第23話 コーヒーの記憶がない
何度でも言おう。
……どうしてこうなった?
「まさか先輩がここのカフェを知ってるなんて驚きですよー」
「執筆作業でかなり前から利用させてもらってるんだよ」
放課後に約束していた小悪魔と待ち合わせをすると、僕の行きつけでお気に入りの、落ち着いた大人の雰囲気のカフェにふたりでやってきたのだ。
ダンディを語るならこの人は外せないってくらい渋くてカッコイイマスターの煎れるサイフォン式コーヒーは見ていても楽しいし味ももちろん最高だ。
サイフォン式コーヒーとはフラスコ内の水を沸騰させ、気圧の変化を利用してお湯を移動させながらコーヒーを抽出していく方法でコーヒーの粉とお湯を一定時間浸すため、コポコポと沸きあがるお湯の音、理科の実験を思い出すような見た目とフラスコに少しずつ溜まっていくので見ていても美しく飲んでも美味しい優雅な気分に浸らせてくれる。
「な、なんで今日はこんなに混んでるんだ?しかも女の子ばかりじゃないか」
いつもはゆったりとした大人の空間が今はカメラやスマホで撮影している若い女の子で溢れていた。
「ここの雰囲気と絶品チーズケーキが有名で、インスタに載せる女子の間で密かなブームなんですよ。先輩……ここを利用していた事を思い出したんですか?」
もう隠すつもりもないし疑われても問題ない。
「それは座ってから話す事にしよう」
「でも混んでて席が空いてなさそうですね。しばらく待ちますか?」
「いや問題ないよ。マスターこんにちは」
マスターはこちらに軽く会釈すると、目線で奥の扉に視線を移す。
「ありがとうございます。ほら行くぞ」
「え、え、先輩まずいですって!きっとその扉は女子高生の間で都市伝説にもなってる開かずの扉ですよ!」
なにを言ってるんだコイツは。
ここは常連客と僕のような作家や音楽家などが利用させてもらえるVIP用の完全個室なのだ。
マスターがコーヒーを煎れてくれる所を見れないのが非常に残念だけど、集中する作業やゆっくり考え事をしたい時には重宝する。
かなり年代物でビンテージの扉に手をかけると、横にいる小悪魔が尊敬の眼差しを僕に向けてくる。
「どうした?トイレにでも行きたいのか?」
「違いますー!先輩はやっぱり凄いなと思ってたのが台無しじゃないですかもう!ほら、みんなの視線を独り占めしてる気分はどうですか?よ、色男!」
いつの時代の人間だよお前は。
なんの事か分からない僕が店内に視線を移すと、女の子達が興奮状態でドアの先になにがあるのかを撮影しようと躍起になっている。
じょ、女子高生こえーよ……
撮影は時と場所を選んで他人の迷惑にならないようにほどほどにね。
刺さるような視線から逃れるように個室へと滑り込む。
一瞬歓声が上がったような気もするけど、写真を撮らせる暇も与えなかったので溜息へと変わっていた。いまはそんな事はどうでもいい。
中から注文は出来る仕組みになっているので、ひとまず飲み物と僕も食べたことのないチーズケーキを注文し本題に入る。
「今まで本音で話そうとせず済まなかった。僕は君に秘密にしていたことがあるし責められても仕方がない」
「それはお互いさまだと思います。わたしも先輩にすべてをお話します。少し……いえ、正直かなり怖いけど最後まで聞いてください。そして償いをさせてください」
償いと聞いてドクンと心臓の高鳴りが大きくなる。
小悪魔の言葉にではなく、記憶喪失のフリを続けている僕自身が償うべきなのだと。
「前に僕の記憶が戻ったら出会った時の事を話してくれるって言ってたよね?……ごめん、僕はずっと君を騙していた。僕が記憶をなくしていたのは入院していた3日間だけで、その後は記憶喪失のフリをして嫌な事からすべて逃げていたんだよ」
「……はい。それがなにか?」
えーと、聞き流されてるわけでもなければ驚いているわけでもないということは、気付いていたのか?
「もしかして気付いていたの?」
「当たり前じゃないですか。誰にも負けないくらい先輩をずっと見てきましたから。細かい部分は分かりませんけど、記憶が回復しているのは気付いてましたよ。でも記憶喪失を演じるのならそれを利用して断れないようにいろいろ甘えちゃえって作戦でした。わたしってあったまいい!」
さすが小悪魔、転んでもただでは起きないな。
「心配してくれた人間に対して失礼な態度を取った事は謝る。本当にごめん」
「じゃあ……お詫びに一つだけお願いを聞いて下さい」
……なんだかどこかで聞いたことがあるような台詞だな。
「これからは、あかりって呼んでください。念のため言っておきますが拒否権はありませんから」
やっぱりお前もかー!!
どうせ条件を出すならもう少し欲張ってもいい気がするけど、そんな事で許してもらえるのなら僕にとっては有り難い。
「わかった。これから呼ばせてもらうよ」
「先輩も心の準備が出来たようなので、わたしも色々と告白します」
小悪魔は僕の小説との出会いから、自分が『性同一性障害』かとひとり苦しみ、悩んでいたことなどを赤裸々に告白してくれた。
「……とここまでがわたしと先輩の出会いです」
「……」
「先輩?やっぱりこんな複雑な状況だったわたしを受け入―――」
「頑張った。うん、孤独と闘いながらあかりはよく頑張ったね」
気付けば僕は、涙を流しながらあかりの頭を胸に引き寄せ抱きしめながら頭を撫でていた。
こんな小さな子が悩み傷付きそして前に進むことが出来たのだ。しかもそのきっかけが僕の小説なら尚更の事、心打たれて当然だ。
僕も祖父を亡くして孤独の辛さを知っているけど、近くには千花とナツ姉がいてくれた。
でもあかりの口からは支えてくれる友人の話はもちろん家族さえも語られていない事から、おそらく本当にひとりで闘ってきたのだ。
「せ、先輩そんな予想外の反応するなんてずるいです。わたし……泣いちゃうじゃないですか…う、ううう」
僕の胸の中で激しく泣いている。ずっと誰かに、いや、文字通り180度人生を変えた僕に聞いて欲しかったのだろう。すごく華奢で小さな体が小刻みに震えている。これだけは僕だからこそあかりを受け止めてあげられるのだ。
しばらくして顔をあげた、あかりの顔はスッキリとしている。
「事件当日の事、わたしが知っている範囲ですべてお話しますね」
いよいよこの時がきた。
あかりがゆっくりと語り始める。
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