q 偉大な女

 ある屋敷の庭で、三歳くらいの子どもがバトラーとハウスキーパーに追いかけられ、甲高い声を上げていた。

 その光景を大きな窓のある居間から眺め、口元に笑みを浮かべた彼女は、ソファから立ち上がると部屋を出て行った。着慣れた作業着のポケットに手を突っ込んで歩くのがクセになっている。昔からのクセ。昔と違うのは、老いたこと。それと髪を伸ばし、後ろで結い上げていること。他に違うことと言えば‥‥ないことはないが、既にそれは消去されたもので、彼女にとって〝過去〟ではなく、それは〝無〟であった。

 彼女が訪れたのは地下室だった。彼女が一瞬たりとも立ち止まることなく、自動で扉が開かれて入った部屋。そこはまるで研究室か実験室、処置室のような‥‥というより、そのもの総ての部屋だった。部屋の一画には透明なハイパーエンジニアリング・プラスティックに囲われた無塵室があり、そこへと彼女は向かって歩いていった。

『博士、本当によろしいのですか?』

 何処からともなく彼女に語りかける声の主は、この屋敷そのものであり、叡智であり、世界であり、子どもと遊んでいる二体の機械人間(バトラーのアンディとハウスキーパーのグェン)である人工脳アルヴィ。

『違法行為となります』

「ふっ、今更だろ」

『ワタクシにそのようなことを注意された方が――』

「人間とはそんなもの‥‥だから言っただろう、『人類を滅亡しろ』と」

 博士は面白そうに言う。

『その議論には以前、〝無意味〟という結論を提示しています。それに、それとこれとは話が異なります』

「それなら違法状態であるわたしをお前はどうする?」

『それを仰るなら、ワタクシも違法状態です』

「なら、同罪で相殺だな」

『その結論は承服しかねます』

 無駄な討論をしている間に、彼女は無塵室の前で立ち止まり、中を覗いていた。中には機械人間の骨格にロボットアームが取り囲むように配置され、忙しなく作業をしている。子どもと一緒に保護したF型機械人間の身体を、一から作っている最中だった。以前の身体が使えないわけではなかったのだが、何故かF型機械人間の要望だった。人工脳も新たなものにし、彼女の記憶を移し替える予定になっていた。

『博士』

「何だ?」

『彼女は妊娠していたようです』

 アルヴィは彼女の記憶データの一部を読み取っていた。

「どういうことだ」

 機械人間が妊娠するはずがない。妊娠時の症状が身体に起きるはずもない。人間で言うホルモンの作用がプログラムに組み込まれたとしても、本当に月経や悪阻つわりなどが起きるわけではない。身体にその機能を付随させられなくもないが、月経や悪阻は売春宿ブラーソルの主人にとって不必要である。

 だが……。

『彼女は妊娠したと記憶し、知識下でそれを否定したものの、妊娠した記憶が残ったままのようでした』

 売春宿でクイーンとして稼働していたのが要因であろうが、妊娠したとする起因はどこにあったのか、だ。そう想像させる強い衝撃があり、衝動、願望により記憶として保持されてしまった。が、一方で自身が機械人間であり、人間ではないことを認識していたことで、その記憶を消去しようとするが消去できない。おそらくメカニズムとして否定しても、思考が肯定した状態が続いていると思われる。

『彼女が子どもを産んでいたとしたら、あの位の年齢の子がいたと思われます』

 庭で遊んでいる子ども。

「子どもへの執着心は、それ故の愛情からきたもの‥‥母性か」

 システムとしてプログラムされていたものではなく、後天性の因子によって芽生えた。ヴィークルの中で、博士が子どもを保護したのは自分であると彼女に報せた途端、顔が紅潮したのは、主人の下へと帰る手立てを思考したのではなく、子どもを奪われることへの拒否反応だった。確かに彼女の子どもへの愛情の注ぎ方は、人身保護プログラムやハウスキーパー以上のものを感じた。売春宿で客から子どものあやし方や揺籃歌を憶え、更には客が連れてきた子どもの子守までやらされていた、と。

「髪の色を変えるのも、子どもの髪の色と合わせるため」

 栗毛だった長い髪を、F型機械人間は金髪にして欲しいと言ってきた。それに、

『本当にクイーン仕様でよろしいのですか?』

「致し方あるまい。こいつが望んだのだ」

 クイーンとして就労しない今の彼女には、必要がないのは明らかではあるが……。

高級娼婦ココットのようですが?』

 クイーンでさえ高額な身体ではあるが、ココットとなれば倍以上の値。それだけ特殊な素材を多用しなければならない。最高級の特殊な性能を持つ機械人間。表面上は見えない、普通の機械人間には必要のない細部の筋肉の収縮や弛緩、部位の膨張などの機能が備わっていた。また、口から液体状の物を摂取し、摂取される物によって振り分けられ、体内にある囊に蓄え、擬似皮膚の知覚に反応し、そこから腺を辿り各部位――口腔内、乳房(F型)、膀胱、精囊(M型)、膣(F型)、直腸に分泌させることができる。つまり人間で言う、唾液、乳汁、尿、精液、愛液、腸液である。それらの成分はまちまちだが、人間が体内に摂取しても害とはならない。寧ろ栄養素やサプリメントなどで構成されていた。違法ではあるが、アルコールやドラッグなども可能だった。無論吐き出すことも容易であるし、洗浄しながら排泄も可能である。

