その日
「こうなることは予測していたが、いざとなると、どうすればいいのか分からない‥‥いや、分からないのではなく、分かりたくなかったのであろう」
博士は苦笑した。
「わたしが死んだ後の、半永久的に続く彼女の未来を……」
機械人間は〝物〟でしかない。権利は所有者にあり、その所有者が亡くなった場合、遺産として親族に所有権が移る。所有権を放棄することも可能であり、役所に所有権放棄の届け出をし、廃棄、譲渡、売却のどれかを選択する。廃棄となる例は少なく、譲渡か売却。七、八割方は親族が所有者になることの方が多かった。
問題なのは、所有権の消滅、若しくは不明である機械人間の処遇である。
博士に親族はいなかった。
「彼女を大切にしてくれる他の誰かに、渡してはくれないか」
「記憶を消去しろということですか?」
ミイロは驚き、思わず口にしてしまった。
驚くことではない。本来は機械人間の後天的記憶〝経験〟をフォーマットし、新たな所有者に渡すのが当然である。
不思議そうな顔で博士はミイロを見遣る。
「お前に譲渡し、彼女の記憶はそのまま残される。それに何の意味があるのだ? その時わたしは存在していないのだよ。人の記憶は曖昧だから喪失感は薄れ、やがて記憶の一瞬の光となるが、物理的に壊れるか、忘却をシステムに組み込まれぬ限り、機械人間である彼女の記憶は半永久的。たとえ彼女の悲しみが後天的記憶によって引き起こされるのら、彼女の記憶の中にあるわたしは‥‥必要ない」
機械人間の修理師であるお前なら解っているであろう、と。
そうなのだ。それが当たり前なのだ。だが、自分が特殊な環境におり‥‥否、違う――。彼と彼女を知り過ぎたから、二人の関係が永遠だと思っていたから、自分の記憶と感情の中での二人の関係を失いたくない、二人には失って貰いたくない、と勝手に思ってしまったがために、思わず口にしてしまったのだ。
機械人間の修理師として、幾度も同じような場面に出会し、その都度、機械人間の後天的記憶〝経験〟のフォーマットを行ってきた。法という義務でもある。それは、前所有者のプライバシー保護、現所有者への配慮が主だっていた。
だが‥‥それでも……。
「彼女の意思は?」
「だからだよ。機械人間の思考システムによる感情も、人の感情も、受け手側がどう感じるかで、大きな差異はない。人は、勝手に斟酌してしまう」
人間と類似した行為が、たとえ違う意味合いであっても、同じであると勘違いしてしまう。まして人間と同じフォルムの機械人間が、同様の行為を模倣するのだ。共感しているものと親愛感を寄せるのは当然と言えば当然である。逆に、それによって反感を持つ者もいる。受け手側次第なのだ。
死に行く身でありながら、自分の都合で彼女の未来を縛り付けることはしたくない。機械人間の修理師である彼が導き出した答えなのであろう。
「……解りました」
ミイロは、
「あなたから多くのことを学ばせていただきました」
感謝していますと述べた。
その言葉に、博士はただ微笑んでいた。
「お前と話すのは愉しいが、今日は喋りすぎた。疲れたので少し休ませて貰う」
そう言うと、背上げしていたベッドを下ろすよう頼んだ。
最後にもう一度、「彼女を頼む」と言い、彼は静かに目を閉じた。
第一世代の機械人間の修理師であり、その中でもライセンス取得の第一号者である彼。生体情報モニタに映る彼のヴァイタル・サインは、とても弱々しく、いつの日か訪れるであろうその時まで、生命の存在を表示している。
ミイロは静かに部屋を出て行った。
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