん大きくなって、リビングの応接セットはどける事になったが、別に客が来るわけじゃなし、隅のこたつ布団に潜ってテレビが見られれば十分だった。今日も阪神は負けていた。


 とらがおしっこマットの使い方を覚える頃には、もうその体は子犬ではなく大犬という感じになった。ドッグフードでは採算が合わないと言って父は夕食の残り物や野菜の切れ端をかき集めてどんどんケージに放りこんだ。とらは何でも食べた。相変わらずその右側は白く、左側は虎もようだった。


 とらは吼えるようになった。犬の吼え声とは違う、ごうごうと地の底からうなるような声だった。私たちは眠れなくてついに、父に苦情を言った。父は頑張ってしつけてみると言った。だが、数日たってもしつけの効果は現われず、私たちは眠気で意識がもうろうとして、また、気が立ってきた。


 私たちはついに父と喧嘩をした。こんな、もとはつまらぬてんとう虫だったものを拾って、無責任に育てて大きくしたりして、どうしてくれるんだ。父は、とらを侮辱するなと言って怒った。私たちは夜更けまで激しく相手をなじり合った。隣ではとらがごうごうと吼えていた。


 明け方に私たちは浅く眠り、そして起きた。リビングに出ていくと天井がぶち抜けていた。初秋の朝の風が空高くから吹きこんでいて、その青空はひじょうに美しく、鮮明だった。ぶち抜けた天井からは、今や家に入りきらないほど大きくなったとらが頭を高く伸ばして外を見上げていた。私たちの側からは、とらの白い右側が見えたが、父は向こう側に立って、とらの虎もようの左側を見上げていた。


 とらの体は長く優美で、表面は大きなうろこが覆っていた。背中には金のたてがみが生え、四つの足の先はかぎ爪のようになっていた。小川の流線のようなひげが体に沿って伸び、二本の角は銀に輝いてしっかりと天を指していた。これは虎というより龍じゃないのかなと私たちは言ったが、父はうなずかなかった。いいや、やっぱりこれはとらだよ。とら。父はとらに近付いていって、その虎もようのうろこに触れようとした。その時、とらがごうごうと吼えた。


 とらの長い体は波打ち、激しくうねった。ばたばたばた、と尻尾がはねて、リビングじゅうのものを引っ掻き回した。ぶち抜かれた天井から瓦礫ががらがらと降ってきた。とら。と父は叫んだが、仕方なくあとずさった。ぶうううんと風が吹き抜け、とらは天井の穴からするりと空へ抜けた。そして、あっという間に高い青い空へ消えていってしまった。


 私たちは天井の穴やその他もろもろを全て父に任せることにして、パンを焼いて朝食を始めた。テレビをつけるとニュースでは日ハムの優勝を報じていた。



(了)

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掌編置き場 森とーま @toma_mori

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