 ヴィークル機内で保護した彼女にヒアリングし、彼女がクイーンであり、データ改竄を行った後、プログラム内容を調べていてココットであることを知った。その時は、あんな場所に何故いたのかと疑問が先になっていた。

 彼女が言うには、軍の士官が売春宿と契約し、専用指名で連れ出したのはいいが、急な戦闘に巻き込まれ、自分だけ逃げたのだ、と。その士官がどうなったのか分からないが、客に捨て置かれた彼女は、売春宿の主人の元へと戻ろうとした際、同じように捨て置かれた子どもを保護した。それが彼女に起きたことだった。

 今も親が子どもの捜索しているかを調べているが、該当する者はなく、やはり子どもの親は既に死亡していると考えた方がよさそうだった。当初から彼女もそうであろうと気づいていたが、確証が得られない。調べる術もなかったのだ。

 本来ココットは性的嗜好のものだった。だが、彼女は子守もしていた。戦禍痕のバラックで、保護した子どもに乳児用液体ミルクを直接飲ませていたと思っていたが、実は自分が飲み、それを体内で温め、子どもに与えていたのではないのか。おそらく売春宿で、客や乳幼児に乳汁を吸わせていたように。

 それだけでは、彼女が妊娠するきっかけとはならない。

〝お前の子どもが欲しい〟

 誰に言われたかは分からない。どういう意味で言われたのかも分からない。ただ、そんな風なことを言われたとしたら‥‥普通の機械人間なら思考で否定するが、そのような言葉の記憶と、乳幼児に乳汁を吸わせていた知覚の記憶が、シナプスによって結合され、彼女だけに妊娠という記憶――否、妊娠したという夢を作り出してしまった。想像妊娠。想像の子どもではあるが、人身保護プログラムが働き堕胎はできない。しかし、出産もしていない。現実的に不可能である。だが彼女は、偶然にも自分が産んでいればそのくらいの歳の子どもを保護した。アルヴィが『妊娠した記憶が残ったままのようでした』と言ったように、彼女はそこで整合性を見つけてしまった。出産していたことにしたのである。出産から現在に至るまでの隙間を埋めるべく、保護した子どもに乳児用液体ミルクを自分の乳房から与えた。だからココットの身体にこだわり、子どもと同じ髪の色にしたい、と彼女は言ったのだ。母親となるために……。

「偉大な女にしてやれ」

 博士はそう言って口角を上げた。

「それと彼女の人工脳のプログラムだが、少し手を入れる」

『どうされるのですか?』

「解放する」

『何を解放するのです?』

「〝尊厳〟だ」

『それは暴力性も加味してのことですか?』

「子どもを守るにはどうするかだ。わたしには時間が余り残されていない。子どもの面倒は見られないだろう。あのバカに後を頼んでもいいが、格好の研究材料が舞い込んできたのだ。わたしの代わりにお前が見届けろ」

『乱暴ですね』

 博士はそれを鼻で笑う。

「わたしを試そうとした罰だ」

 アルヴィは、F型機械人間が想像妊娠に至った経緯、子どもに執着する要因を読み取っていた。分かっていた上で博士に小出しし、どう結論に至るかを見守っていたのだ。日に日に弱っていく彼女を見て、死期が近いことを認識していた。彼女の状態――脳の衰えを診るには、容易かつ明確な方法‥‥それが、彼女自身が問題の答えを導き出すことだった。天才科学者として、世界最大の人工脳である自分を作り、八〇年前、機械人間の人工脳のシステム〝本能〟を作り、世界に公開した。唯一自分を越えている存在。

「わたしの予測通りになるか否か、答え合わせをするがいい」

 彼女が導き出した答えは、更なる自分への問いとして出題された。

『博士、ミイロがこちらに向かっています』

 アルヴィと思考/記憶を共有/同期している二体の機械人間と庭で戯れていた子ども。

「見舞いか」

『博士の姿が見えないので、ここにいると思われたのでしょう』

「日に何度も来ているだろうに‥‥しようのない奴だ」

 博士は呆れ笑いをし、

「ディスプレイに切り替えてくれ」

 と、アルヴィに命じた。

 すると、無塵室を囲うハイパーエンジニアリング・プラスティックが、一瞬にしてディスプレイとなり、無塵室の中のF型機械人間の骨格は、エイルとしての姿を映し出した。エイル――博士が彼女に付けた名前。

 しばらくして部屋の扉が開き、遊んでいたハウスキーパーと一緒にミイロが現れた。

 ミイロが駆け出すと博士の側に寄ってきた。その横で彼女に倣い無塵室の中を覗き込む。

「マー」

 ミイロは彼女を呼ぶ。

 しかし、彼女は返事をしない。

 本来、骨格のままの姿であるエイル。コンピュータ・グラフィックスで、彼女の姿を再現し映し出していた。ミイロに応答するエイルの映像を作り出すことは、アルヴィにとって造作もないことだが、博士はそれをさせず、治療を受けている彼女の姿を映し出すことだけに留めていた。

 一向に返事をしてくれないエイルに不安がるミイロは、博士を見上げる。

「じき良くなる」

 ミイロは再びエイルに視線を戻し、コクンと肯いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る