幽霊・親知らず・感謝状

 木造二階建て、ワンルーム、トイレ・バス別。二階の角部屋で家賃2万円。そんなお得な部屋に引っ越してきたのは今年の春の頃だ。梅雨になるのがやけに遅くて長めのはるだったと思う。その梅雨までちょっとだけの期間になんだか不思議なことがたくさん起きたような気がする。そう、ほんとにたくさん。

 自分以外の住人に初めて出くわしたのは引っ越しが終わって3日目のことだ。休日になったのであいさつをしに一通り部屋を回ったのだ。なぜかみんなの反応がよろしくなかった。警戒心が強いのか、笑顔を見せていてもどこかぎこちない。あんまり歓迎されていないのかもしれないなと思いながら、自分の丁度真下の部屋にあいさつした時のことだ。

「早く出ていきな。おかしくなっちまうぞ」

 40代くらいだろうか。おじさんと呼びそうな年ごろの男性はそう言い放ってドアを乱暴に閉じられてしまった。

 しばらく茫然と突っ立っていた気がする。上での生活音がうるさくて、自分がおかしくなると言うことか。初対面の人間に向かって随分と横暴な態度だと思った。

 しかしそれが暴言ではなく助言だったのだと知るのはすぐの事だ。

 夜寝ている間に、不自然な音が幾度となく鳴り響いた。ガタッ。なんて音はしょっちゅうで、気が付けばタンスが開いていたり、トイレのドアが開いていたり、棚の上に置いていた物が落ちたりなんてことが頻発した。

 心霊現象だと気が付くまでそんなに時間はかからなかった。いや、最初から分かっていたけれど認めたくなかっただけだ。

 住民はみんなこのことを知っていたのだ。だから警戒していたし、下の住民に関してはアドバイスさえしてくれていたのに、冷たい人たちだと思ってしまった自分に嫌気がさす。

 引っ越ししようかとも思ったが家賃2万円はあまりに魅力的と言うか、ほかで暮らせるだけの稼ぎや引っ越しの資金すら用意できない。

 そんな眠らずに精神が徐々に削られていくのを実感し始めた頃の話だ。

『なんで出ていかないの?』

 かわいらしい声が聞こえたような気がした。ラップ音とかではなく女の子の声。ああ、あれだ金縛りってやつだ。ついにここまで心霊現象も来たかと思った。いよいよ、殺されるのかもしれない。

「金がないから」

 正直に答えたらその声は聞こえなくなった。諦めてくれたのか。そんな理由の人間に同情してくれたのか。

『違う。親知らずが痛いの。助けて』

 はっきりとしゃべる幽霊だ。そんなのありなのかと突っ込みたくなったが余計なことは言わないほうがよさそうだ。口は災いの元は我が人生の教訓だ。

「どうすればいい?」

『あなたの身体に入って親知らずを抜く。それで大丈夫』

 確かに最近奥歯がうずく。もしかしてそれを察知して出てきたのかこの幽霊は。

「身体に入るってそんなことができて、歯医者に行けるのか?」

『たぶん』

 自信なさそうに返してくる幽霊を少しだけかわいいとか思ってしまう自分が怖くなる。

 そんなこんなで歯医者の予約を入れて、親知らずを抜くことになった。それで成仏できるのなら構わないと思った。

 そしてそれはあっという間に終わった。親知らずを抜いたその日、梅雨入りの知らせがニュースで流れた。

『次は遊園地行きたい』

 その夜、そんな声がして頭が混乱する。

「親知らず抜いたら成仏するんじゃなかったのか?」

『だれもそんなこと言ってないよ。痛くなくなったから、感謝状あげる』

 楽しそうな声にやっぱりかわいいと思ってしまう自分がいて、やっぱりこう、少し自分が怖くなる。相手は幽霊だ。姿も見えない声だけの存在。

 でもそれでもいいかなと思い始めている自分がいてやっぱり少し怖くなった。

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