砕けた可能性と夏休み ①
能天気な僕が能天気でいられないタイミングはいつなのか。
それは間違いなく「今」だろう。
職員室を退出し扉を閉めた瞬間、今まで息を吐くのを忘れていたのではないかと思うほどの空気が僕の口からこぼれた。
こぼれたなんて優しい表現ではなかった、まさに吐き出されたが一番適当だ。
扉の近くに置いていた鞄を拾い、下駄箱へ歩くその足取りは、今までの人生で一番重かったように思える。
もう数日たてば夏休みだというのに、今現在受けたストレスにもう色々なものをあきらめてしまいそうになる。
「よっ、終わったか?」
下駄箱近くに置かれたベンチに座っている人物が、僕に声をかけた。
僕の表情を見て察したのか、ただ黙って僕の隣を歩く。
最初の声掛け以外何も話さず、校門を一緒にくぐりぬけた。
「なあ、ヤマ」
隣を歩く友人に声をかける。
沈黙はありがたいが、いっそのこと茶化してくれた方が楽な気がして、その選択を安易に受け取った。
「やっぱり、人間はなんにでもなれないってことなのかな」
僕の疑問に対し、いつもなら背中を叩いて励ます彼もなかなか言葉が出ない。
ああ、意地悪なことを言ってしまったのだろうか。
しかしどんな言葉より先に口から出てしまった言葉を消すことは出来なかった。
夏休みを前にして、退部したバレー部。
先ほどの職員室でのやりとりをもって僕は無所属ということになった。
退部とは聞こえがいいように聞こえるが、実質僕が逃げ出したということに変わりはない。
自分の心の安定を保つため、言い聞かせているだけだった。
土日の練習だって頑張ったつもりだった。
何度顧問の先生を殴ろうかと思ったことだろう。
根性論を押し付け、ひたすらしごきにかかる部活動というものに嫌気がさしたのだ。
「やる気がないなら帰れ!」
という言葉で、僕は必死に上っていた崖から手を離した。
もう、無理だと判断した。
そこからは顧問の呼び出しがあった今日まで、毎日隠れながら学校を抜け出していた。
結局学校という鎖からは逃げることは出来ないので、呼び出しという形で捕まってしまったのだが。
「んー、まあ向き不向きってのはあると思うよ?」
ようやく彼が口にした言葉も、残念ながら僕の気持ちを軽くしてくれるような気の利いた言葉ではなかった。
むしろ、事実。
まぎれもない、事実だった。
「でもさ!可能性が半分になっただけじゃん!運動に向いてないなら、頭を使う職業を目指せばいいんだよ!」
励ます側を必死にさせてしまう自分の落ち込み具合が情けない。
なぜこんなに気をつかわせてあげなければならないのだろうか。
僕のことなのに。いや、僕の事だから、だろうか。
「そういえば期末試験どうだったん?」
「3位」
すげえじゃん!と大きく驚く彼にどうやって反応してあげたほうがいいだろうか。
まあな、と興味なさげに言ってしまう自分を殴ってやりたい。
呼吸の一部がため息になってしまう。
こんなに精神の弱い人間だったのか、僕は。
これでいいのだろうか。
急に首元に冷たいものを押し当てられ、声を出して驚いた。
「いつまでもぐちぐちしてんじゃねーよ。まだちょっとこけただけだろう?」
僕の態度にイライラしていたのか、ヤマは僕にアイスを投げつけた。
胸にたたきつけられたアイスを受け止めることは出来たものの、その痛みに足が止まってしまう。
僕が握るアイスを奪い取り、中身の一つを渡してきた。
二つで一つのアイスの片方を。
「ったく。ゲーム買う予定だったのに、微妙に足りなくなっちまったじゃねえか。これ貸しだからな」
「押し売りってこういうことを言うんだぜ、ヤマ・・・」
ようやく絞り出した声に笑う彼。
その笑い声の大きさに思わずつられて笑ってしまった。
「押し売り上等!ついでにゲームでも心臓を狙ってロケラン打ってやる!」
ようやく肩の荷が下りたような気がした。
実際は無視しているだけだとしても、今は甘えていたかった。
「ヤマ、ありがとな」
無邪気に笑うその姿。
僕が女の子ならきっと君を好きになるよ。
数日後には夏休み。
僕らに旅行の計画なんてない。
死ぬ可能性があるので山に遊びに行く予定もない。
海で泳ぐ、ゲームをする、釣りに行く、そんな子供みたいなことだけの計画表を二人で話す。
僕らは子供だから。
「おい」
笑う僕らに水を差すような声に振り返る。
丸坊主のその頭髪、人相は見覚えがあった。
挨拶をするヤマ。
ということは野球部の先輩のようだ。
威圧するような細い眉と言葉。
その顔は間違いなく友好的な対応をしようとは思っていないようだ。
「お前が水原だよな?」
確認。
ターゲットは間違いなく僕を名指ししている。
ようやく理解する。この人は僕が小学生の時に因縁のある人だと。
胸倉をつかまれる。
ぐっと引き寄せられ、その熱のこもった瞳で僕の顔を焼き尽くそうとする。
慌てて止めに入るヤマは一言で委縮してしまう。
大丈夫、と手で合図するも、合図した僕は全然大丈夫ではない。
最悪の未来を頭が想像して体がうまく動かせない。
その目をまっすぐ見ようとしても、面接官の目を見れないように、その後ろを見ることでなんとか目をそらしていない風にみえているだけ。
息がかかる距離。
ここでニコっと笑ってドッキリであると言ってほしい。
「あんまり調子に乗るなよ?」
突き飛ばすように解放される。
そんなに力強く押されていないが、足が言うことを聞かず、そのまま尻もちをついてしまう。
「二度目はないからな」
そう言って、僕たちから離れていく。
固まっていたヤマに揺さぶられるまで僕の魂は空中を散歩していたようだ。
言われた言葉に覚えもなく、ただ怖いという感情だけが体を支配していた。
謝るヤマに罪はない。
もちろんわかっている。
ただ、ようやく動いた体は友人の言葉を受け入れることはなかった。
どうやって帰ったか覚えていない。
ただ僕が我に返ったとき、僕は自分の部屋で布団にくるまっていた。
そんな夏休み前の最悪の出来事。
楽しみな夏休みの計画は事前段階で破綻した。
終業式後、初めて家から出たのは8月の第1週が終わろうとしていた頃だった。
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